「マッキーのつれづれ日記」

進学教室の主宰が、豊富な経験を基に、教育や受験必勝法を伝授。また、時事問題・趣味の山登り・美術鑑賞などについて綴る。

マッキーのお出かけ・千葉県佐原巡り

2019年06月11日 | お散歩・お出かけ・遊び

 5月19日(日)、北総の水郷の町・佐原を、山歩きの師匠山縣さんに誘われて、小5の娘もつれて散策しました。ブログ投稿も、しばらくぶりです。投稿する内容が無かったわけではありません。様々な出来事や思索はありましたが、それをブログという形で外部に表現する習慣がしばらくの間無くなっていたということです。

 小江戸あるいは小京都と呼ばれ、レトロな街並みが保存された場所を訪れることが、旅の一形態となっています。かつて、馬籠・妻籠など旧街道の面影を残した場所が、観光地としてもてはやされたことがありました。私がそうした場所を訪問したのは、はるか昔の大学時代のことでした。



 日本の昔の面影を残す町並みや風習を、私たちに再度認識させた契機が、近年増加の一途を辿っている外国からの訪日客ではないかと思われます。都会の町並みの形態は、グローバル化で世界的に画一化しています。そんな中、寺社仏閣などの大きな公的な建築物だけではなく、庶民の生活をも感じさせる民家に、日本の文化伝統を感じるのは納得できます。



 近年、川越が小江戸情緒を残していると、話題となっています。今回訪れた佐原も、そうした面影を残した町並みがある程度保存されています。佐原は、水郷地帯で、水運の要所だった時期がありました。陸上の鉄道や車による運輸が発達する前は、水運による物資の輸送は重要だったと考えられます。利根川に注ぐ小野川の両側に立ち並ぶ商家や蔵を中心に、かつての風情が残されています。川沿いに植えられた柳に沿って、そぞろ歩きは楽しいと思います。家族連れの外国からの観光客は、子どもに浴衣を着せて散歩していました。そうしたサービスも提供しているのでしょう。



 佐原の観光のもう一つの柱が、伊能忠敬を紹介する、伊能忠敬記念館と保存された旧宅でしょう。日本で初めて実測による全国地図を作った伊能忠敬を、塾で教える時、その偉業を説明するだけではなく、その偉業が高齢になってから行われたことに触れずにはいられません。高齢化社会に拍車がかかる日本において、高齢者に一つの道しるべを伊能忠敬は提示しています。





 この町が繁栄していたことを示す物として、夏と秋に盛大な山車が繰り出す祭でしょう。私が生まれ育った新潟の新津(現秋葉区)では、町内ごとに絢爛豪華な屋台が夏祭りに繰り出します。日本三大松阪踊りとも称されている祭りの踊りを含め、この町の規模からして不釣り合いな豪華さです。それは、かつて日本最大の油田が、この町周辺に存在し、花柳界も華やいだ時期がありました。そうした面影が、今でも祭りとして残っています。同様に、佐原が水運の中心地として栄えた面影が、華やかな祭りに残っているのでしょう。

 水郷の里とくれば、お昼はウナギ料理を食べたくなるでしょう。店先に並んで山田うなぎ店で、うな重(じか重)を食べました。まあ価格相応の味だったと思います。香取神社へ行くことも考えましたが、利根川に面して川の駅・道の駅が合体した「水の郷さわら」という商業施設へ行きました。まじまじと利根川を眺めたのは初めてでした。川の長さでは信濃川に譲るものの、利根川は、流域面積では日本最大の川であることが実感できました。



 お店に、イナゴの佃煮が売っていました。小学5年生の娘が食べてみたいと言いましたので、小鮒の佃煮と合わせ購入しました。昔の人は、バッタも食べていたんだね!・・・稲の害虫でもあるイナゴを採って、それをたんぱく源にするなど、確かに昔の人はたくましいと思いました。



 困難な測量の末に達成した日本地図製作の伊能忠敬、水運の盛んな頃の佐原の町並み、そして、かつての食べ物であったイナゴとフナの佃煮、古き良き時代を見て味わった一日となりました。

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