ヒロシマ平和映画祭 Hiroshima Peace Film Festival

2013年12月、第5回開催!

今回は、過去上映作品のなかから、「今こそ、もう一度」な作品プラスαを上映予定。

ヒロシマ平和映画祭2013 12月に開催

2013年12月、第5回開催。 今年のテーマは「異郷の記憶」。 毎回50本近い作品を上映してきて第5回なので、今回は過去上映作品のなかから、「今こそ、もう一度」な作品を20本程度にプラスαな企画をしようともぞもぞしています。 一部プログラムの隠れテーマは「日本を取り戻す!」です(笑)。

7月17日、シャリバリ地下大学文化祭第三弾「ヤマザキかく語りき 人間的、あまりに非人間的」

2011-06-25 04:53:57 | 共催イベント
2009年の映画祭で、知己が生まれた山崎さん、浜野さんとの企画です。

(事務局CHO)

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シャリバリ地下大学文化祭第三弾、
「ヤマザキかく語りき 人間的、あまりに非人間的」も決定しました。
薔薇族映画が3分の2という企画です。

『ヤマザキかく語りき-人間的な、あまりに非人間的な』

日程:7月17日(日曜日) 夕方より

上映作品:
『メモリーズ』
『真昼の穴快楽』
『仮面の宿命』

トーク :
山崎邦紀監督
浜野佐知監督(上映作品プロデューサー)
行友太郎・上村崇(シャリバリ地下大学)

料  金:2000円

遡行する(3)先進的アナクロニズムと後退的モダニズム

2011-06-22 04:47:34 | 日記
こういってよければ、祝島の人びとの思想は、
先進的なアナクロニズムというべきかもしれない。
それに対置されるのが、祝島の人びとに対しての、
中国電力の「第一次産業だけで食っていけるんですか」
という犯罪的な大迷言だ。

先進的アナクロニズムに対置するとすれば、
時代遅れの後退的モダニズムといってもいいかもしれない。
いまどきのセンスのいい子どもなら描きもしないような、
未来の想像図を描かせて続けている教育もまた、
そういう時代遅れの啓蒙的な近代主義に加担し続けてきた。

この犯罪的大妄言については、私も周りの人たちも、
いろんなところで問題化してきた。
が、中国電力だけではなく電力会社などの、
また、受け入れてしまった方々の、
今までの「本音」としてあきらかになったこともあり、
あらためて明記しておいた方がいいだろう。

福島の事故で、
その第一次産業と従事者たちにどれだけの打撃を与えたのか。
おまえらが食えなくさせているんだろう。
おためごかしで、補償するとかエラそうに言うな。
内心、バカにし続けてきたくせに。
原発や、それを可能にしている官僚主義や電力寡占で、
お前たち以外に誰が「食っていけるのか」。
その言葉に乗って手放してしまった人たちが、
今、どのような思いでいるのか。
また、乗らずに農業や漁業を続けてきて、
打撃を受けた人たちがどのような思いでいるのか。

加害も被害も混然としてしまっているが、
しかし、明確に最大の被害者はいる。
一方で、通常の事故とは違い、
最大限の加害者と見なされる当事者の情報のみが垂れ流される。
その不条理さに、多くの国民が声をあげようともしない。
少し考えてみただけでも、恐ろしくなってくるほどだ。

東海村に張り巡らされた、沖縄の米軍基地にも似たフェンスと、
時代遅れで子どもだましの看板群の空々しい風景を思い出す。
時代遅れで子どもだましの明るい外見の裏側は、
実際のところは、私などの想像を遥かに超える、
暗く黒いえげつない世界なんだろうと思う。
「安全神話」を信じていた人が想像以上に多いことにも驚いたのだが、
そんなものではすまないぐらいに、
実のところはえげつない「神話」の裏側を覗き込まないといけない。
脱原発が進めば、放射能被害ではなく、いろんな死人が出るくらいの。
その向こうにようやく新たな、違う未来像が見えてくるだろう。

(事務局CHO=東琢磨)

遡行する(2)「平成大災害」?

