記録的な豪雨(西日本豪雨)による広範囲の被害があり、大型の台風(台風21号)が日本列島を直撃し、その後に北海道で直下型地震(北海道胆振東部地震)が発生し、めまぐるしく様々な災害が続いた日本。増えた外国人観光客の目から見れば、何と危険な場所に日本人は住んでいるのだろうと思ったかもしれません。日本人は、太古の昔からそうした自然災害を乗り越えて生活してきた民族だったのでしょう。
厳しい自然環境ではありますが、それでも私たちを楽しませてくれる自然環境でもあります。自然は、荒くれの神であるとともに、癒やしの神でもあります。自然を崇拝して、手を合わせる対象でもありました。
9月2日、日曜日。思えば、今年も3分の2が過ぎたことになります。光陰矢の如しとは、時間の流れの速いことを良く言い当てた言葉です。久しぶりに、自宅近隣の公園を散歩しました。
ヒガンバナが一輪咲いていました。夏が過ぎ秋になりつつあることを強く実感させる花です。山里を歩いていると、お地蔵さんの周辺にヒガンバナの赤い花を見つけると、その美しさに感激することがあります。「彼岸」という言葉が付いていて、墓所の周辺にも咲いています。日本では不吉であると忌み嫌われることもありますが、反対に「赤い花・天上の花」の意味で、めでたい兆しとされることもあります。
下の画像は、パンパスグラスの穂です。この植物も、最近では珍しくなくなりました。謂わば、巨大なススキといった風情の植物で、最近は公園でよく見かけます。南アメリカが原産で、広大なパンパスの平原に大群落を形成しています。9月から10月ごろ、長さ2~3メートルの花茎をだして、銀白色の花穂をつけます。別名は「しろがねよし(白銀葭)」ですが、「しろすすき(白薄)」とも呼ばれるイネ科コルタデリア属の多年草です。
ひまわりが、まだまだ咲いていました。太陽の光をいっぱいに受けて咲く、夏の日差しが似合う花です。私は、以下の短歌を思い出します。金の油とは、夏のぎらぎらとした日光の比喩でしょう。太陽に比べても、勝るとも劣らない大きさと輝きを持って咲いている向日葵の生態を、とてもリアルに詠んだ詩だと思います。
向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ (前田夕暮)
その下の画像は、ケイトウの花です。ケイトウは、漢字で鶏頭と書きますが、まさに鶏のトサカのような色合いと形体の花です。ケイトウを観察すると、様々な種類があるらしく、草丈や花の形状が異なるものがあります。サルビアと同じように、夏から秋にかけて長々と咲いている植物といった印象があります。
秋の到来を感じさせる花の代表例は、下の画像の萩の花でしょうか。草かんむりに秋と書き、秋の七草でもある植物です。山を歩いていると、至る所に咲いている花です。自己主張のない雑草のような植物ですが、やはりこの花を見ると、私は秋を感じます。
ところで、秋の七草は山上憶良が万葉集の中で初めて詠んだと言われています。
「萩の花 尾花 葛花 なでしこの花 姫部志 (をみなへし) また藤袴朝貌の花」
(和歌の中の朝貌は、アサガオではなく、キキョウと考えるのが定説となっています。)
生徒には、秋の七草の覚え方として、「おすきなふくは」を教えています。
お…オミナエシ、す…ススキ、き…キキョウ、な…ナデシコ、ふ…フジバカマ、く…クズ、は…ハギ、以上です。
夏は暑苦しくて登る気がしない低山(里山)も、これから楽しく歩ける季節となります。
前回のブログに引き続いて、北鎌倉散策の後半を今日は綴ります。
明月院・・・神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗建長寺派の寺院。山号を福源山と称する。本尊は聖観音、開基(創立者)は上杉憲方、開山(初代住職)は密室守厳(みっしつしゅごん)である。アジサイの名所として知られ、「あじさい寺」の通称がある。
鎌倉のあじさいといえば、このお寺を外すわけにはいきません。ただし、境内に入る前に、既に長い行列ができていました。境内に入っても、一方通行の小道には多くの参拝者が列を作って牛歩のあじさい鑑賞となります。欧米人の方もいましたが、この行列の中で何を思ったでしょうか。ただ、アジサイの種類とその数、そしてその色合いは、素晴らしいと思います。
娘が、下の画像のようにハート形のあじさいを見つけました。お地蔵様の前にも、アジサイが供えられています。明月院ブルーとも呼ばれているあじさいは圧倒的な数でしたが、同様に驚くほどの人波でした。韓国や中国の観光客も数多くいました。うっとうしい梅雨の時期、本来なら寺社に足は向かない天候ですが、あじさいなどの花が咲いていれば、そんな気候でも人を引き付けることを、寺社の皆さんは理解して植物を植えたのでしょうか。
明月院からしばらく歩いて建長寺まで行きます。その途中に、三日月堂花仙という和菓子屋さんに立ち寄りました。だいぶ歩いたので、ちょうどよい休憩地点でした。子どもは白玉クリームあんみつを、私はくず切りを注文しました。私のくず切りを娘に食べさせてみましたが、とても美味しいと言っていました。このお店の葛切りのセールスポイントは、「最高級の吉野葛(国産の本葛)を使っています。外国産と違って、こしが強く食感がしっかりしており、色艶が美しいです。蜜は国産の希少な沖縄の波照間産の黒糖を使用。さとうきびをしぼり、水牛がひいてつくる砂糖です」ということです。お盆にはあじさいが添えられ、小さな粉菓子も付いていました。最近の子どもにとって、粉菓子など日ごろは食べませんので、珍しそうに食べていました。
