Happy in Seattle

コーヒー飲みながらの~んびりと日々の生活で感じたことをシアトルからお届けします。

母の日に思うこと

2006年05月15日 | 思うこと



私と母は遠く離れています。天国とシアトル。今ではこうして、テレビの上で私のことを見守ってくれています!テレビ見過ぎって注意されそう。ワハハ。

母が亡くなったのは私が24歳のとき。母が47歳でした。幼稚園の頃に両親が離婚したため、私は母と二人で暮らすようになりました。「遠いところに出張に行ってる」なんて、ドラマにでてきそうな嘘の理由を最初は信じていました。成長するにつれて「あれ?離婚してたん?」と気づき、別にそのことに対して何を思うわけでもなく自然に受け入れて生活してきました。母とは何でも話し合える、隠し事の全く無い親子関係でした。いつも色んなことを応援してくれて、アドバイスしてくれました。明るく生きるということを教えてくれたのも母。私にとって一番大切な人でした。

私が15歳になるまでは大阪の難波で喫茶店を経営、その後は夜に仕事に行っていた時期もあります。そんな時、私は一人で過ごすことが多かったのですが、どれだけ遅い時間に帰ってきても必ず朝は起きて毎日美味しいお弁当を作ってくれました。そんな愛情をしっかりと感じていたからこそ、いつも通じ合っていられたんだと思います。時間はすれ違うことはあっても、しっかり愛情を示すということは大切なんですね。今振り返れば、私なんて料理も洗濯も掃除もしないダメな娘でした。はは。もっと協力できることがあったのでは?と思うとチクッと胸が痛みます。

いつも、どんなんときも笑顔で見守ってくれて母は私の心の支えでした。いつもいつも一緒だった母と離れて暮らさなくてはいけなくなったのが18歳のとき。母の再婚でした。母には女性として自分の人生を生きて幸せになってもらいたかったので、再婚には大賛成でした。しかし、残念ながらそれは幸せというものではありませんでした。母がその人と一緒に生活するようになったのは、私が17歳のとき。そのときも私は反対しませんでした。ただ一緒に生活しだすと、母と私が仲良く話をしていても怒る、お酒を飲んでは暴力を振るうといったようなことが始まりました。私が一緒にいることが原因なのではないかと思い、18歳のときに私は一人で生活することを選びました。今でも覚えています。私がワンルームのマンションで生活を始める日。母も一緒に来てくれて、「ごめんね。」と泣いていました。どんなときも笑顔を忘れない母ですが、それ以降は泣いていた日も多かったと思います。私が家を出ても状況はかわらず、夜中に裸足で家を飛び出して来たと電話があり迎えに行ったことも何度もあります。私が「おはよう朝日」という番組のリポーターをしていた頃です。私は強い性格ですが、母の年齢や性格を考えると、辛くてもその状況を変える事が出来なかった母の気持ちというのも理解が出来ます。でもこれはDVで悩んでいる人の典型的なパーターンだと思います。どこかで踏み出さなくてはいけないのですが、クモの糸のようにからまってしまった糸を解けないと諦めてしまうのでしょう。そして何とかやり直せるのでは?と考えるようです。一度は家を出ても戻ってしまうという繰り返しです。そんな状況の中、母の仕事の合間にランチしたりお茶したりする時間は母にとっても私にとっても幸せな時間でした。

私が22歳のとき。3ヶ月間バスなどでアメリカを旅することになりました。空港まで見送りにきてくれて「夢がかなって良かったね。」と私の手を握り泣いていました。たった3ヶ月の旅でしたが、自分が飛び出せない分、私には自由に生きて欲しいという母の願いだったのでしょう。外の世界へと踏み出していく私の姿がまぶしく見えたのかもしれません。

