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昭和四十九年の豊浜町史明治四十年綿屋四十軒すごい

2014-10-15 21:13:35 | 日記・エッセイ・コラム

朝132-45-56夕方135-51-64今八時半129-56-61昨夜十時過ぎに豆菓子食べる、十一時に終わる、十二時半に寝る、朝六時前に目さまし七時に起きてパソコン開き検索、八時に母屋に行き目薬、御茶沸かし、バナナ、パン納豆で朝食、新聞読み、ブログ書く、十時半にハローズに弁当買いに行く、帰って十一時過ぎる、十一時過ぎに薩摩芋焼く、十二時半ころに昼飯食べる、一時過ぎに終わる、二十日のゴルフに着てゆく薄いジャンバー探すがいろいろな物の下になっているか見つからない,厚いジャンバーでも着てゆくか、何せ寒い、血流の関係だと思う,三時に図書館に改めて昭和四十九年の町史見に行く、すごい事書いてある、明治四十年に関谷に綿屋四十軒,従業者二百十二名とある、讃豊合資会社名前、精米業していたとある、謄本取って書いているがどうして最初の讃豊合資を書かないのか、納得できない、家の都合か、この町史の協力委員に綿屋関係者二名の名前ある、五枚コピーして四時過ぎに帰る、五時前に歩き出す、四十分位掛りやっと家に帰る、六時過ぎに晩飯食べる、六時半過ぎに終わる、目薬、薬、八時前に此方に移りパソコン検索して八時半頃より日記書き出す、国貞神社の白黒写真あり七福神社の松林の前に有った物何百回も見ているが気にした事ないので初めて見る感じ、真ん中折れている、昭和四十六七年ころの写真、送り鐘とこの写真いれてもう一度綿谷の歴史書き直す、綿売り調べて全員書くつもり、誰も生存者居ない。