建長寺・・・神奈川県鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院で、臨済宗建長寺派の大本山。山号を巨福山(こふくさん)と称し、寺号は詳しくは建長興国禅寺(けんちょう こうこく ぜんじ)。鎌倉時代の建長5年(1253年)の創建で、本尊は地蔵菩薩。開基(創立者)は鎌倉幕府第5代執権・北条時頼、開山(初代住職)は南宋の禅僧・蘭渓道隆で、第二世は同じく南宋の兀庵普寧ある。鎌倉五山の第一位。境内は「建長寺境内」として国の史跡に指定。
上の画像が、重要文化財の三門で、三解脱門の略です。下の画像が重要文化財の仏殿です。中には、地蔵菩薩坐像が鎮座しています。
法堂には、下の画像のような千手観音菩薩が祀られています。天井には、小泉淳作が描いた雲龍図を仰ぐことができます。
方丈には、靴を脱いで立ち入ることができ、周囲を囲むように設置された濡れ縁を歩いて裏手に回り込むと、長閑な庭園を眺めることができます。鎌倉五山の第一位だけあって、境内の広さも半端ではありません。
鶴岡八幡宮・・・神奈川県鎌倉市にある神社。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。別称として鎌倉八幡宮とも呼ばれる。武家源氏、鎌倉武士の守護神。鎌倉初代将軍源頼朝ゆかりの神社として全国の八幡社の中では関東界隈で知名度が高く、近年では三大八幡宮の一社に入ることがある。境内は国の史跡に指定されている。
建長寺から鶴岡八幡宮まで歩きました。そこから、小町通りを経て鎌倉駅まで行きます。小町通りは、やはりとても混んでいて、人気のお店の食べ歩きも考えていましたが、長い行列に並ぶ気がしませんでしたので、今回も通り過ぎただけでした。下の画像は、小町通りで撮った写真です。小町通りを出た所にあるお店でお蕎麦を食べて、帰路につきました。
あじさいの鑑賞の為に、幾つかの寺を巡る散策でしたが、娘も飽きることなく楽しんでいました。今度は、あまり混んでいない時期に、お寺巡りをしたいと私は思いました。
最後に、あじさいがお寺に植えられることが多い理由をまとめてみましょう。
一つ目は、直射日光が当たり過ぎない斜面、水はけのよい土地は、アジサイが育つのに適した場所だったので、そうした条件が揃った寺に植えられることが多かったそうです。
二つ目は、甘茶との関係です。アマチャという植物の花は、ガクアジサイとよく似ています。実は、アジサイの変種なのです。この葉を発酵させてお茶にします。お釈迦様が生まれたとき、産湯に甘茶を注いだという言い伝えがあり、今でも花祭りには仏像に甘茶をかけます。このような事から、寺にアジサイが植えられたという説があります。
三つめは、医療技術が確立されていない時代の話。日本各地で流行病に苦しむ人が大勢いました。その原因は梅雨特有の急な気温変化によるものであり、病に臥す人だけではなく、大勢の死者も出る大変な事態だったといいます。そのような流行病に倒れた人へ弔いの意味を込めて、人々は梅雨に咲く紫陽花の花をお寺の境内に植えたのだそうです
以上の理由以外にも、様々な説がありますが、そうしたことからお寺にあじさいの名所が多くなったようです。
十数年ぶりに北鎌倉のあじさいを観賞する目的で、小学4年生の娘と出かけました。ただし娘と私は、鎌倉は今年に入って3回目となります。娘も、最も好きな花の一つにあじさいを挙げていましたので、あじさいを見るためにお寺巡りをするのも楽しいだろうと思いました。出来るだけ早い時間帯で回りたいと思いましたので、朝7時に家を出ました。
北鎌倉駅では、大勢の人たちが下車しました。そのほとんどが明月院のあじさいが目的らしく、円覚寺やその他の寺は通り過ぎていきました。私たちは、円覚寺・東慶寺・浄智寺と回った後、明月院へ行く計画でした。ブログでは、長くなりますので浄智寺までを(上)、明月院・建長寺についてを(下)として2回に分けて綴ります。
円覚寺・・・鎌倉時代後半の弘安5年(1282)、ときの執権北条時宗が中国・宋より招いた無学祖元禅師により、円覚寺は開山されました。開基である時宗公は18歳で執権職につき、無学祖元禅師を師として深く禅宗に帰依されていました。国家の鎮護、禅を弘めたいという願い、そして蒙古襲来による殉死者を、敵味方の区別なく平等に弔うため、円覚寺の建立を発願されました。
大学で建築を学んだ者としては、円覚寺といえば国宝の舎利殿を思い出します。ただし、残念ながら非公開の建物です。下の画像は、宝冠釈迦如来坐像です。