2011-06-22 04:26:09 | 日記
「3.11」とか「原発震災」とか、
いつのまにか普通に使っている友人知人もあるが、
はっきりいってどちらにも強い違和感がある。
「3.11」というのは、なんか「9.11」を思い起させて嫌だし、
「原発震災」て原発が震災を起こしたわけじゃないんだから、
言葉が変、ではないのか。
それにどこか複合災害全体よりも、あるいはそのなかで
原発の問題を優先させているみたいでちょっと抵抗がある。

じゃ、対案あるのか、と言われると特にない。
だいたい、対案がないなら文句言うなという言い方自体が嫌いだし、
対案なくとも違和感の表明ぐらいはしたい。
が、あえていえば、「人災」のニュアンスをも込めて
「平成大災害」なんてどうだろうと思う。
ふだん私は年号をほぼまったく使わない。
しかし、東北の災害史は、年号を冠して語られることが多く、
これがまた「年号」というものに左右/作用される、
日本という国家の歴史におそろしいほどに符合している。
あたかも、それは東北という地域と、日本という国家の関係史のようですらある。
(災害発生直後に出会った、山下文男『津波てんでんこ』という本に詳しい)

災害発生のプロセスにしろ、その後のさまざまな対応にしろ、
天災でも人災でもあるという意味で「災害」であり、
さらに、それは「平成/日本」なる時空ならではの展開となり、
そして、原発・放射能災害では、
その日本という存在自体が、周辺(だけですらないぐらいに)諸国からすれば
「災害」といいたくなるような事態ともなっている。
災害ではなく、グローバルな公害である。

その自覚を持つ/持たせるために、「平成大災害」。
ま、ちょっとガメラや大魔神な大映テイストみたいだけど。

(事務局CHO=東琢磨)

遡行する(1)

2011-06-22 04:21:49 | 日記
メモ帳を見直してみると、
1月はもろもろの仕事の打ち合わせなどで長めの旅をして、
広島に戻り、少し大きめのイベントをこなした。

2月26日に上関原発建設用地の田ノ浦に出かけ、その足で福岡に行っている。
福岡では、上関原発建設に対して、
それこそ島ぐるみで反対をしている祝島の人びとの日常を記録した
『祝の島』の纐纈あや監督たちとのシンポジウムのようなものに出席したのだった。

田ノ浦訪問と福岡でのシンポから二週間もしないうちに起きたのが、今回の大災害だ。
割りと早い段階で、某誌が「東日本大震災」特集を組み、原稿を依頼してくれたので、
東北にも地震・津波にも詳しくなく、現地も見ない段階で、少し調べて考えたことを書いた。

その原稿にしろ、現地に行った後の原稿やそれ以外の機会にしろ、
「それ、見たことか」みたいな言い方になるのも嫌なので、
あまり原発のことにはふれないようにきていたような気もする。

祝島の人びとも、被災地の複雑な状況と感情を思うと、
発言がしにくいというふうにおっしゃっているとも伝え聞きした。

しかし、考えてみると、その後の、特に反/脱原発の動きをみていると、
祝島の人たちがどれだけ先進的であったのかが、
これだけ早く、それも広範なカタチで証されるとは、
あらためてなんとも複雑な気がする。

今まであまりに言葉では届かなかったことが、
空前の事故を目の当たりにして、
これだけの広範な反応を引き出したということは、
すさまじい悲劇だ。
言葉がどれだけ無力かということでも悲劇である。
私は本業はもの書きなので、
言葉の無力さをつきつけられるということは、
そのまま生業を否定されることに等しい。

ところが、である。
世の中にはもっともっと恐ろしいことが待っていた。
この衝撃についてこそを、ゆっくりと語っていきたい。

(事務局CHO=東琢磨)

宋神道さんと災害

2011-06-21 12:58:33 | 日記
『インパクション』180号が届いた。
特集は「震災を克服し原発に抗う」。

目次を見て、すぐに目についたのが、山内明美さんという方の「南三陸<感情島>」。
お邪魔してきて、自らの感情がかき乱された土地というのもあり、さっそく目を通す。
東京で暮らす南三陸出身の方によるもので、とても考えさせられる文章だ。

なかに宋神道さんの災害避難の様子が詳述されていた。
宋神道さんは、2009年の映画祭で上映した『俺の心は負けてない』の「主人公」。
広島にもお呼びしたいと思ったのだが、なにせご高齢で断念せざるをえなかった。
従軍慰安婦とされた経験を訴え出たハルモニで宮城に住んでいて、
なんとかご無事だったと伝え聞いてはいた。

で、山内さんの文章には、少し詳しく遭遇と避難の様子が報告されている。感謝。
ホントに命からがらだったみたいだけど、ご無事でなにより!

