朝143-59-62夕方158-74-63十時114-54-64風呂から出て一時間低いはず、八時過ぎに起きる、朝小便出ない、急いでお茶沸かしお茶飲む、牛乳、パン、納豆で朝食、薬、血圧計り九時半、小便出る、朝起きて肌着だけでお茶湧くまでパソコン触っても寒くない、十時過ぎ木村屋に弁当買に行こうとすると背中寒く為る、帰って十一時半下剤飲み、関谷の綿の歴史少し直す、一時に食事、後宝将にコーヒ飲みに行く、月一のゴルフ四週の火曜との事、大西の國退職した来月からゴルフに來ると言って居た、帰って関谷の綿の歴史に豊浜の明治の綿屋を書きこむ、三軒の屋号、木綿織布の家など電話帖見て書く、だいたい書き終わる、後弓の写真を撮らせてもらい入れる、秀雄はんにマイキリ関谷で一番初めに入れたか聞きに行くこと、くどぐど書いている所の文章直せば終わり、資料はきちんと入れたと思う、関谷のため池の事も書いた、一枚の田圃に一つの池、こんなにため池ばかりの所無い、殆ど埋めてしまい田圃になっている、関谷は雨が降らない証拠になるか。市に云っても調べもしない、これも一つの民俗学の資料となる、出鱈目な讃岐三白などに補助しないでちゃんと調べとくことだ、地味な資料が後で役に立つ。