Happy in Seattle

コーヒー飲みながらの~んびりと日々の生活で感じたことをシアトルからお届けします。

8年ぶり!!

2018年10月29日 | 思うこと

Facebookが中心となり、ブログの更新はなんと8年ぶり!!久々に読み返してみると、自分の思っていたことを客観的に読むことができ楽しめました(笑)

Facebookのようにどんどん流れていく感じではなく、「ゆっくり誰かと話ができる感じがブログにはあって良いな」と改めて思いました。時々は、ブログで思ったことを書いてみようと思います。

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♪ Stop This Train ♪

2010年09月14日 | 思うこと
最近ドライブ中に、John Mayer の Stop This Trainという曲をよく聴いています。流れるようなリズムが緑の中のゆったりしたドライブにとてもあっています。
検索するとヒットするので、ぜひ曲を聴きながら今日は読んでください♪

この歌に出てくるTrainとは「人生」のこと。「走り出した列車の速さについていけなくて列車を止めたいのだけれど、一度走り出した列車を自分たちで止めることはできない。走り続けていく・・・」という歌。曲を聴いてもらうと分かるのだけれど、歌詞はとてもシンプルです。でもそこに込められた思いは深いなと感じます。走っている場所はそれぞれだから、聴く人によって感じ方が全然違ってきますよね。みなさんは今どんなことを感じ、どんな場所を走っているのでしょうか。

「人生」ってなんだろう?と、ふと考えることがあります。この歌のように、この世に生まれて走り出したら自分では止められないと私も思います。路線を間違えたり、時間通りに着かなかったりと様々なハプニングはあるけれど、目指す場所を探して走っていれば、必ず目的地にはたどり着くと信じています。目的地で大きく息を吸って一息ついたら、また次を目指して走り出す。その繰り返しなのかな。たくさんの駅を巡って、色々な景色を楽しんで、ふと振り返ると気がつかないうちに驚くほどの思い出ができている。失いたくないもの、とどまっていたいと思う場所があるけれど、先に進めばまたそんな大切にしたいことに出会えるのだと思います。止まらないこと。生きて前に進んでいくことに意味があり、なぜ自分がいまこの路線を進んでいるのかなと迷うことがあっても、進んでいけばその意味が見つけられるのかなと思います。そしてまた目の前には違った景色が広がっているのだと思います。

飛行機に乗り、電車に乗り、船に乗り、ときには気球に乗り・・。仕事で色々な国を旅して素敵な出会いがたくさんありました。そんな旅のように、私も自分という列車を走り続けて、素敵な人生の旅ができたらいいなと思う今日この頃です♪
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あけましておめでとうございます♪

2009年01月01日 | 思うこと

☆HAPPY NEW YEAR☆
久々登場!
前髪のカット失敗した林美貴子です。
短くなりすぎたあ~(笑)


みなさま、今年もよろしくお願いします!

昨年はロケで帰国した際に心理学の講座を受講しました。基礎心理カウンセラーの資格を取得したのですが、今年は少しでも周りの人達の心が元気になるお手伝いが出来たらなと思っています。もちろん自分の心が元気で健康でいることがまず大切!


友人の石原さゆりちゃんと一緒に受講し卒業しました。
写真は東京での卒業パーティーの様子です。

さゆりは研究コースまで進み頑張っています。私はアメリカに住んでいるので長期間通えないためまだ基礎しか学べていませんが、とても実りある講座でした。チャンスがあればもっと心理学を学んでみたいと思っています。

心理学は自分の心を知るきっかけにもなります。自分の心の声をちゃんと聞けると、コミュニケーションがスムーズに行くことが多いんじゃないかなって思います。簡単なことのようだけど、素直になって心の中にある本当の思いや言葉を伝えることは
案外難しいって思いませんか?特に身近な人にはちゃんと伝えられていないのかも。心配だから言ったことがついついケンカ腰になってしまう。自分勝手な期待をしてその通りにいかなければ腹をたてる。感謝の言葉をちゃんと伝えられていない・・・など。家族や友達だからこそ伝えなければいけない「思い」や「言葉」をだせずにいることがあるって講座で気づくこともありました。ハッピーには「いつも一緒にいてくれてありがとうね。長生きしてね!」って毎日話してかけているんだけど(笑)また今回学んだ心理学を活かして、もし誰かから相談を受けたら、
その人の気持ちが晴れて少しでも明るくなれるお手伝いができればいいなと思っています。

2009年。私の研究テーマは「心」かな。自分の「心」。自分以外の人の「心」。しっかりと心の声を聞けるようにしたいな。

さあ、はじまったばかりの2009年!
張り切っていきましょう~!お~っ!(笑)

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2008年もありがとう

2008年12月31日 | 思うこと

みなさん、2008年もありがとうございました!