とりあえず、『俺の心は負けてない』で、宋神道さんに魂を震わされた方々にご報告まで。
詳しく知りたい方は、『インパクション』180号、ぜひ。

(事務局CHO)

ハイボールとホッピー

2011-06-21 02:48:40 | 日記
ハイボールやホッピーをよく見かけるようになった。
ちょっと前からなんだかブームらしい。
(もうだいぶまえのブームみたいだけど)
昨年だか一昨年に、飲み屋に入って、「お、ハイボール」と頼んだら、
若い人に「ブームですもんね」といわれ、「え? あれ? そうなの?」と。

四捨五入すれば50歳になる人間、それも飲んだくれが、
ブームで酒は飲まない、食い物も食わない。
好きなように呑み、好きなように食う。
だから、ようは懐かしかったのだ。
むかしは喫茶店でも必ずあった。
1990年前半の渋谷で働いていた頃、駅前の喫茶店で仕事をさぼっては、
ハイボールを飲んでた。
ビールより安くて、ハラがだぶだぶにならずにいい感じで酔える。
一時は、ハイボールなんてものもなくなっていたので、「お」となったわけだ。

ま、ブームというのはいいもので、
コンビニでもブラック・ニッカ、ソーダ水、氷を売るようになり、
どこでも自分で作って呑める。
ハイボール缶はいただけない。
あれは、なんだかハイボールの本来の味や爽快感がない。
なぜかは知らないが。
というわけで、しばらく、何かにつけては友人たちと、
平和公園でハイボールバーを勝手に開いていた時期もある。

先日、広島の友人たち+東京の若者と、仙台の呑み屋に入った時、
ホッピーを見つけて頼んだら、誰も知らなかった。
これもそこそこ歴史があるはずだが、
長いあいだ、東京ローカルの飲み物だったようだ。
私が学生の頃は、とにかくよく呑んだ。
これまたビールより安い。
労働者と学生の酒だ。
(ハイボールは、サラリーマン、ホワイトカラーの気取った安酒だ)

知らない方のためにいうと、ホッピーはノンアルコールの炭酸飲料で、
普通のと黒があるが、黒がお薦め(理由は特にない)。
で、焼酎と氷の入ったジョッキが来るので、瓶からホッピーを次いで混ぜて呑む。
すぐにはホッピー本体はなくならない。
だいたい、飲み干したら、焼酎だけ頼んで、またホッピーを加えて呑む。
ホッピー一本でだいたい三杯くらいいけるんじゃないか。
ホッピーと漬物、揚げ出し豆腐ぐらいでじゅうぶんにしあわせだ。

ホッピーは、なんだかカラダにいいということではやったらしい。
ちなみに、ニューヨーカーのミュージシャンの知人は、再会した瞬間に、
「ウィスキー・ソーダ飲むか?」ときいてきたが、
やはり気取った飲み物ではないようだ。
が、どちらもどこでも呑めるのはうれしいことだ。

(事務局CHO)


萬古焼にひとめぼれ

2011-06-21 00:44:18 | 日記
ちょっと前に、宮城の「ひとめぼれ」を安く売っていたので購入。
普通に炊いてみたのだが、旨い!
仙台の中華屋さんでご飯の超大盛りっぷりに驚愕しつつ、
もう食が細いトシなのに食えてしまったのは、お米のうまさのせいかと、
あらためて気づいたほどだ。

今日、ちょっとした流れで、
昨年、縁のある方にいただいた、三重・萬古焼の土鍋で炊いてみたら、
びっくりするぐらい旨い!
うちにあるやつは、普通に鍋をするぐらいの大きさだが、ちょうど5合炊けた。

昨年、何カ所かに居候したりした際に、電気炊飯器がないので、
鍋で炊く日々が続いてけっこう慣れてしまったのもあるのだが、ま、やってみるか、と。

電気炊飯器で炊いても旨かったのだが、しかし、やはり、土鍋は違う!
実はいただいてから知って、さらに忘れていたのだが、
特に萬古焼の土鍋は、ごはんを炊くのにいいらしい。
(国内で流通している土鍋の8~9割が萬古焼らしいけど!)
ふううん、へええと思って調べてみると、炊飯土鍋は形が違うようで、
さらに火加減調節もしなくていいらしい!
でも、普通の鍋でも全然大丈夫というよりすごい。
とはいえ、萬古焼の炊飯土鍋も欲しくなってくるなー(笑)。

見た目も味も食感もまるで別物。
なんというのか、粒のひとつずつまでしっかり炊けて、もちもちした感じになる。
米としての存在感がまるで違うのだ。

土鍋で炊くの難しくない? という人もあろうかと思うけど、意外に簡単。
若干、きちんと番をしないといけないのだけど、
お米一合に対してワンカップの水、あるいは、指の関節ひとつぶんちょいぐらいの水。
(まあ、人によって指の長さが違うので、要注意だが)

