朝119-57-61夕方130-58-63十時118-57-65朝八時過ぎに起きる、お茶スイッチ、冷たい牛乳飲み、お茶湧いてパン、納豆の朝食、薬、血圧計り記入終わり九時前、少しパソコン触り綿屋の歴史をチェックする、十時に止めて昭作さんに聞いた観音寺の印刷屋に電話して確かめる、後木村屋に弁当買に行く、ダイエットするつもりで普段より少ない買い物、昼飯食べて自治会費集めに回る、一軒だけ仕事に行く居ない、明日長寿会の弁当貰いに行く前に行こう、少しスーパーの中歩くだけでも足の筋肉痛く歩けない、おまけにパソコンのし過ぎか目霞み見づらい、姿勢はパソコンやり過ぎで猫背になっているから頭上げようとするが首が痛くなる、一遍に老化現象が爆発、昨年までは少し足痛くなる程度、今年は筋肉が痛くなり始末に負えない、まだ調べ物しょうとの気力あるから良い方だと思う、夜風呂から出て中村さんに電話して綿打ちかえか、打ち直しと言って居たか確認、序に港での爆弾で亡くなった六人の名前書いたと知らす、綿屋の歴史に数太郎が綿屋の他に問屋、金貸しをしていたことも書いた、後時計の寫眞とるのと国貞神社を表紙にする予定なので写真撮り直しすること。印刷屋にCDでは駄目になることあると言われたから取ってみるか。
朝135-66-63夕方155-73-67十時120-54-633朝七時過ぎに起きる、お茶にスイッチ、冷たい牛乳飲み、お茶でパンと納豆朝食、薬、血圧計り記入が八時半、新聞読み、都と話し、パソコン触り、明洋さんに確認のため電話、裏の畑とのこと、後で電話しますで木村屋に弁当買に行く、行く途中から目の中に黒い物が飛びだす、帰り目霞み見えにくい、帰ると十一時半、下剤飲み、明洋さんに電話、重太郎さんの事確認、重太郎さん綿屋止め機械満州に送り隠居、婆さんと二人関谷で暮らす、蒲団に綿どのくらい使っていたか、掛けに二貫目、敷きに一貫目入れて蒲団拵えていたと教えてくれる、弁当食べて合田昭作先生に何処で本作ったか尋ねる、観音寺の印刷屋でA4の大きさで百部一寸作る、十一万とられる、親切な印刷屋と教えられる、観音寺に行く、ジョイで除草剤買い、駅に行き五月十七、八の倉敷中央病院行くための切符買、駐車場予約する、帰り印刷屋を確認して帰る、昨日から食事控えている、腹が出て来たので少し痩せるため、夜マルナカに行き車まで歩いていると左膝がくっと何回かなる、帰ってもなる、歩かないから筋力落ちたか。最近左膝下の痺れ出ない、足裏側の筋肉のイタミは酷くなる。パソコンよくする為か頭前に大分倒して普段居る、気が付いたから頭上げているが首痛い
朝114-53-66夕方152-72-63十時125-58-64朝八時過ぎに起きる、お茶にスイッチ、冷たい牛乳飲む、お茶湧きパン納豆で朝食、薬、血圧計り九時半、昨夜頭ふらふらしたから身体怠い、十時ごろよりパソコン触る、十一時半に下剤飲み、十二時半まで新聞読む、一時前に弁当食べ始める、一時半よりまたパソコン、書き直したり入れたりして二時になる、母神に打ちっぱなしに行く、初めはこの前より振れて少し飛ぶ、三分一打つと腕怠くなりクラブ重い、下叩くようになる、汗少し出る、今日は休みながら打った、足庇い腕だけで打っていた、晩飯前にパソコン触り座っていると足の痛み出る、右股関節の痛みも出て来た、運動不足でふらふらしていたか、今は出ない、今綿屋の歴史に明治三十年十一月の箕浦小学校の資料一日分入れた、校長送別式二時全員字関谷まで見送ると有り、職員校長入れて四人、四学年まで、女子は五年は裁縫専修生、女子想像以上に少ない、教師四人で事足りるのだから、しかし少ない。私が寝るのは午前一時、朝八時に起きれば丁度よいと思う。