その後、母に癌がみつかりました。余命1年という宣告。年を重ねれば、いつかは天国に召されるわけですが、まさか自分の家族が・・・考えたこともありませんでした。必ず通らなければいけない道ですが、それが突然、あと1年と告げられたときにはショックでした。それを知って生きていける母ではないと分かっていたので、母には最後まで余命のことは告げませんでした。ただ何も言いませんでしたが、あと数年かもしれないと思っていたようです。「治療は辛いけど、必ず治るから頑張ろうね!」と励ましました。母も「ママ頑張るからね。」と私の手を握って言ってくれました。手術が終わって退院。母は無事退院できたことを喜んでいましたが、それもつかの間。しばらくして再入院を告げられました。病気のことに関して、母は私に弱いところを見せたことはありませんでした。「頑張るから、心配しないで。」といつも明るく笑顔でした。そんな母が泣いていたというのを聞いたのは、母が亡くなったあと、ご近所の方からでした。「また再入院することになった。もう戻れないかも・・。」と泣いていたそうです。私には決して見せなかった涙です。頑張って一人で娘を育ててきて、再婚して苦労して、そして癌なんて・・・神様どうして?と私もいっぱい悩みました。死なんて考えたくないという時期もありました。でも治療に関して出来ることは精一杯やって、その反面、残された時間を母と楽しく過ごそうと切り替えました。

入院中は毎日お見舞いに行きました。まだ母が大部屋で元気なときは、あっさりしたものが食べたいという母の希望で、デパ地下でお刺身丼、そうめんなどを買って行きました。母が好きだったミックスジュースも差し入れました。阪神百貨店の地下にあるジューススタンドまで水筒を持って行き、「これにいっぱい入れてもらえますか?」というと快く応じてくださり、母に届けることができました。とても喜んでくれました。個室に移ってからは寝ている時間が多くなりました。抗がん剤の影響もあって、辛そうでしたが、それでも私のことを心配して「ママは大丈夫だから、毎日来なくてもいいよ」と言っていました。

そんなある日。ふと、泊まって看病しようかなと思い立ち、「今日からここで寝泊りして仕事に行くから!」と母に伝えました。家からビデオデッキを持って行き、一緒にビデオを観たりしながら時間を過ごすこともありました。「みきちゃんが娘でよかったよ。」と、母が私に言ったことがありました。そして、その日は寝ている時間が長くて何か夢をみているようでした。夢の中で洗濯物をたたんでいたようです。一生懸命手をパタパタと服をたたむように動かしていました。そのとき「頑張りや。みきちゃん頑張りや。」と寝言でハッキリと大きな声で言いました。夢の中でも私の応援をしてくれているんだなと思うと嬉しい気持ちと、少しずつ夢の世界にいる時間のほうが長くなってきている母をみているのが辛くもありました。

その夜、母が美貴子も疲れているだろうからと、祖母に交代を頼みました。私は問題なかったのですが、母が心配しているようだったので、一週間ぶりに祖母と交代しました。交代してから4時間後。母は天国へと旅立ちました。ずっと一緒だったのに、最期を見届けることはできませんでした。これも母の優しさだったのかなと思います。それに母からすれば、祖母(母親)と一緒で安心して逝けたのかなとも思います。

「普通に、平凡に生きていくことが難しいよ。」それが母の口癖でした。平凡というのは退屈な人生ではなく、自然に毎日穏やかな時間が流れいくということなのでしょう。私にとっても、母が亡くなるまでは平凡な人生ではありませんでした。どこかに行ってしまいたいと思ったこともあります。一人で泣きながらご飯を食べたこともあります。でも乗り越えれば必ず笑える時間がくるって思います。母はこうも言っていました。「同じ時間を過ごすなら、明るく笑顔で過ごしたいね。」

“元気に、どこででも生きていく”というのが、私の人生のテーマです。私が辛いとき、次から次に困難な問題が降りかかってきたとき、友達も支えになってくれました。でも何よりも、自分が強くなること。それが大切だと思います。私が辛いとき思っていたのは、“この世の中には辛い出来事の数が決まっていて、神様が乗り越えられると判断した人に振り分けている”ということです。だから必ず私は乗り越えられるんだって信じて頑張っていました。この先もそうだと思います。

母が生きていればと思うことはよくあります。でも振り返ることよりも、私が私らしく人生を生きていくことが親孝行ではないかと今では思っています。

10歳の誕生に母からもらったバースデーカードが今でもあります。なぜかそのカードだけが私の元に残っています。「美貴ちゃんお誕生日おめでとう。犬とママだけの寂しいお誕生日だけど、これからもママは美貴ちゃんを応援しているよ。自分の好きなことを見つけて進んでいってください。夢をかなえてくださいね。ずっと応援しています。」10歳の時にこのカードを見てどう思ったのか、それは覚えていません。でも今は亡くなった母から今の私へのメッセージのように心に響きます。とっても不思議だけど、一人になった私が寂しくないように残してくれたメッセージのように感じます。

いま、辛いことを抱えている人もたくさんいると思います。でも私もこうして色んなことを乗り越えてきて進んできたんだから、きっと乗り越えて進んでいけるって信じて、明るく、たくましく!自分で幸せを呼び寄せるように頑張ってください。私も頑張ります!

