朝132-55-70夕方147-62-76今八時前173-71-69昨夜十二時半に布団に入る、一時頃には寝たと思う、目さますと六時過ぎ眠いので直ぐ七時過ぎになり起きる、母屋に行きお茶にスイッチ、牛乳飲み、バナナ、パンで朝食、目薬注して、薬飲み、新聞見て八時過ぎにパソコン開き天気予報、ニュースなど見て九時過ぎに身体変になり止めて横に成る、十時半に起きてユニクロに昨日買ったズボン取に行き、ハローズに弁当買いに行く、足痛いが我慢して手押し車押して買い物して、ガソリン入れる、稔から久保の勝ちゃん昨日救急車で岡山に行ったと教えてくれる、心臓と肺に水が溜まり前も救急車で岡山の榊原に行ったし一月に五回もゴルフにいっていると教えてくれる、十二時に帰る、昼飯食べだす、十二時半に終わる、薬飲み、パソコン開き、ゴルフ、野球など見ていると二時前に疲れたので仰向けに成り休む、三時過ぎに母屋に行く、お茶飲み、風呂に湯入れるかと思っていると東京の青木から電話あり、上野亡くなったと娘から手紙来たと教えてくれたので娘の住所聞いて書き留める、青木は元気、ゴルフに行ったり、明日の日曜には市に頼まれて透谷の講演すると言って居る。二十分話す、風呂に湯入れる、四時二十分に入る、四時四十分に出る、体重七十四キロ、晩飯食べだす、五時二十分に終わる、目薬注して、湿布薬貼り、薬飲み六時前に此方に移る、パソコン開き天気予報、ニュース見て上野の娘に手紙書き出す、万年筆は目が段差有るので止めてパソコンで書いて印刷して七時四十分、七時五十分に今日の日記書き出す。上野の人生楽しみ有ったかな、昭和六十年に教員止めて病院暮らし、おだやかな顔して居たが以後は凄い目付きになって居た、娘が二人、下の娘は中学生の時変な奴に引っかかり上野が金出して組止めさして二人を遠いとこに置いたりしていたし妹の婿には財産取られて無くなり、嫁とは離婚して変な病院で暮らして一生終えた。