みなさんの2008年はどんな年でしたか?

いっぱい笑いましたか?
いっぱい喜びましたか?
いっぱい感動しましたか?
いっぱい幸せを感じましたか?
いっぱい食べましたか??←これ重要ですよ~(笑)

私がいつも大切にしたいと思うのは「心の元気」。それが体の健康にもつながると思います。今年は悲しいニュースもたくさんありましたね。特に、心に問題を抱えている人が増えているように感じました。

人は誰だっていろんな悩みを抱えながら生きていると思います。でもその苦しみを他人に向けてしまうというような事件が特に多かったのではないでしょうか。見えない心の問題を解決するのは簡単なことではないけれど、自分自身の気持ちを落ち着かせる方法を見つけておくのはいいことなんじゃないかな。

例えば私の場合・・・
神社に行くと気持ちが落ち着く。
山に行って木に触れると、木が大地から与えられている生命を感じ私もその生きる力をもらえる気がして元気になれる。
時々母親の写真や心の中にいる母親に話しかけてみる。天国から言葉での答えはないけれど、頑張れって応援してくれているような気持ちになる。

もちろん近くにいる友人や家族が相談にのってくれるのが良いことだけど、自分が一人で出来る心の落ち着け方をみつけておくと役立つと思います。寂しいと感じたとき、孤独だと感じた時にどうやって自分で一歩先に進んでいけるかというのは大切ですよね。

そんなことを考えず、楽しいこといっぱいで気楽~に生きていけるといいんだけど、そうはいかないこともあるのが現実。だけど日々の生活で小さな幸せをみつけて楽しい毎日にできるかは自分次第。当たり前のことでも、小さな出来事でも、楽しい!って感じる心を持っていることは大切ですよね。「今日は新しい味のドーナツに出会えた!やった~♪やっほ~♪きゃっほ~♪・・・」と大げさなくらい?!(笑)

迎える2009年。「心の元気」を忘れずにいれば、これからも楽しいこと嬉しいこと幸せなことが向こうからやってくると信じてます!

さあ幸せたちよ、遠慮せずにどんどん私のところへやってこ~い!
みんなのところへも飛んで行け~!!

みなさんが幸せな2009年を迎えられますようにシアトルから祈ってます。

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オリンピックで感じた「努力」

2008年08月25日 | 思うこと

北京オリンピック閉会しましたね。
私はシアトルから日本選手の応援をしていました

アメリカではNBCというテレビ局が独占放映で、毎日アメリカの活躍を中心にオリンピックの模様を伝えていました。日本のようにタレントが出演してのショー的な要素ではなく、キャスターが伝える正統派なスポーツ番組といった感じです。世界をリードするアスリートたちの活躍をみているだけで色んな刺激を受けますね。

今回、日本人選手のコメントなどを読んでいると「努力」という言葉が度々登場していました。日本を代表する選手になるまでの「努力」は、その一言では表現しきれないことがたくさん詰まっているんだろうと、その重みを感じます。

選手達の活躍に私たちも熱くなって感動できるのは、本物だからなんでしょうね。日々の積み重ねによってもたらされた結果は、言葉で伝えなくても、誰の心にも感動となって届くんだなと思います。

そして自分の日々の生活思い起こしてみる・・・
今すぐできる簡単なことも先延ばしにしてたり、ほんの少し頑張ればいいことなのに毎日続けられなかったり。オリンピックで頑張る選手たちを応援しながら、自分の「努力」について考えさせられました。

2008年オリンピックを機に、私も「努力する人を宣言します!」

神様お力をおかしください~(笑)

最近は涙流して喜んだり悲しんだりできるほどの「努力」はしていなかったな。それだけ積み重ねたことが少ないのかな。どんなことも自分で納得のいく「努力」ができていたかが大切なんですよねよ~し、また熱くなるぞぉ!←すっかりオリンピックに影響されてます(笑)
この気持ちが持続しますように・・。

あ、また神頼み?!