東慶寺・・・神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗円覚寺派の寺院である。山号は松岡山、寺号は東慶総持禅寺。寺伝では開基は北条貞時、開山は覚山尼と伝える。現在は円覚寺末の男僧の寺であるが、開山以来明治に至るまで本山を持たない独立した尼寺で、室町時代後期には住持は御所様と呼ばれ、江戸時代には寺を松岡御所とも称した特殊な格式のある寺であった。また江戸時代には群馬県の満徳寺と共に幕府寺社奉行も承認する縁切寺として知られ、女性の離婚に対する家庭裁判所の役割も果たしていた。
階段を登り、こじんまりとした山門をくぐると、東慶寺の境内に入ります。あじさいの他に、イワタバコ・イワガラミ・花菖蒲などが咲いているそうですが、場所が分かりませんでした。一年を通して、様々な植物を観賞できるお寺のようです。
ホタルブクロの花が目立ちました。小さな地蔵様にもホタルブクロが供えられていました。混んでいる時期を外して、静かな散策を楽しむにはとても良いお寺だと思いました。
浄智寺・・・神奈川県鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院。臨済宗円覚寺派に属する。鎌倉五山第4位。山号を金宝山(きんぽうざん)と称する。中世から江戸時代にかけて「金宝山」と「金峰山」が混用されてきた(出典:『鎌倉の地名由来事典』三浦勝男編 東京堂出版)。本尊は阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来の三世仏で、それぞれ過去・現在・未来を象徴する。境内は「浄智寺境内」として国の史跡に指定されている。
このお寺も、階段を登って茅葺の山門をくぐって境内に入ります。地形の傾斜を利用して、だんだんと核心に迫っていく心の高揚感を演出しています。下の画像は、本尊の木造三世仏坐像です。竹や杉の多い閑寂な境内には、様々な仕掛けがあり面白いお寺です。洞窟に、弥勒菩薩の化身と言われる布袋尊が祀られています。人々がさするお腹は、黒光りしていました。
5月4日はみどりの日。小学4年生の娘と科学博物館付属の植物園へ出かけました。入口近くの道の両脇の路傍植物園では、山野の道端に生育している野草類が見られます。そこからスタートして、水鳥の沼を経由して武蔵野植物園を周回し、水生植物園を経由して戻ってくるというルートで歩きました。
高木の上を、上の画像のように数多い蝶か蛾が舞っていました。詳しく知っていそうな人は、蛾だと言っていました。野鳥にとっては、格好の餌になりそうです。その上の画像は、フタリシズカの花です。下の画像は、マルバウツギの花です。
武蔵野植物園となずけられたエリアは、山を歩いていると錯覚しそうなほど、自然環境が素晴らしい場所です。最も変化のある場所が、水生植物園のエリアです。下の画像のように青いカキツバタ・白いノイバラの花が奇麗でした。カワウが、池の魚を取っていました。もうトンボも舞っていました。水生植物を見ながら、持ってきたおにぎりを食べました。
下の画像のように、ガマズミの花が咲いていました。最近いたるところで咲いているヤマボウシの花も同様ですが、上向きに花が咲いているので、ちょっと鑑賞しずらい花です。
行きは、白金台から歩きましたが、帰りは目黒駅を使い、新宿で途中下車しました。西新宿の高層ビルの下のベンチでちょっと休憩。私が学生だった頃から、ちょっと休憩する場所です。植物園は、みどりの日ということで、入場料は無料。遠出するよりは、気楽なお出かけでした。
4月29日(日)、小学4年生の娘と昭和記念公園へ行きました。昭和の日ということで、入場料は無料でした。昭和天皇御在位五十年記念事業の一環として、現在及び将来を担う国民が自然的環境の中で健全な心身を育み、英知を養う場とするために、戦後米軍が旧立川飛行場を接収した立川市と昭島市の両市にまたがる立川基地跡地のうち、180haを記念公園として建設することが閣議決定され、「緑の回復と人間性の向上」をテーマに1978年(昭和53年)度より国土交通省の手で施設整備が進められてきた公園です。行きは、西立川駅からの入口を使い、帰りは立川口から出て、立川駅まで歩きました。
広い園内を散歩するだけで、かなりの運動量となります。子どもにとっても、遊具が豊富なので満足できます。また、四季折々の花々を楽しむこともできます。下の画像は、ドイツスズランとネモフィラの花です。
子どもの森には、さまざまな遊具の他に、楽しい仕掛けがいっぱいあります。大蛇の口の中に入った小学4年生。下の画像のような「虹のハンモック」と言うネット上で遊ぶ遊具、「雲の海」と言うトランポリンなどが、子どもたちに人気です。
日本庭園では、中央の大きな池を周回する小道を歩く楽しみがあります。ツツジ・蓮・カキツバタなどの花が咲いていました。
みんなの原っぱにある菜の花畑も、とても綺麗でした。子連れの家族がシートを敷いて、休日を満喫していました。
ふれあい広場で行われていた吹奏楽の演奏を聴きました。ちょっと離れた木陰にシートを敷いて、聞いていましたが、途中で娘は楽団の近くへ行って、聴いていました。立川口へ続く道の途中にありましたので、そのまま立川口を経由して、立川駅まで歩きました。立川口ゲート近くに、いっぱい画像のような花が咲いている木がありました。トチノキの花でした。大人にとっては、スケールの大きな公園を散歩する楽しさと、子どもが楽しめる遊具がいっぱいある公園ですので、子連れの家族散策にはピッタリの公園です。