今日、シアトルで迎えた母の日に、こんなことを思ってみました。


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18 コメント

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 (ぽ~代表)
2006-05-15 18:05:44
胸がつまって、

言葉が出ません。



天国のお母様、シアトルのみきこさん、

日本にいる私達ファン・・・

みんなが顔を会わせる事は

出来ませんが、

お母様がみきこさんを応援する気持ちと

負けないくらい

私達も応援して行きます!



私の経営理念は

「共助共栄」

会社の経営理念でもありますが、

自分の’心の持ち様’でもあります。



人間一人で生きては行けない。

友人、知人、家族やペットや・・

誰かしらに支えられて生きている。



「あなたは私の鏡です」

という言葉は私の座右の銘です。

ちょっと、気に入らない人がいたとしたら

相手もそう思っています。

他人を変えるのは無理な事なので、

まず、自分(の気持ち)を変える。



そう考えると、みんながみんな

優しくなれるし、平和になると思う。



話が訳分からなくてすみません。



本当、お母様の言われる様に

’普通に生きるって、難しい’って

自分も思います。



何かが良い時、何かが上手くいかない。

自分が幸せを感じている時、

誰かが苦しんでいる。



人生をトータルで考えた時、

絶対的に’苦’の方が

多いと思います。



だから、みんな少しでも’幸せ’を感じようと

努力する。

私が、ここを訪れるのも

その’幸せ’を感じる為かもしれません。



そして、どうせ生きるなら

明るく楽しく笑顔で生きて行きたい。



本当の笑顔って、辛い事を経験した人しか

出来ないんですよね。



画面を通してですが、

これまで

みきこさんの笑顔は最高だと思っていました。

今日、謎が解けました。



いつも笑顔+パワーを貰ってます!

ありがとうございます



そして、何より

みきこさんのお母様、ありがとうございます

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強いですね (古都)
2006-05-15 18:24:22
題名を見て、想像した内容と全く違っていたので少しびっくりしましたけど

でも、どんどん引き込まれるように読みました。



あまり安っぽい事は言いたくありませんが、なんせ語彙力がないので

安っぽい表現になってしまうかもしれません。



読んでて泣けてしまいました。

それは内容が悲しいからとかではありません。

純粋に感動しました。

そうか、そうなのかぁーと思いながらテレビで見た美貴子さんや

このブログで感じ取る事のできる美貴子さんを頭に思い浮かべ

なんて強いんだろう、なんて真っ直ぐな人なんだろう、って思いました。

私ならどうだろうか??と考えました。

美貴子さんの様に、真っ直ぐに受け止められないんじゃないかと思います。

きっとどこかで何でなの??と何かを恨めしく思うと思います。



美貴子さんにもいろんな感情があったでしょうけれど、それを感じさせない今の美貴子さん。

それが凄いなと思ったし、グングンと前に進んでいく強さを感じました。



今の私を恥ずかしく思いました。

一体、何やってるの?!私!!と本気で思い、なんだか喝を入れられた気分です。



色んなことがちっぽけに思えました。それは、いい意味でですよ。

なにか、自分の中がザーッとリニューアルされたような感じです。





なんと言うか、いい文章をありがとうございました。

私もまた気持ちを新たに頑張れそうです。





ちなみに、私の人生のテーマは

『いかに色々な事を楽しんで、経験して生きていくか。』です。
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言葉がありません (masa)
2006-05-15 20:48:19
貴重なお話、ありがとうございます。