朝137-64-70夕方110-53-67十時114-50-65朝七時に起きる、お茶にスイッチ、冷たい牛乳のみ、お茶湧いてパン納豆で朝食、薬、血圧計り八時半、労災に行く、泌尿器科に行く、西先生の名前ない、受付で聞く、三月三十一日で退職、今坂出の聖マルチン病院に居ます、水野さんに紹介状書いてもらう、土曜井下でも行くかと思い帰りかけたが折角丸亀まで来ているしと病院に電話してみた、午前中、十一時半までとのこと、道順聞くが南口とのこと、南口は十年ほど前東京行きのバスに乗る為五六回行っただけ、何とか三十分で辿り着く、キリスト系の病院、受付の子鈍い、やっとぎりぎりに受け付けてくれる、尿検査異常なし、膀胱上横と取るが小便溜まっているだけ、次にカメラ入れられる、画面見ていた、きれい、悪いとこ無し、イタミ腰からきているのだろう、しかし膀胱、尿道痛くてたまらない、三時半ころ木村屋により弁当買帰る、帰ってハガキ見ると聖マルチン病院名誉院長となっていた、弁当置いて薬貰いに回生堂に行き、帰り西部により終戦後何をしていたか聞く、ガラ紡と聞いたとのこと、帰って関谷の綿屋の歴史に書く、何か所か間違い訂正、今頭ふらふら、顔右側痺れて倒れそう。最近眼精疲労かパソコンの字読みずらい。明日打ちぱなしにゆけるか。
朝147-67-63夕方125-55-67十時130-62-61ヒーター点けたら暖かくなり血圧下がる、朝八時半に起きてお茶にスイッチ、冷たい牛乳飲む、パン納豆で朝食、終ったころお茶湧く、薬、血圧計り九時半、山地に五月二週の件で連絡無いからする、合田が言っているのは昨年の予定表、今年は今年の予定表で見るのが常識、宝将から八時半スタートの連絡、中村に満州に行った名前、三十一年の会社の出資者の中村に付いて尋ねに行く、表、裏から声掛けても出ない、帰って電話する、出る、要件云って尋ねる、誓さん関谷で終戦後最初にホームスパン織りだした、会社の名前、好雄さんとこのお祖父さんの名前らしいと言われる、帰る、一時に昼飯、二時からパソコン添わる、三時に電話見ると十二時過ぎに中村の電話番号あり、電話すると好雄さんとこのお祖父さんと言われる、正明は政明と言われる、これで終戦後綿の無い時西武は何をしていたかと思う、中村に教られた名前、四国の戦後の仕事など書いて立ち上がると右股関節痛く動き辛い、痛いし急に出太、右足を前に出すと痛い、夕方になると立って居ても右股関節痛くなってきた、風呂に入りここに来て検索すると関節の奥の筋が痛むらしい、明日からは完全に動きが制限される、右の尻の中がイタミ出して居る、股関節の痛みと関係ありか、末実さん来て内の講中無くなると言われる、年寄り三人しか居ない、後は若い人達、道具なども金だして捨てたとか、講中は江戸時代から続く助け合いの組織、葬式など講中が仕切ってやっていた、二十日に集まり御詠歌などやるから止めたくなるのだ、これは付けたし、組織を固めるためにやり始めたこと、家から出る時に茶碗を割る行事なども忘れられてしまう。末実さん鐘叩く人も居なくなると心配していた。あれはの人達に別れの挨拶する知らせ、他所から嫁に来たら面倒な行事だと女性達は思うのだろう。江戸時代から続いた一つの文化が消えるか。すると辰巳の行事も終わりになる。