全国的に夏日どろか真夏日を記録する日が続きました。4月22日(日)、小学4年生の娘と小石川植物園の散歩を楽しみました。この植物園は、年に1~2回ほど訪れる場所です。港区の白金台にある国立科学博物館付属の植物園も、同様の頻度で訪れます。
植物園で植物を見ることは、その植物の正確な名称や特徴などを即座に知ることができることが、とても参考になります。日頃あいまいだった知識を、修正することにもなります。また、同じような種類の植物を体系的に見ることは、とても貴重です。また、日頃は目にすることがない珍しい植物にも出会えます。
おまけに、これらの植物園では、都心にいることを忘れるほど、豊かな自然が園内に作り出されています。そうした都心の植物園の散策は、気軽に気分をリラックスさせる効果も期待できます。
ところで、この時期の見所は、様々なツツジの花でしょう。花弁が個性的に変化した種類もあります。また、日頃見かけない黄色のツツジも咲いていました。
また、ハンカチの木の独特な花も咲いていました。新宿御苑の新宿口の近くにも、ハンカチの木があります。とてもユニークな花ですので、この時期に見たくなる方も多いと思われます。
ニュートンのリンゴの木・メンデルのブドウの木は、この植物園に来たら、見逃すことはできません。イギリスの物理学者・ニュートンが、りんごの実が落ちるのを見て「万有引力の法則」を発見したことは有名です。そのりんごの木は、ニュートンの出生地であるイギリス中東部・ウールソープ村にありましたが、その後ミドルセックス国立物理研究所に移植され、接木法によって代を重ね今日に至っています。その分身がこのりんごの木です。
修道士であったメンデルは、植物雑種の研究に着手して、遺伝の根本的な法則(メンデルの法則)を発見して、この原理に基づきブドウの品種改良をするために、修道院の庭にブドウの木を植えました。このブドウの枝から生育したものが、このメンデルのブドウの木です。
科学発展の生き証人である貴重な樹木に接することも、楽しいことだと思います。また、ウツギの種類・・・タニウツギやツクバネウツギの花も咲き始めていましたが、これからウツギの種類の花の開花が楽しみです。
ソメイヨシノの開花とともに、春本番の暖かさとなりました。3月25日(日)、近くの公園で、家族とお花見ランチをしました。都内の桜の名所では、大変な賑わいだったようです。早咲きの桜が、寒緋桜の遺伝的影響があり、ピンク色が濃いので、ソメイヨシノが白っぽく感じます。
枝垂桜が満開でしたので、その下にシートを敷きお花見とランチを楽しみました。画像のように、枝垂桜は、やはり寒緋桜の系統なのか、とても綺麗なピンク色をしていました。お花見という風習は、いかにも農耕民族らしいと思います。これから、農作業がスタートする喜びが有るようです。
下の画像のように、ハクモクレンの花も咲いていました。黄色がとても綺麗なレンギョウの花も咲いていました。黄色の花が咲き始めると、より一層春本番を感じます。マンサク・サンシュユ・ヒュウガミズキ・ミモザ・ヤマブキなど、思いだすだけで数多くあります。
この時期、花粉の飛散はとても多く、外出にはマスクが欠かせません。ただし、お花見では、花より団子ですので、マスクをしながらという訳にはいきません。山歩きも楽しい時期になってきますが、花粉症の人は、大変です。スギ花粉とヒノキ花粉が混在している時期でしょうか。もうしばらくは、耐えねばなりません。
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ソメイヨシノの開花にはまだ間がありますが、早咲きの種類の桜が近隣で咲き始めました。3月4日の日曜日、東京でも気温が20度を超えて春本番の暖かさでした。近隣を散歩しましたが、寒緋桜と河津桜が満開でした。
河津桜は、オオシマザクラ系とカンヒザクラ系の自然交配種と推定されています。日本で一般的な桜となっているソメイヨシノより花色が濃い早咲きの桜で、ピンク色の花を1月下旬~3月上旬にかけて約1カ月間咲き続けます。
寒緋桜は、花は小輪、一重咲きで濃紅紫色。中国から台湾に自生している桜で台湾緋桜、緋寒桜とも呼ばれています。花は釣鐘状の形となり花色と併せ独特の雰囲気をもつ桜です。私の故郷・新潟では、見かけたことがなかった桜なので、初めて寒緋桜を見たときは、桜の種類だとは思わなかった桜です。
咲いた桜の周りには、画像に収めようとする人たちが集まっていました。やはり、桜の開花は、私たち日本人にとって、特別なことのようです。
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2月18日(日)、気温は低めでしたが、太陽の日差しの下では温かさを感じる日曜日。小学3年生の娘と、新宿御苑を散歩しました。
ロウバイやスイセンの花は見頃が終わり、梅の花が咲き始め、寒桜が開花していました。マンサクの花やサンシュユの花は、まだ蕾でした。白木蓮の蕾も膨らみ始めていました。フクジュソウの花は、見ごろを迎えていました。
