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沖縄戦から65年。

2010年06月23日 | 社会
      



                                                 
      



 地上戦で多くの住民が巻き込まれた沖縄戦から65年。
沖縄は23日、犠牲者を悼む「慰霊の日」を迎えた。激戦地となった沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園では、就任後初めて沖縄を訪問した菅直人首相も参列し、「沖縄全戦没者追悼式」(県主催)が開かれた。
約5500人が参列した。

 仲井真弘多知事は式典で読み上げた平和宣言で「基地負担の軽減、普天間飛行場の危険性の除去を早急に実現することは、沖縄だけの問題ではなく、国民全体が等しく取り組むべき課題だ」と呼びかけた。
また、現在の日米安保条約と日米地位協定が23日で発効から50年を迎えることに触れ、「大きな節目の年を契機として、沖縄の過重な基地負担が県民の目に見える形で軽減されることを願ってやみません」とも訴えた。

 あいさつに立った菅首相は「いまだに沖縄に米軍基地で大きな負担をお願いし続けている。全国民を代表しおわび申し上げます。他方で沖縄の負担がアジア太平洋地域の平和につながってきたことにお礼も申し上げます。今後、負担軽減と危険性の除去に一層真剣に取り組むことをお約束致します」と述べた。

 式典では、普天間高校3年の名嘉司央里(なか・しおり)さん(17)による平和の詩の朗読もあった。

 沖縄戦の犠牲者や沖縄出身の戦没者らの名を刻んだ「平和の礎(いしじ)」には、早朝から多くの人が訪れた。

 那覇市の元高校教諭喜久里(きくざと)勇さん(79)は、1945年4月に本島南部の戦闘で亡くなった通信兵の兄(当時20)の銘の前で座り込んでいた。

 当時住んでいた久米島の港から兄を見送った。
家族が残った久米島では、日本兵による住民虐殺などで多くの人が亡くなったと伝えられている。
「こんな悲劇のあった沖縄に、また戦争をするための施設をつくろうとしているのが、どうしても私には理解できない」と話した。

 夫の父の慰霊に訪れた沖縄市の比嘉(ひが)ナツ子さん(66)は「この1年、沖縄の基地が少しでもなくなる、と望みを持っていた。でも、今は危機感ばかり。戦争につながるものはなくなってほしい」と語った。

 平和の礎には今年、新たに80人が刻銘され、総数は24万931人になった。


「基地負担、国民代表しおわび」沖縄慰霊の日式典で首相
asahi.com(朝日新聞社): - 社会






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