ヒロシマ平和映画祭 Hiroshima Peace Film Festival

2013年12月、第5回開催!

今回は、過去上映作品のなかから、「今こそ、もう一度」な作品プラスαを上映予定。

福島原発事故に関する声明(フリーター全般労組)

2011-03-26 02:28:47 | 日記
17日に出された声明です。
転載します。

(事務局CHO)

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福島原発事故に関する声明
---グスコーブドリのいないイーハトーヴはいらない


「想定外の事態」。このひとことで、数万におよび人々の死が合理化されてい
る。数十万の人々を放射能被害にさらし、なお数百万の人の暮らしを破壊し続け
ている人災、そう、繰り返し言うが最悪の人災が僅かこのひとことで合理化され
ている。

いま生じている事態は、なんら想定外のことではなかったはずだ。幾人もが、こ
の事態を繰り返し予測し警告してきた。地震や津波被害にともなう原子力発電所
の激甚事故、水素爆発も炉心溶融も放射性物質の大規模な飛散も、反原発運動や
原子力の専門家のみならず、多くの人々が指摘してきたことである。

被害は折り込まれていたのである。

東京をはじめとする大都市のエネルギー消費を支えるために、地方に住む数百万
の人々は放射性物質の前に曝し出されている。地方の人々の暮らしを壊すこと
で、沖縄電力をのぞくすべての電力会社は安定した利益を確保し続けてきた。こ
のビジネスを成立させるために、地域独占を許し原発建設に有利な法制度をつく
りあげ、各電力会社を支援してきた日本政府も当然の責を問われる。電力各社と
日本政府はいまそのつけを支払わなければならない。

日本政府と東京電力は、まず何よりもいま、福島原発で取り組まれつつ隠されて
いる労働のすべてを子細に公開すべきだ。たとえば冷却水注入作業のために、誰
がどこをどのように走り、管をつなぎ、バルブを開けたのか。放射能に汚染され
た飛沫を誰がふき取り、ふき取ることを誰が命じているのか。これは英雄譚を作
り出すためではなく、そこで働く人々をグスコーブドリにして褒め称える醜悪さ
を私たちが克服するための要求だ。「数千万の命を救う」ために自らは決してし
ない仕事を、原発労働者に求めるおぞましいまでの冷酷さから私たちは遠ざから
なければならない。死を強制される労働の拒否こそ私たちは支えるべきである。

いま私たちは「原子力被災者」になろうとしている。各地の原発で生命を危険に
さらして働いてきた人々、爆発事故に伴う被曝で今後長期間にわたる健康リスク
に向き合わなければならない人々の被災がまずある。だが原子力被災はこれにと
どまらない。福島原発の爆発は、今後長期にわたって東北地方の農業に打撃を与
え、安全な食料の価格を高騰させるだろう。都市貧困層は確実に食の安全から排
除される。原発の停止によって電力供給が不足し、輪番停電が実施されている
が、それに伴う事業所の閉鎖や休業が相次いでいる。都市貧困層はこれによる失
職と賃金カットに見舞われ購買力を低下させるだろう。私たちは被災者なのである。

日本政府と全電力会社はすべての原子力発電所を直ちに停止せよ。
人の生命を貪るビジネスから撤退しろ。
東京電力はすべての原子力被災者に補償せよ。
被曝したすべての人々に今後の全健康被害を回復するまでの医療費と生活費を補
償せよ。
原発事故のために閉鎖や休業を余儀なくされたすべての事業者の売り上げを補填
せよ。
失業や休業、賃金カットに追い込まれた人々の損害を補償せよ。

直接の被害を受けずにいるすべての人々に私たちは呼びかける。圧倒的な津波や
火災のスペクタクル、圧力容器内の水位を伝える字幕の数々、御用学者の言う
「直ちに健康被害はないレベルです」というコメント、これらの無限ループ映像
に曝される日々から抜け出そう。この「情報被曝」は私たちに「祈るしかない」
という無力感を作り出し、今回の事態に責任を負うべき者や制度をあいまいにす
る政府・電力会社の言いわけへの同意を作り出している。いっときも早く、この
「情報被曝」による被災から回復し、責任者を名指し追求することが必要である
と私たちは考える。

2011年3月17日
フリーター全般労働組合

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1 コメント

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unthinkable (noga)
2011-03-26 21:02:21
我が国が核攻撃を受けたらどのような事態が発生するか。
我が国の原発が大事故を起こしたらどうなるか。
疾走する弾丸列車が貨物列車に激突したらどのようになるか。

悪夢は見たくない。いつまでも能天気でいたい。
天下泰平の気分を壊したくない。

自分に都合の良いことだけを考えていたい。
それ以外の内容は、想定外になる。

ただ「間違ってはいけない」とだけ注意を与える。
「人は、誤りを避けられない」とは教えない。
「お互いに注意を喚起し合って、正しい道を歩まなくてはならない」とは、考えていない。

もしも自分にとって都合の悪いことが起こったら、びっくりする以外にない。
そして、「私は、相手を信じていた」と言い訳するしかない。だから、罪がないことになる。

危機管理は大の苦手。
だが、ナウな感じのする犯人捜し・捕り物帳なら大好きである。毎日テレビで見ている。

日本語には時制がないので、未来時制もない。
未来の内容を鮮明に正確に脳裏に描きだすことは難しい。
一億一心のようではあるが、内容がないので建設的なことは起こらない。
お互いに、相手の手を抑えあった形である。すべては安全のためか。不信のためか。

問題を解決する能力はないが、事態を台無しにする力を持っている。
親分の腹芸か、政党の内紛のようなもの。
今回の事件はわが国の国民性を色濃くにじませている。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812


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