フクジュソウは、夏になると地上部が枯れます。つまり初春に花を咲かせ、夏までに光合成をおこない、それから春までを地下で過ごす、典型的なスプリングエフェメラルです。
寒桜は、満開状態でした。下の画像のように、カメラを片手に多くの人が桜の木の周りを取り囲んでいました。寒桜は、2月ころ、葉の出る前に、淡紅色の5弁花が咲きます。カンヒザクラとオオシマザクラの雑種といわれています。近くの公園の河津桜の蕾も、幾つか開き始めています。桜が咲き始めると、春の到来を感じます。寒緋桜の遺伝的な影響でしょうか、ソメイヨシノよりも桃色が濃いように感じます。
プラタナス並木は、下の画像のように冬枯れた状態です。プラタナスの幹の文様は、絵画的な美しさを持っています。ミツマタの花も咲き始めていました。気温的には、冬と春の両方をくり返していますが、太陽光線は確実に春めいてきました。それを人間よりも確実に感知しているのが、植物でしょう。
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11月3日(文化の日)、私の教室では全国統一小学生テストを実施したことは、既にお話ししました。この日の午後、テストの後処理をしてから、新宿御苑へ出かけました。毎年行われる菊花檀展を見るためです。江戸時代に信州高遠藩主内藤家の屋敷があったこの地に、新宿御苑が誕生したのは明治39年のことです。皇室の庭園として造られたという経緯から、この菊花檀展は、毎年とても見応えのある花の展覧会となっています。
この菊花壇展を見ることは、秋のこの時期に、絵画館前のイチョウ並木散策と並んで、私の年中行事となっています。内藤唐辛子が最近テレビで紹介され、その加工品が新宿御苑の人気の逸品になっています。私も一味唐辛子を購入しました。では菊の画像で、その変化に富んだ菊の花を紹介しましょう。
【懸崖作り花壇】
野菊が断崖の岩間から垂れ下がって咲いている姿を模して、1本の小菊を大きな株に仕立てる技法を「懸崖作り」と呼びます。古木の台の上に、花鉢を配色よくならべています。
【 伊勢菊・丁子菊・嵯峨菊花壇】
伊勢菊は、伊勢地方で発達した菊で、縮れた花びらが垂れ下がって咲きます。
丁子菊は、花の中心部が盛り上がって咲く菊で、アネモネ咲きとも呼ばれています。
嵯峨菊は、京都嵯峨地方で発達した菊で、細長い花びらがまっすぐに立ち上がって咲きます。
【大作り花壇】
初冬に出てくる芽を1年がかりで枝数を増やし、1株から数百輪の花を半円形に整然と仕立てて咲かせる技法を「大作り」と呼びます。これは新宿御苑独自の様式で、全国各地の菊花壇展で見られる千輪作りの先駆けにもなっています。
「年年歳歳花相似たり 歳歳年年人同じからず」・・・毎年、同じような時期に同じようなブログを綴ることになります。この菊花壇展も同様で、行き交う人は不特定多数の人たちですから、毎年比較することはできません。けれども、菊の花は、毎年同じように私の目の前で綺麗に咲いています。もっと菊に詳しい人は、その年の花の出来の良し悪しを観察できるのかもしれませんが、門外漢の私には比較などできません。
それにしても、決まった形に菊の形状を揃えたり、菊の草丈を揃えることさえ、並大抵の労力ではありません。菊を育てている人たちの労苦を感じる力作の菊の花々でした。
【江戸菊花壇】
江戸で発達した江戸菊を「篠作り」に仕立てます。咲き始めから満開まで花びらの形が変化し、艶やかに姿を変える、花の変化が魅力の古典菊です。
【一文字菊・管物菊花壇】
管物菊は、細長い筒状の花びらが放射状に咲き開く大輪菊です。糸菊や細菊とも呼ばれ、蜘蛛が足を広げたような様子から、海外ではスパイダー(Spider)ともいわれています
一文字菊は、花びらの数が16枚前後の一重咲きの大輪菊です。長く幅広い花びらが円形に咲き開くのが特徴で、皇室の御紋章に似ることから「御紋章菊」とも呼ばれています。
【肥後菊花壇】
肥後菊は、古くから肥後地方で作られた一重咲きの古典菊で、おもに武士の精神修養として発達しました。栽培方法や飾り方は、江戸時代に熊本で確立した、秀島流の厳格な様式に基づいています。
【大菊花壇】
大菊は、菊の代表的な品種で、花びらが花の中央を包み込むように丸く咲くのが特徴です。神馬の手綱模様に見立てた「手綱植え」と呼ばれる新宿御苑独自の様式で、39品種311株の大菊を黄・白・紅の順に植え付け、全体の花が揃って咲く美しさを鑑賞する花壇です。
キク科の植物は、キク、タンポポのように小さな花(小花)がたくさん集まり、さらにそれが一個の花に見える点が形態上の主な特徴です。私たちに、一枚の花びらに見えるものが、一つの合弁花なのです。もっとも進化し、もっとも分化している植物とされているのが、キク科の植物です。
菊花壇展を見ていると、園芸品種の多さも感じます。人為的に、情熱をかけて栽培した結果、このように多様な形態と色彩の菊が誕生したのでしょう。毎年私は、「肥後菊」「管物菊」の繊細さに美しさを感じます。
秋晴れの祝日、広場にシートを広げてゆったりとくつろいでいる家族が多く見受けられました。新宿御苑の木々も、紅葉が始まっていました。多くの木々の見ごろは、まだ先ですが、ユリノキが黄色に色づいていました。イチョウが黄葉すると、新宿御苑が艶やかになります。