あとは、強火で一気に炊いて、
湯気がピューと出て、蓋のまわりに吹き上がってきたら、
弱火にして10分ほど炊く。
心配だったら、くんくん嗅いでみて、微妙に焦げの臭いがしないかで判断する。
それだけで、電気炊飯器よりも早く炊ける。
火を止めて、蒸らして、混ぜて、また蒸らすにしても、かなり早い。
で、おまけに先に書いたように旨すぎる。

炊きあがって、電気ジャーに入れておいても、それで炊いたよりははるかに旨いままなので、
土鍋で炊いて、電気ジャーで保温という組み合わせもいいかも。

節電云々で、土鍋炊きに注目というのもあるらしいが、
それはともかく、やってみそ。

(事務局CHO)

東北支援を(勝手に)再考する。

2011-06-20 13:08:34 | 日記
土曜日は、小林美佳さんのお話を聞いて、少し挨拶をしたあと、
友人たちでだべり、己斐に向かった。
己斐公民館で、東北支援に関する小さな集まりがあったからだ。

障害者や高齢者の支援を独自のネットワークで展開しておられる方々も参加しての、
非常に有意義なものだった。

今回の東北支援の現状、その悲惨さを帰結させているひとつには、
実のところは、「ボランティア」のある種の集中管理によるものがあるのではないかといったことも、
スムーズに話ができて、さすがに全国ネットで独自の動きを日頃から展開されている方々は違う、
と、少しもやもやが解消した感じ。
終了後の飲み会で伺った話も非常に興味深いものが多かった。

率直に言って、官公庁のボランティア担当者、これまた半官のような社協(社会福祉協議会)がくわわり、
登録制などの制限をおこなうという、「阪神以後」の管理形態が、
現実のところ、作業を遅らせている側面はきちんと指摘され検証されるべきではないか。
また、一方で同時に多くの人びとが独自に的確な動きをしたことも。

たしかに初期の最大限の混乱期には、自治体や社協による管理も仕方ない面もあるかもしれないが、
放射能被害に対する対応と同じで、命や救援よりも「秩序」を優先するあり方が露骨に出てしまった感がある。
義援金にしろ、さまざまな言い訳がなされているが、
多くの人びとの善意を踏みにじることになっている、なりかねないのは、
秩序や管理を重んじる(時にそれは「平等」主義を隠れ蓑にする)官僚主義によるものにほかならない。

決定権や指揮権、予算を持ち、そのことを仕事にしている連中が、
ほとんど何も出来ない、いまだにできていない、という事態は、原発に関わることだけではない。
私たちは、きちんと現実を見て、決まり事からではなく、
常識と感情からまともにものを考え、声をあげるべきではないのか。

実際のところ、被災地格差も起きてきているようだが、まったくまったく全然、人が足りないというのが現実だ。
また、給料を取っている人たちが管理をして、
無給のボランティアが疲弊しながら働いているのも不条理なハナシではないのか。
今すぐ、即座に、被災地に、また支援者に予算を投下しろ。
労働は有償でおこなえ。
機能しているとも思えない管理部門ではなく、現地に現場に予算を使え。
せめて地方自治体だけでも、被災地の地場産業にのみカネを使え。

そんなこんなを腹の底から怒りを持って思う昨今である。

(事務局CHO=東琢磨)

ブライアン、死す!

2011-06-20 12:23:54 | 日記
2009年の映画祭でも上映した『ブライアンと仲間たち』の早川由美子監督から、
同映画の「主人公」でもあるブライアン・ハウさんの訃報が届きました。
既に、BBCなどでも報じられているそうです。

6月18日、肺がん。享年62歳。
国会前での抗議活動を開始して、この6月2日で10年目を迎えた直後のことだったそうです。

極東の島国にも勇気と笑いを届けてくれたブライアン・ハウさんのご冥福をお祈りいたします。

(事務局CHO)

蛇足というと、なんですが。

2011-06-20 03:52:11 | 日記
先の小林さんの講演会、レポート提出もあったのかもしれないが、
警察学校の諸君は、さかんにメモを取っていた。
それはともかく、彼ら/彼女らにも、小林さんの話しに心を震わされた若者は少なくないと思う。
場のあり方はともかく、人間として警察官として、彼ら/彼女らの今後に活かされればいいなと、
心から願う。

(事務局CHO)