頑張ってー!と応援してくれる、ゆる~い今日のハッピー。
「お腹なでて~。」

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メッセージありがとうございます。

2008年01月10日 | 思うこと
皆様、メール&コメントで新年のメッセージありがとうございます。
2008年もみなさんと赤い糸で結ばれていますように!

今は大阪に帰ってきています。
また大阪からブログ更新しますね。

シアトルに比べると暖かいです。シアトルは空気が乾燥しているせいか、気温が10度くらいあっても肌にさすような空気の冷たさです。今の時期シアトルは朝から快晴という日は少ないので、大阪で朝から太陽の光を浴びると気持ちがよかったです。ただビルの合間から見える空は少し狭く感じますけどね。

トラベラーズのカナダ編はどのあたりまで放送しているのでしょうか?毎回すべての放送が終わってからスタッフに送ってもらって観ています。そのときは自分もまた旅を振り返りながら楽しんでいます。みなさんにもカナダの旅を楽しんでもらえていると嬉しいです!
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エアポートにて

2007年11月13日 | 思うこと

ただいまシアトルの空港です。日本に帰りま・・・・・せんが、帰る人を見送っています。空港は私が好きな場所のひとつ。日本にいるときも、旅に出なくても時々空港に出かけていました。なんだかどこか遠いところに自分も近づけるような気がしない?飛び立つ飛行機や旅立つ人と同じ空間にいることで、自分も心だけはどこかに連れて行ってもらえそうな、そんな気分になれます。心旅人。言い換えると空想?妄想!?アハハ。

ときには空想や妄想も必要です!毎日同じ場所で生活していても、頭の中でいろんな場所にいる自分、どこで何かを感じてる自分を“空想”する時間はドラマを観ている様な、本を読んでいるような感じかな。もしかしたら現実になるかもしれないし、全く現実感がないことなのかもしれないし。頭の中でちょっとお出かけすることで、気持ちも幸せになったり、切なくなったり。“空想”から何かアイデアや新しい感情の芽生えに気づくこともあるしね。“空想”“妄想”それは想像力ということだと思うんだけど、それを働かせていろんなことを考え物語を作ることは、何かを伝える仕事をしていると大切なことだと思うんだよね♪そしてその想像力は、ときに人と人とを繋ぐコミュニケーションには必要だと思うんです。みなさんから届くメールやコメントも、どこでどんな事を想って送ってくれてるのかなって想像しています!

今日も空港で空想にふける美貴子でありました~。ではみなさん空想の世界で会いましょう!(笑)

いつでもどうぞ♪  howdymikiko@mail.goo.ne.jp

 

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再会

2006年07月19日 | 思うこと

9年ぶりの懐かしい友達との再会。しかも予期せぬ形での再会でした。

日曜日の出来事。
日本から遊びに来ていた友達と近所のモールにショッピングに出掛けました。最初に入ったショップ「Ann Taylor」で試着をしようと服を握り締めていた私に「みき姉?」と、どこからか声が・・。「みきねえ」と久々に呼ばれてすぐに反応できなかったのは、もう何年もそう呼ばれていなかったから。そして目の前に立つ女性の姿もスッとはいってきませんでした。なんだかよく分からない、でも目の前に知っている姿が・・・という感じでした。それは9年前、一緒にオハイオで語学学校に通った友達でした。たった3ヶ月。だけど、人生でとても大切な時間となった3ヶ月。その時間を共に過ごした友達が、なぜかBellevueのモールに立っている。私の目の前にいる!言葉を交わす前に涙がこみ上げてきました。そして目の前にいる友達も目を真っ赤にして泣いています。お互い何故ここにいるのか頭では理解できないまま、ただ再会できた喜びが心の中にワーッとこみ上げてきました。

「なんでここにいるの?」と聞いてみると、隣町に5月に引っ越してきたとのこと。「It's a
small world !!!!」まさにこの言葉がピッタリです。広い世界、広いアメリカでお互い引っ越してきて隣町に住むなんて信じられません。しかも偶然に出会えるなんて!奇跡!