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台風18号は、強い勢力を維持したまま、連休の日本を縦断しました。強い風と雨により、広範囲に災害が起きました。東京も、18日(敬老の日)に日付が換わった頃から風雨が激しくなり、早朝まで風が強かったのですが、やがて風も止み、台風一過の晴天となりました。
そこで、久しぶりに新宿御苑にお弁当を持って出かけました。気温も日差しも夏に戻ったような天候となりました。本当は、秋を見つけに出かけたのですが、自宅近隣では鳴き止んでいるミンミンゼミやツクツクボウシが鳴いていて、汗ばむ夏を味わいました。
このように暑い日ですが、植物は季節の移ろいを敏感に察知して、秋の花がそこかしこに咲いていました。秋の七草の一つ、萩の花が青空に映えて咲いていました。また、ヒガンバナ(曼珠沙華)の花も、ちょっと日陰になった所で咲いていました。
昨年は、奥武蔵の山を歩き、帰りに有名な巾着田のヒガンバナを観賞しました。その規模には圧倒されますが、田舎のさりげない場所に、人知れず咲いているヒガンバナの方が、風情があるかもしれません。
台風の影響もありますが、落ち葉が多数落ちていました。その一枚に、下の画像のように、目と口の穴を開て娘にあげました。気に入って、家までずっと持って帰ってきました。あとわずかで、紅葉・落ち葉の季節も、駆け足でやってきます。
鈴懸の木のプロムナードは、画像のようにまだ夏の装いで、葉が鬱蒼と茂っています。しかし、しばらくすると急激に落ち葉となり、葉の無い冬枯れた姿となります。並木の下に設置されたベンチに、季節を問わずその景観を楽しむ人が座っています。この場所は、第三の男の映画の画像を連想する光景を見られるのも間近です。茶色に枯れていく木々の葉も、とても綺麗だと私は思います。
黄色い実をいっぱい付けた木がありました。マルバチシャノキと言う名の木でした。実はバナナのような香りがし、食べることができるそうです。ちなみに、レタスの和名が チシャ(萵苣)で、若葉も食用になりレタスの味がすることから、その名前が付けられたそうです。
レタスは西洋野菜だから、比較的新しい野菜のはずだが? 調べてみると、日本の多くの地域では、古くから掻き萵苣(カキヂシャ)が食用利用され、1697年に出版の『農業全書』にも栽培や品種、調理法などが記されているとのこと。
草の葉を食料にするのは一般的ですが、人間は木の葉をサルのように食べることがあります。タラの芽のように、まだ開かない芽を食べます。山椒のように薬味として利用します。また、春の山菜採りの時に、私自身が採ってくるハナイカダの葉は、癖もなく様々な料理が可能です。菜飯にしても美味しく頂けます。マルバチシャノキの若い葉も、チシャ(萵苣)のように食べられることを知って、食用にしてきたのでしょう。
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4月16日(日)、新宿御苑の桜を見に出かけました。今年の都内の桜は、例年に比べて満開の時期が遅く、かつ天候が悪かったために、長々と咲いています。
新宿御苑・新宿口は、今まで経験した中では最も混雑していました。入場券を買う前に、お酒等の持ち込みをチェックするカウンターが設置され、まずそこで長い行列ができていました。今まで天候が不順でしたので、その日に多くの人が集中した結果だろうと思います。
ちょっと木陰の小道に入ると、周囲は淡いグリーンの世界です。いよいよ新緑の時期がやってきました。足元には、ムラサキハナナの花も咲いていました。ツバキの花も、そして桜の花も咲いています。
小学3年生に指差しながら、「この花の名前は?}と聞いてみました。「シャガでしょ。」 シャガの花も咲いています。柳の枝が風に揺れ、その清々しさが嬉しくなる季節がやってきたのだと感じました。
上の画像はツツジの花です。下の画像は、リキュウバイ(利休梅)の清楚な花です。別名がウメザキウツギと言いますが、ウツギの季節も間近です。春の植物は、加速して私の前を過ぎ去っていくようです。
今御苑に咲いている桜は、枝垂桜や八重桜が主体です。桜の花の下では、シートを敷いてお花見の家族やグループが楽しんでいました。原則的には、酒類の持ち込みは禁止で、最初にお話ししたように入り口では荷物のチェックさえもしています。ただ、チェックは甘いので、お酒を飲んでいる人も稀ではありませんが、歌えや踊れやの酒盛りは、無論できません。家族で、お弁当を広げて楽しむ程度が、御苑のお花見です。
上のちょっと緑が入った白っぽい桜がウコンという種類の桜です。下の濃いピンクの花が、関山という桜です。いずれも、八重咲の桜です。
上の桜は、秋と春に二度咲く十月桜の花です。下の画像は、桜の花びらが川面に浮かんでいる風景です。こうして桜が散れば、百花繚乱の本格的な春の到来です。様々な花を楽しむことができる季節です。どうぞ屋外の散策を楽しんでください。
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寒暖の差が大きい時候です。晴れて南の風が吹けば、すっかり春の雰囲気です。住んでいる近隣の公園には、早咲きの桜が満開となりました。ソメイヨシノに先駆けて、様々な種類の桜が咲きます。
