こういってよければ、祝島の人びとの思想は、
先進的なアナクロニズムというべきかもしれない。
それに対置されるのが、祝島の人びとに対しての、
中国電力の「第一次産業だけで食っていけるんですか」
という犯罪的な大迷言だ。
先進的アナクロニズムに対置するとすれば、
時代遅れの後退的モダニズムといってもいいかもしれない。
いまどきのセンスのいい子どもなら描きもしないような、
未来の想像図を描かせて続けている教育もまた、
そういう時代遅れの啓蒙的な近代主義に加担し続けてきた。
この犯罪的大妄言については、私も周りの人たちも、
いろんなところで問題化してきた。
が、中国電力だけではなく電力会社などの、
また、受け入れてしまった方々の、
今までの「本音」としてあきらかになったこともあり、
あらためて明記しておいた方がいいだろう。
福島の事故で、
その第一次産業と従事者たちにどれだけの打撃を与えたのか。
おまえらが食えなくさせているんだろう。
おためごかしで、補償するとかエラそうに言うな。
内心、バカにし続けてきたくせに。
原発や、それを可能にしている官僚主義や電力寡占で、
お前たち以外に誰が「食っていけるのか」。
その言葉に乗って手放してしまった人たちが、
今、どのような思いでいるのか。
また、乗らずに農業や漁業を続けてきて、
打撃を受けた人たちがどのような思いでいるのか。
加害も被害も混然としてしまっているが、
しかし、明確に最大の被害者はいる。
一方で、通常の事故とは違い、
最大限の加害者と見なされる当事者の情報のみが垂れ流される。
その不条理さに、多くの国民が声をあげようともしない。
少し考えてみただけでも、恐ろしくなってくるほどだ。
東海村に張り巡らされた、沖縄の米軍基地にも似たフェンスと、
時代遅れで子どもだましの看板群の空々しい風景を思い出す。
時代遅れで子どもだましの明るい外見の裏側は、
実際のところは、私などの想像を遥かに超える、
暗く黒いえげつない世界なんだろうと思う。
「安全神話」を信じていた人が想像以上に多いことにも驚いたのだが、
そんなものではすまないぐらいに、
実のところはえげつない「神話」の裏側を覗き込まないといけない。
脱原発が進めば、放射能被害ではなく、いろんな死人が出るくらいの。
その向こうにようやく新たな、違う未来像が見えてくるだろう。
(事務局CHO=東琢磨)