連絡を取り合っているオハイオ時代の友達と彼女の行方を心配していたりしました。オハイオを出てからも交流はありましたが、いつからかメールも変わってしまって連絡先が分からず、また会えたらなあって思っていました。まさか実現するとは・・。しかもBellevueで。

彼女に再会できた喜びと共に、不思議な気持ちが湧き上がってきました。彼女もあまりの偶然に手が震えていました。偶然の出会いというよりは、必然のような感じさえしました。なぜなら、その日彼女に出会うまでの時間を考えると、まるで無駄な動きのようにみえた過ごし方さえも、全てはこの時間に合わせてあったかのように思えたからです。1秒ずつの時間の積み重ねが、全て理由があったかのように思いました。本当にそうだと思います。

まず私の場合。
日本から来た友人の裕ちゃんと朝からスーパーマーケットへ。裕ちゃんがドライヤーを買いたいと探していたのだけれど、気に入った物がなくて色々試してみる。結局その中で一つ見つけて購入。その後モールの中にあるショップを見て歩く。特に欲しいものが無かったのでただウロウロ。そしてTully'sで休憩。車でBellevueのモールへ。たまたま車をとめたパーキングからモールに入るとAnn Taylorから近いところだったので二人でお店に入ることに。試着してみようと服を数枚手に持ってお店の中をウロウロ。そしてキャッシャーの前にいた友達と再会!

友達の場合。
彼女の町にあるCOSTCOでお買い物。でもお肉を買ったので家に戻ってお肉を冷蔵庫へ。その後モールへ。Ann Taylorで買い物をしてお会計をすませ、帰ろうと思ったときに私と再会!

恐らくお店の中でも10分ほど一緒にいたと思うのですが、全く気づきませんでした。試着室にさっさと入っていれば会わなかったし、裕ちゃんが気に入ったドライヤーをすぐに見つけていたら会わなかったし、再会した友達がお肉を買っていなければ会わなかったし・・・色んなことが積み重なって、私と友達とが交わる時間がうまれたんだと思います。ほんの一瞬交わる時間。全てがうまく繋がってうまれた奇跡の瞬間!こうしてうまれた時間に、ありがとうの気持ちでいっぱいでした。

早速、昨日は二人でお出かけ♪話しているうちに、久しぶりに開いたアルバムのように、一ページずつ記憶の片隅にあった懐かしい思い出がよみがえってきました。

みなさんも、It's a small world ! という出来事はありますか?

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母の日に思うこと

2006年05月15日 | 思うこと



私と母は遠く離れています。天国とシアトル。今ではこうして、テレビの上で私のことを見守ってくれています!テレビ見過ぎって注意されそう。ワハハ。

母が亡くなったのは私が24歳のとき。母が47歳でした。幼稚園の頃に両親が離婚したため、私は母と二人で暮らすようになりました。「遠いところに出張に行ってる」なんて、ドラマにでてきそうな嘘の理由を最初は信じていました。成長するにつれて「あれ?離婚してたん?」と気づき、別にそのことに対して何を思うわけでもなく自然に受け入れて生活してきました。母とは何でも話し合える、隠し事の全く無い親子関係でした。いつも色んなことを応援してくれて、アドバイスしてくれました。明るく生きるということを教えてくれたのも母。私にとって一番大切な人でした。

私が15歳になるまでは大阪の難波で喫茶店を経営、その後は夜に仕事に行っていた時期もあります。そんな時、私は一人で過ごすことが多かったのですが、どれだけ遅い時間に帰ってきても必ず朝は起きて毎日美味しいお弁当を作ってくれました。そんな愛情をしっかりと感じていたからこそ、いつも通じ合っていられたんだと思います。時間はすれ違うことはあっても、しっかり愛情を示すということは大切なんですね。今振り返れば、私なんて料理も洗濯も掃除もしないダメな娘でした。はは。もっと協力できることがあったのでは?と思うとチクッと胸が痛みます。

いつも、どんなんときも笑顔で見守ってくれて母は私の心の支えでした。いつもいつも一緒だった母と離れて暮らさなくてはいけなくなったのが18歳のとき。母の再婚でした。母には女性として自分の人生を生きて幸せになってもらいたかったので、再婚には大賛成でした。しかし、残念ながらそれは幸せというものではありませんでした。母がその人と一緒に生活するようになったのは、私が17歳のとき。そのときも私は反対しませんでした。ただ一緒に生活しだすと、母と私が仲良く話をしていても怒る、お酒を飲んでは暴力を振るうといったようなことが始まりました。私が一緒にいることが原因なのではないかと思い、18歳のときに私は一人で生活することを選びました。今でも覚えています。私がワンルームのマンションで生活を始める日。母も一緒に来てくれて、「ごめんね。」と泣いていました。どんなときも笑顔を忘れない母ですが、それ以降は泣いていた日も多かったと思います。私が家を出ても状況はかわらず、夜中に裸足で家を飛び出して来たと電話があり迎えに行ったことも何度もあります。私が「おはよう朝日」という番組のリポーターをしていた頃です。私は強い性格ですが、母の年齢や性格を考えると、辛くてもその状況を変える事が出来なかった母の気持ちというのも理解が出来ます。でもこれはDVで悩んでいる人の典型的なパーターンだと思います。どこかで踏み出さなくてはいけないのですが、クモの糸のようにからまってしまった糸を解けないと諦めてしまうのでしょう。そして何とかやり直せるのでは?と考えるようです。一度は家を出ても戻ってしまうという繰り返しです。そんな状況の中、母の仕事の合間にランチしたりお茶したりする時間は母にとっても私にとっても幸せな時間でした。