下の画像の一番上は、河津桜です。ソメイヨシノよりもピンクが強い桜ですが、早春の青空に映えて、心躍る雰囲気を醸し出しています。この木には、人間だけではなく、どこからやってくるのか、メジロがたくさん蜜を求めて右往左往しています。
その下の桜は、寒緋桜です。新潟では見かけない桜ですので、東京に出てきて初めて出会ったときには、桜だとは思いませんでした。釣り鐘状の花が特徴で、そんな独特の形態と色をしている桜です。この早咲きの特性と、下向きに花が咲く特質が、他のサクラと交配した時に影響を与え、各地で優秀な園芸品種が出来ています。特に有名な品種は、このサクラとオオシマザクラの自然雑種で先ほど説明した河津桜が、近年人気の桜となりました。河津桜がピンクが強いのは、寒緋桜のDNAの影響でしょう。
その下の画像の桜は、カンザキオオシマと呼ばれる品種の桜です。毎年、普通の大島桜よりもだいぶ早く白い花を咲かせます。この花が散るころ、雪が降っているように見えるだろうと、小学2年生の娘は感想を言いました。まさに花吹雪です。それほど真っ白の桜です。
新宿御苑に咲く花を最近紹介しました。興味ある方はご覧ください。
マッキーの『四季を楽しむ』:早春の新宿御苑
公園の菜の花も黄色い花を付けていました。その花の近くで、老夫婦がお弁当を広げていました。戸外で昼食を食べる楽しみを味わえる季節がやってきました。気温の温もりは、人の心の中まで温かくするようです。
花の香りで春の到来を告げる植物として、ジンチョウゲを挙げることができます。沈丁花という名前は、香木の沈香のような良い匂いがあり、丁子(ちょうじ)のような花をつける木、という意味でつけられたそうです。真っ白い色の花を付ける沈丁花の株がありましたが、枯れてしまって今年は咲いていませんでした。
今日からは、3月です。百花繚乱の春は間近です。
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2月12日(日)、次男夫婦と一番下の子と私の4人で新宿御苑を散策しました。「春を探しに行こう!」が目的の散歩であることを、小学2年生の娘と話しながら出かけました。
2月上旬は、気温で言えば一年で最も寒い時期ですが、太陽は12月の冬至を過ぎれば、その光の強さを増してきます。その太陽光線を敏感に察知して、植物たちは人間よりも的確に春の到来を確認しているようです。御苑内で咲き始めた春の花々を、今日は画像で紹介しましょう。
春の花の代表として、ロウバイを挙げる人も多いと思います。この花の香りがウメに似ていることと、半透明で光沢のある花びらがまるでロウ細工のようであることが、ロウバイ(蝋梅)という名前の由来です。
上の画像で中心が赤みを帯びているのがロウバイで、中心まで黄色であるのがソシンロウバイです。花びらの形状も異なります。
早春の草花と言えば、まず咲き始めるスイセンを挙げることができます。
スイセンの原産地は、主にスペイン、ポルトガルを中心に地中海沿岸地域、アフリカ北部まで広がり、原種は30種類ほど知られています。また、園芸用に品種改良されたものが広く栽培されています。日本においては、ニホンズイセンが古くに中国を経由して渡来したといわれています。
上の画像が二ホンズイセンで、下の画像が西洋スイセンのペーパーホワイトです。このペーパーホワイトは、見た目は綺麗ですが、花の香りは、ちょっと嫌な臭いがします。
梅は、樹形・花の形状・香りなど、品格のある花だと思います。古く「花」といえば桜であったものが、奈良時代あたりから梅を指すことの方が多くなりました。これは中国から梅が輸入されたことに由来します。平安の貴族は初春に人知れず咲く梅の花に魅了されました。ところが江戸以降は花見の影響から、花といえば桜となりました。そして梅は古里(ふるさと=奈良平城京)の静かな美しさと文化的郷愁の花となり、和歌や能に取り上げられることになるのです。
東風吹かば にほひおこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ
上の和歌は、平安時代の碩学・菅原道真が大宰府に左遷されるとき、道真の愛した庭の梅の花に別れを惜しんで詠んだ歌です。菅原道真が梅をこよなく愛したことから、道真およびその神格化である学問の神天神のシンボルとして、使用されることが多い花でもあります。
下の画像は、フクジュソウ(福寿草)で、キンポウゲ科の多年草です。春を告げる花の代表であり、そのため元日草(がんじつそう)や朔日草(ついたちそう)の別名を持ちます。福寿草という和名もまた新春を祝う意味があるようです。
当初は茎が伸びず、包に包まれた短い茎の上に花だけがつくが、次第に茎や葉が伸び、いくつかの花を咲かせます。この花は花弁を使って日光を花の中心に集め、その熱で虫を誘引します。その為、太陽光に応じて開閉(日光が当たると開き、日が陰ると閉じる)します。葉は細かく分かれ、夏になると地上部が枯れます。つまり初春に花を咲かせ、夏までに光合成をおこない養分を蓄積し、それから春までを地下で過ごす、典型的なスプリング・エフェメラルです。スプリング・エフェメラルを直訳すると、「春のはかないもの」「春の短い命」というような意味で、「春の妖精」とも呼ばれます。カタクリなども、この仲間に入ります。