考えはまとまりませんが、今後の自分にも役立たせられるようにしたいと強く感じました。
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有難うございます (belumon)
2006-05-15 21:32:32
衝撃を受けました、内容を読ませていただき色々な事が頭の中を飛び交っています。

masaさんと同じくこれからの自分の歩んでいく人生に凄く大きなお話しでした。

私事なんですが、

私は幼い頃DVを体験してきました、私にではなく父から母へです、毎日学校から帰ると裸足では家の中を歩くことができませんでした。夜中も母を護るために深く眠ることが出来ず、出来ないというよりも寝てしまえば何が起こるか分からなくて寝てはいけないと自分に言い聞かせていたせいかもしれません。小学生なのに父が休みだから日曜日が嫌いで嫌いでしかたがありませんでした、そして自分自身もいつの日かアダルトチルドレンでした。私の母は、凄く元気で明るくおしゃべりな母です、そして私を連れ出し一人で私を育ててくれました、本当に母には感謝しています。またまた私事ですが今月結婚しまして、新たに家族が増え、兄弟も出来ました。家族の暖かさ、優しさを更に感じました。そして今から新しい家族を作っていきます、昔の体験を忘れず暖かく安らぎのある場所を作ります!!私と母が望んでいた家庭を造ることが、私の母にとってそれこそが本当の喜びなのでは無いかと思います。そして私の妻、これから生まれてくる子供の為にも。
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感じたこと (ちびおちゃん)
2006-05-15 21:53:09
私は美貴子さんのお話を見て親の存在を改めて考える機会を頂きとても感謝しています。



なんか上手く表現できなくてごめんなさい。







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ありがとうございます (としお)
2006-05-16 08:30:29
私も母子家庭で過ごし、母を一人実家に

残してきております。2週間に一度は実家に

帰って兄夫婦と共にわいわいやってます。

ただ照れもありなかなか素直に話合う事が

できませんでしたが、今回のお話を聞いて

僕なりに少し考えんといかんかな~と

思いました。離婚した父とも会える環境には

あるものの、きっかけがなくここ2年は会う事が

できてませんが、電話の1本もいれてもようかと思います。

会える時に会わないと後悔するかもしれませんし・・・

返信する
そうだね! (ゆうちゃん)
2006-05-16 11:04:53
美貴のママの死は、美貴と一緒に過ごしてきた中で、一番つらかった出来事です。

車の中で淡々と余命の話をする美貴の顔が今でも鮮明に残っています。

辛い気持ちをぐっとこらえて・・・。



私も、美貴と一緒にその時を過ごしていて、親の大切さを身にしみて感じたし、美貴を支えて行きたいな、とも思いました。



美貴のママのお見舞いには何度か行きましたが、最後に行った時に美貴のママに

「ゆうちゃん。美貴ちゃんの一番のお友達はゆうちゃんだから、これからも美貴ちゃんと仲良くしてあげてね。よろしくね。」といわれたのを思い出します。



すごくしんどい体で病室だったらゆっくりお話が出来ないから外に行こう、っておっしゃって、廊下のベンチでお話しました。



病気だったけど、常に身奇麗にされていて、とても美しかったです。



思い出をいっぱい残してくれた美貴のママは本当に素晴らしい女性でした。



美貴は健康そうで、強そうにも見えますが、本当はとっても繊細で弱いところもあるので、あんまり頑張りすぎないでほしいとも思います。美貴のママの分まで長生きして、私達をいつまでも楽しませてくださいね。

で、ママゆずりの女性らしさもずっと持ち続けてくださいね~。
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V (ocean breeze)
2006-05-16 15:13:52
みきちゃん、



大切な想い出を共有してくれて本当にありがとう。

友人は家族ではないけれど、きっとそれに限り無く近いものになれると、いつも勝手にそう信じています。 そしてみきちゃんにはそういう存在がたくさんいると思います。 俺はそれほどみきちゃんに近い友人関係ではないし、小さい接点でしか時間を共有してないから、この言葉はきっとたいしたことないとは思うけれど、ここで自分が頑張って結果を残すことでみきゃんの励みになると信じて頑張ることにします。

自分らしく生きていることが、きっとみきちゃんを美しくしているのだと思います。 心から 応援しています。
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言葉がありません (blessing)
2006-05-16 20:19:11
美貴子さんの元気で明るい笑顔の裏には、こんな思いがあったとは…。お母さんとの大切な日々を語ってくださってありがとうございました。胸が詰まりました。

これからも応援し続けます。
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Unknown (めぐ)
2006-05-16 21:02:24
美貴ちゃん

大切な想い出をシェアしてくれてありがとう。

辛いこと、悲しいことを乗り越えた分、人には優しくできる、って言うけど、それは本当なのかもしれないね。

美貴ちゃんが、いつも優しい笑顔で接してくれるのは、ママのおかげなのかもしれないね。

美貴ちゃんのママに感謝!

Happy Mother's Day!!!
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