私が22歳のとき。3ヶ月間バスなどでアメリカを旅することになりました。空港まで見送りにきてくれて「夢がかなって良かったね。」と私の手を握り泣いていました。たった3ヶ月の旅でしたが、自分が飛び出せない分、私には自由に生きて欲しいという母の願いだったのでしょう。外の世界へと踏み出していく私の姿がまぶしく見えたのかもしれません。

その後、母に癌がみつかりました。余命1年という宣告。年を重ねれば、いつかは天国に召されるわけですが、まさか自分の家族が・・・考えたこともありませんでした。必ず通らなければいけない道ですが、それが突然、あと1年と告げられたときにはショックでした。それを知って生きていける母ではないと分かっていたので、母には最後まで余命のことは告げませんでした。ただ何も言いませんでしたが、あと数年かもしれないと思っていたようです。「治療は辛いけど、必ず治るから頑張ろうね!」と励ましました。母も「ママ頑張るからね。」と私の手を握って言ってくれました。手術が終わって退院。母は無事退院できたことを喜んでいましたが、それもつかの間。しばらくして再入院を告げられました。病気のことに関して、母は私に弱いところを見せたことはありませんでした。「頑張るから、心配しないで。」といつも明るく笑顔でした。そんな母が泣いていたというのを聞いたのは、母が亡くなったあと、ご近所の方からでした。「また再入院することになった。もう戻れないかも・・。」と泣いていたそうです。私には決して見せなかった涙です。頑張って一人で娘を育ててきて、再婚して苦労して、そして癌なんて・・・神様どうして?と私もいっぱい悩みました。死なんて考えたくないという時期もありました。でも治療に関して出来ることは精一杯やって、その反面、残された時間を母と楽しく過ごそうと切り替えました。

入院中は毎日お見舞いに行きました。まだ母が大部屋で元気なときは、あっさりしたものが食べたいという母の希望で、デパ地下でお刺身丼、そうめんなどを買って行きました。母が好きだったミックスジュースも差し入れました。阪神百貨店の地下にあるジューススタンドまで水筒を持って行き、「これにいっぱい入れてもらえますか?」というと快く応じてくださり、母に届けることができました。とても喜んでくれました。個室に移ってからは寝ている時間が多くなりました。抗がん剤の影響もあって、辛そうでしたが、それでも私のことを心配して「ママは大丈夫だから、毎日来なくてもいいよ」と言っていました。

そんなある日。ふと、泊まって看病しようかなと思い立ち、「今日からここで寝泊りして仕事に行くから!」と母に伝えました。家からビデオデッキを持って行き、一緒にビデオを観たりしながら時間を過ごすこともありました。「みきちゃんが娘でよかったよ。」と、母が私に言ったことがありました。そして、その日は寝ている時間が長くて何か夢をみているようでした。夢の中で洗濯物をたたんでいたようです。一生懸命手をパタパタと服をたたむように動かしていました。そのとき「頑張りや。みきちゃん頑張りや。」と寝言でハッキリと大きな声で言いました。夢の中でも私の応援をしてくれているんだなと思うと嬉しい気持ちと、少しずつ夢の世界にいる時間のほうが長くなってきている母をみているのが辛くもありました。

その夜、母が美貴子も疲れているだろうからと、祖母に交代を頼みました。私は問題なかったのですが、母が心配しているようだったので、一週間ぶりに祖母と交代しました。交代してから4時間後。母は天国へと旅立ちました。ずっと一緒だったのに、最期を見届けることはできませんでした。これも母の優しさだったのかなと思います。それに母からすれば、祖母(母親)と一緒で安心して逝けたのかなとも思います。