上の花はサンシュユで、下がマンサクの花です。どちらもまだ開花にはちょっと早かったようです。これらの黄色い花が満開になると、苑内もいっそう春めきます。
御苑には、十月桜と寒桜が咲いていました。上の画像は、河津桜かと思いましたが、寒桜でした。桜は、梅に比べて遥かに艶やかな印象を受けます。近隣の河津桜が開花し始めています。これからしばらくすると、桜=ソメイヨシノの季節が、足早にやってきます。ただ、桜には秋から早春に咲く種類もあります。興味ある方は、以下のブログを参考にしてください。
マッキーの随想:冬に咲く桜と早咲きの桜
大温室にも立ち寄りました。下の画像は、カミガヤツリという植物です。古代エジプトで、パピルスという紙をこの植物の茎の繊維で作りました。今までパピルスは、紙の名称ではなく、植物名だと思っていました。ただし、調べてみるとカミガヤツリをパピルス草とも言うので、大きな間違いではなさそうです。
ウマノスズクサ科の特徴を持った花だなと、見た瞬間に思いました。下の画像は、ムクゲパイプバナという植物の花で、やはりウマノスズクサ科でした。
この温室では、様々なランを年中観ることができます。ランには門外漢の私ですが、詳しい方にはたまらない場所となるでしょう。
フランス式整形庭園のプラタナス並木は、すっかりと葉を落として冬枯れた状態になっています。このプラタナス並木は、新緑の春から黄葉する秋そして冬枯れの冬まで、私に季節を感じさせて楽しませてくれます。
頻繁に訪れる新宿御苑ですので、苑内の季節ごとの見所をかなり詳しく私は知っています。何度訪れても飽きることのない場所の一つです。来日する外国の観光客にも人気のスポットだそうです。新宿御苑は、都心に貴重な憩いの場所を提供しています。
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毎年、新宿御苑でこの時期に行われている菊花展を観に、小学2年生と10月下旬の日曜日に出かけました。多くの方が、この菊花展を観ることを楽しみにしているのか、この時期は春の桜の開花時期ほどではありませんが、御苑は混雑します。
いつものように、新宿口から左回りに御苑を散策しました。下の画像は、入口付近のメタセコイアの樹林の前を歩く2年生。
【江戸菊花壇】
江戸で発達した江戸菊を「篠作り」に仕立てます。咲き始めから満開まで花びらの形が変化し、艶やかに姿を変える、花の変化が魅力の古典菊です。
【大作り花壇】
初冬に出てくる芽を1年がかりで枝数を増やし、1株から数百輪の花を半円形に整然と仕立てて咲かせる技法を「大作り」と呼びます。これは新宿御苑独自の様式で、全国各地の菊花壇展で見られる千輪作りの先駆けにもなっています。
【 伊勢菊・丁子菊・嵯峨菊花壇】
伊勢菊は、伊勢地方で発達した菊で、縮れた花びらが垂れ下がって咲きます。
丁子菊は、花の中心部が盛り上がって咲く菊で、アネモネ咲きとも呼ばれています。
嵯峨菊は、京都嵯峨地方で発達した菊で、細長い花びらがまっすぐに立ち上がって咲きます。
【懸崖作り花壇】
野菊が断崖の岩間から垂れ下がって咲いている姿を模して、1本の小菊を大きな株に仕立てる技法を「懸崖作り」と呼びます。古木の台の上に、花鉢を配色よくならべています。
【肥後菊花壇】
肥後菊は、古くから肥後地方で作られた一重咲きの古典菊で、おもに武士の精神修養として発達しました。栽培方法や飾り方は、江戸時代に熊本で確立した、秀島流の厳格な様式に基づいています。
【大菊花壇】
大菊は、菊の代表的な品種で、花びらが花の中央を包み込むように丸く咲くのが特徴です。神馬の手綱模様に見立てた「手綱植え」と呼ばれる新宿御苑独自の様式で、39品種311株の大菊を黄・白・紅の順に植え付け、全体の花が揃って咲く美しさを鑑賞する花壇です。
菊を育てる側と鑑賞する側の情熱が、以上で紹介したような美しいさまざまな菊を作り出した原動力だったのでしょう。皇室と日本を代表する花として、これからも多くの人に愛され続ける花が、菊の花です。今の子どもの中には、菊が咲く季節を知らない人も少なくありません。何故か、秋の七草に入っていない菊ですが、菊花展などで存分に秋を感じてほしいと思います。ただ、ちょっと原稿をそのままにしておいたら、既に師走となり、秋から冬に季節は移り変わってしまいました。
【プラタナスの並木】
菊の花が美しく咲いている時期は、多くの落葉広葉樹から落ち葉が舞い散る季節でもあります。街路樹が常緑樹ではなく、落葉樹であることは、様々な理由があります。春の新緑から秋の紅葉から落葉まで、四季の移り変わる変化を楽しむことができます。けれども、この時期には多大な費用と労力を掛けて、落葉を処理する必要があります。その困難を抱えても、落葉樹が植えられていることは、多くの人に楽しさを与えていると思います。
【冬咲の桜】
ジュウガツザクラなどは、この時期に開花してります。ちょっと不思議な感覚で、多くの人たちを集めていました。