本願寺月光蟲です。
東京に出て来てもう20年です。
私が東京にでてきてびっくりしたのは「米がおいしくない」ということでした。
だが、これは実は間違いで都内でも凄く美味しい米はいくらでも食べれます。
そして、酒も飲めないし味もわからないのに「刺身もひどいなあ」と思ったりもしました。
これも同じでいくらでも美味しい刺身は食べれる。
東京の場合、お店が多くなおかつ金持ちと貧乏人が一緒に住めるわけでピンキリ。
だが、どうしても一人暮らしで金のないガキにしてみたら安い店にいくしかない。
自炊の米やスーパーの刺身のほうが断然美味しいと思ってて、今でもそのなごりはある。
実家の方は刺身と米が旨い。
例えば、千円の刺身を頼んだら東京の千円と田舎の千円では出てくるものがちがう。
これは当たり前でもある。
田舎の方が少し安くて良いものがでてくるわけ。
これになれていて疑問に思わなかったてこと。
都内で長く暮らしていると「裏ワザ」的なものは住む場所関係なくあると気が付いた。
お金を出せばいいものはもちろん食べれるんだが、それは考えない事にすると、ようは市場付近で買い物したりすればいいだけの話。
東京の米、魚があまり良いイメージがないのは「水」の問題でしかない。
で、若い時に「うなぎがたべたい」「寿司がたべたい」なんて思って、食べに行くんだけど手の届く金額になると「美味しいけど・・・・さらにおいしい店があるのに・・・くやしいな」てな感じでずっと普通に食べていたんだがある日「お金をためよう」と思って一発奮起。
寿司と鰻とイタリアンのためにしばらく金をためた。
その当時インターネットもないわけで、雑誌や有名人とかの話を総合して店を選んだわけです。
で、寿司屋にいったんだよね。
とにかくお金をためるだけに集中したわけで、服装はみすぼらしいわけ。
お金を3万ももって狙ってた店にいったら店員があきらかに差別してきた。
今となっては「店にいける年齢、社会的な自分の背景」とかがあってしかるべきなんだけど。
だが、差別されて悔しい反面、高級伊太利料理に行ったら何も差別されなかった。
お店の人間の質もあるわけだが、「ああ、お金ためてきてくれたんだな」と伝わったからだと今では思ったり。
店によって格みたいなものはあってしかるべきで、なおかつガキが金さえあればどこの店にいってもいいとは思わない。
だが、「金を貯めてきた」ことに関して差別するのは少しおかしい気がする。
ようは常連だけに相手にする店があることも知ったわけ。それももちろんありなんだけど。
でも看板出してるし、お金を払うわけだから歓迎して当たり前だ。
今、私は年齢があがってきてる
年齢だけ考えたらそろそろ行けそうな店の最終段階がみえてもきている。
だが年齢だけでなく金も問題になってくるわけで、お金なければいけないわけで。
だから今でも貯める必要があるわけ。
でも、差別されたときの気持ちってのは凄く残っていたりする。
収入や地位的なものと店の格は関係あるとはおもうけれど、でも差別するような店は勘弁してほしかったりする。今でもバンドTシャツを着て高級店に「たまの贅沢」を満喫したいとか思ってたりします。