「普通に、平凡に生きていくことが難しいよ。」それが母の口癖でした。平凡というのは退屈な人生ではなく、自然に毎日穏やかな時間が流れいくということなのでしょう。私にとっても、母が亡くなるまでは平凡な人生ではありませんでした。どこかに行ってしまいたいと思ったこともあります。一人で泣きながらご飯を食べたこともあります。でも乗り越えれば必ず笑える時間がくるって思います。母はこうも言っていました。「同じ時間を過ごすなら、明るく笑顔で過ごしたいね。」

“元気に、どこででも生きていく”というのが、私の人生のテーマです。私が辛いとき、次から次に困難な問題が降りかかってきたとき、友達も支えになってくれました。でも何よりも、自分が強くなること。それが大切だと思います。私が辛いとき思っていたのは、“この世の中には辛い出来事の数が決まっていて、神様が乗り越えられると判断した人に振り分けている”ということです。だから必ず私は乗り越えられるんだって信じて頑張っていました。この先もそうだと思います。

母が生きていればと思うことはよくあります。でも振り返ることよりも、私が私らしく人生を生きていくことが親孝行ではないかと今では思っています。

10歳の誕生に母からもらったバースデーカードが今でもあります。なぜかそのカードだけが私の元に残っています。「美貴ちゃんお誕生日おめでとう。犬とママだけの寂しいお誕生日だけど、これからもママは美貴ちゃんを応援しているよ。自分の好きなことを見つけて進んでいってください。夢をかなえてくださいね。ずっと応援しています。」10歳の時にこのカードを見てどう思ったのか、それは覚えていません。でも今は亡くなった母から今の私へのメッセージのように心に響きます。とっても不思議だけど、一人になった私が寂しくないように残してくれたメッセージのように感じます。

いま、辛いことを抱えている人もたくさんいると思います。でも私もこうして色んなことを乗り越えてきて進んできたんだから、きっと乗り越えて進んでいけるって信じて、明るく、たくましく!自分で幸せを呼び寄せるように頑張ってください。私も頑張ります!

今日、シアトルで迎えた母の日に、こんなことを思ってみました。

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あけましておめでとうございます

2006年01月02日 | 思うこと


Evaと道頓堀観光 大阪での懐かしい一枚

2005年は生まれ故郷の大阪を離れて、関東→アメリカへと引っ越しました。大阪には数え切れないほど思い出がたくさんあります。幸せな思い出もあれば、もちろん悲しい思い出もあります。全て含めて私が生きてきた大阪の町の思い出です。やはり大阪を離れるときは寂しかったです。私はどこでも生きていけるタイプですが、土地や人に対する愛着もとても強いので、どこかを離れるときは実は心の中では人一倍寂しく思っています。(告白!)それだけ自分で愛すべき環境を作ることも大切だし、また周囲の人たちも私が愛したくなるような環境を作ってくださっているのでしょうね。

2005年は新しい道へと進みました。私がいつも決断するときは、ただ自分が信じる方向へと進む・・・それだけです。実はバーモントに留学する際、周囲の反対を受けました。順調に進んでいる仕事を辞めてまで留学しなくても良いのでは?と皆に言われました。ただ私はその先にきっと何かある気がして決断しました。そのことがあったからこそDisneyで働くチャンスを与えられ、ホリプロという事務所に出会い、所属できたからこそ漫才という驚くような道にも進み、また海外に出る仕事がしたいという願いも通じてTravelers Englishにも出会うことができました。新年第一回のブログは人生話になりましたが(笑)ここアメリカに引っ越してきたのも、遠く遡ればどこかで決断して進んだ道がここにつながっていたんだなと思います。

今年のブログには、過去のことも含めて色んな話をしていこうかなと思っています。よく考えたら、私の人生の話なんてしてなかったですよね。なぜこの仕事に進んだのか、どうしていつも元気なんですか?なんて質問もメールでいただくことがあります。そんなお話も時々はしたいなと思います。

さて、大阪を離れてはじまった私の新しい道・・・この先はどこへ進んでいくのでしょう。皆さーん、今年も応援してくださいね。そして、私も皆さんの生きる道を応援してます。これからもこの出会いを大切にしていきたいです。

お互い素晴らしい一年にしましょう!!

2006年1月1日 Bellevueにて

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