蓮の道

日々の暮らしの中で気がついた事や、感じた事などを書いています。

全体像

2007-09-30 17:52:38 | Weblog
ホメオパシーでは全体像に合うレメディーを処方すると言いますが、「全体像」って何でしょう?

クラシカルでは、身体症状も趣味も好き嫌いも、モノの考え方や人との付き合い方も、すべてを含み、全てが指し示すただ一点がその人の全体像を含むレメディーです。

だから一つのレメディーを探すのは至難の業なのです。

例えば、喉にも胃にも皮膚にも症状があるとします。そしてその人は人間関係の中に悲しみや怒りを訴え、楽しい事や喜びを感じる事もあるとします。

そこでレメディーを考える場合、喉には喉の、胃には胃の、怒りには怒りの・・・とバラバラのレメディーをいくつも飲んだら何とかなるものではないのです。
(何とかなる場合もありますが、それは根本的な治癒とはいえません)

全ての症状や感情、感覚が、なぜそのように表れるかを示すただ一点の答えがその人の全体像を含むレメディーであり、そのレメディーを飲むことで、全ての症状が動き始めるのです(理想的には)。

それが核を示すレメディーであり、その人の全体像のレメディーです。

表面的にはバラバラで理由がつながらない場合、それは浅い所でしか人の物語を受け取っていないという事です。

セッションでは、全ての症状(身体も精神も)がつながるところを探すために、くどく同じような質問をしたり、あれこれと伺ったりします。

もしも自分がどんな人であるかを最初から知っている人ならば、簡単に正しいレメディーを見つける事ができるであろうし、一回の処方で劇的な事も起こりうるかも知れません。

でも、そんなに自分の事が分かっている人っているんでしょうか?
わかっていたら、誰も苦労はしないような気がします。

私はずっと自分のレメディーを探していました。
でも、というか、やっと最近になって、それには諦めがつきました。

自分が意識して感じるところや思い当たるような所では、レメディーは見つからないのです。なぜならば、これが当たり前!と思っていて、自分では気がつかない無意識の部分でしかレメディーは見つからないからです。

セッションの時に、これを話そうだとか、これが自分です、という事は、ただのレメディーを探すための入り口でしかありません。
その入り口を探し、内へと入りレメディーを見つける事がセッションの目的です。

謎解きをしていくようなものです。

だから一回のセッションだけでは、全体像を含む正確なレメディーを見つける事はとても難しく、ホメオパシーをする事は自分探しの旅を始めるようなものなのだと思っています。

間違っていなければ、一回のセッションごとに、自分像というものが明確になって行きます。

明確になればなるほどに、正しいレメディーが見つけやすくなります。

たった一回の2~3時間(4~5時間かも)で、自分の人生の理由が見つかるほど、人は単純ではないと思います。





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