星野ジャパン発足 1.30.サンケイスポーツ(概略)
1.29.2008年北京五輪を目指す野球の日本代表コーチ陣が、都内で発表され、星野仙一監督(60)体制に、ヘッド兼打撃コーチに田淵幸一氏(60)、守備走塁コーチに山本浩二氏(60)、投手コーチに大野豊氏(51)が入閣した。
合言葉は「団塊の世代をなめちゃアカン」-。還暦の“3本の矢”を軸に、新しいJAPANが動きだす。
星野ジャパンは熱かった。40年来の盟友である星野、田淵、山本の3人が集結。還暦トリオは壇上でガッチリと両手を重ねた。
「(気温)40度…100度くらいで倒れるわけがない。団塊の世代をなめちゃアカン。意地っ張りだし、頑固だし」
戦後の高度経済成長期を支えてきた『団塊の世代』。どんな荒波が待ち受けていようと恐れはしない。
星野監督は4人のうち3人が60歳という“熟年首脳陣”に対する不安の声を一蹴した。
最強ジャパン。その自信の表れだ。プロ野球の監督経験者3人が日の丸のユニホームに袖を通し、球界の未来を背負って金メダルを目指す。
「この3人で一度は戦ってみたいというのが若いころからの夢だった。何が何でも3人で球界を盛り上げないといけないという使命感。
3本の矢じゃないが、4本の矢となりチームを作っていきたい。決して“仲良し軍団”じゃない」
東京六大学、プロでしのぎを削った3人。コーチ就任要請も“あ・うん”だった。星野監督は10日ほど前に2人を呼び出した。
田淵コーチは「阪神のとき(2001年オフ)と同じ。『行くぞ』だけ。説明はなかった」。山本コーチも「『わかってるやろな』と。
断る理由もない」と快諾した。
3人で監督通算1719勝。「投手力を軸に機動力を使ったつなぐ野球」を旗印に、2月2日から星野監督が12球団のキャンプを視察し、中旬からはコーチ陣も合流。
代表招集チェックでも『団塊の世代』の頑固さを前面に押し出す。
「お願いして出てもらうつもりはない。出たくない人は出てもらわなくて結構。
プロもアマも少年野球も含めての代表。野球界に恩返ししたい、子供たちに夢を与えたいと、喜んで来てくれる選手にこのチームに参加してもらいたい」
これが闘う集団だ。元気な“オヤジたち”の下に猛者が結集する。おれたちを見くびるなよ-。星野監督の目に『闘将』の鋭さが宿っていた。
■星野監督の闘将語録
★2人との出会い 「私は1年の春から背番号25をもらったが、法大にもキリンのように背が高くて格好のいい男がいた(田淵氏について)。
3年生くらいから弾丸ライナーの本塁打を打ち始めて、しかも鉄砲肩。調べたら投手出身ということで、だから肩がいいんだと(山本氏について)」
★チーム構成 「楽しみに見ていてください。田淵コーチが言うように機動力を含め、ここ一番で勝負強いチーム。精神力の強さは条件。監督冥利に尽きる選考ができると思うよ」
★キャンプ視察 「球界の代表として選ばれたことへの表敬訪問。シーズンの佳境の時期の方が戦力を選べる」
★今後 「3月に4人で集まって、情報交換のミーティングをする。8月くらいに1度(候補者リストを)出さないといけないんじゃないか」
★三塁コーチャー 「(山本コーチが)適任かわからんけど本人のヤル気もあるし、あいつは走塁がうまかった。走攻守のそろった選手で状況判断ができる」
つないで走って世界一田淵、山本両コーチはビジョン一致
現役時代は主砲で鳴らした田淵コーチが言い切った。
「4番はいなくていい。つなげられる技術を持った選手が、9人集まればいい。ノーヒットで1点をとれる野球がしたい」
シドニー、アテネと解説者でみてきて、感じたこと。足りないのは「足」だった。「後は勝負強さ。監督の言う『迷ったら前へ出ろ!!』と強い性格を持った選手がいい。」
さらに法大の先輩であるロス五輪・松永監督、後輩のバルセロナ五輪・山中監督にも話を聞き、相手の映像など徹底的な情報収集を行うことも明言した。
一方、守備走塁コーチをつとめる山本コーチも「相手として戦ってきた星野野球は、投手中心の足を使った野球。日本のチームの理想」と説明。
三塁コーチスボックスにも立つが「不安はあるが、一流選手だけに状況判断はできると思う。積極的に手を回すよ」と攻めの姿勢を強調した。
星野監督同様、60歳トリオの不安視も跳ね返す元気な2人。「わたしも田淵も体を鍛え直して、頑張っていきたい」と山本コーチ。2人のオヤジもまた、監督以上に熱かった。
■田淵 幸一(たぶち・こういち)
1946(昭和21)年9月24日、東京都生まれ、60歳。法政一高から法大を経て、69年ドラフト1位で阪神入団。79年西武に移籍。タイトルは新人王(69年)、本塁打王1度(75年)。
現役通算16年で打率.260、474本塁打、1135打点。84年に現役を引退。
90年ダイエー監督に就任、92年退団。監督3年間の通算成績は151勝230敗9分け、勝率.396。2002年から星野阪神のチーフ打撃コーチ。03年のリーグ優勝に貢献した。1メートル86、90キロ。既婚。
■山本 浩二(やまもと・こうじ)
1946(昭和21)年10月25日、広島県生まれ、60歳。廿日市高から法大を経て、69年ドラフト1位で広島入団。
タイトルはMVP2度(75、80年)、首位打者1度(75年)、本塁打王4度(78、80、81、83年)、打点王3度(79-81年)。
現役通算18年で打率.290、536本塁打、1475打点。86年に現役を引退。89年広島監督に就任。91年リーグ優勝。93年に退団。再び2001年から05年まで広島監督。
監督成績は通算10年で649勝681敗29分け、勝率.488。1メートル83、82キロ。既婚。
★田淵氏に聞く
●日本代表コーチの役割は
「一流選手が集まるので、技術的なことを教えるより、選手のコンディション作りを考えたい」
●アテネの4番は城島(マリナーズ)だったが、どんな打線が理想か
「シドニー、アテネでは一発を打てるメンバーが集まったが、短期決戦では4番(打者)タイプはいなくてもいい。03年の阪神も金本がいたけど3番。
つなげられる技術を持った選手が9人いればいい。キャンプ、オープン戦、公式戦を回りながら足を使えて、守れるスペシャリストを選んでいきたい」
●すでに選手をリストアップしているのか
「イメージは浮かんでいる。WBC、アテネに出場した選手を重点的には見る。とにかく相手(国)の情報が大事なので、選手の情報を映像で集めたい」
●星野監督とは長い付き合いだが第一印象は
「大学時代の4年間で22本塁打を打ったが、彼から1本も打っていない。明治魂というか、マウンドであの形相で投げられ、打てなかった。
山本コーチも含め3人、還暦のオヤジですけど仲もいいし、元気がある。このパワーを(五輪に)ぶつけたい」
★山本氏に聞く
●コーチに選ばれた心境は
「光栄で、武者震いする。この年になって勝負する気持ちが徐々にわいてきている。星野監督とは大学時代から敵同士で、一緒にやるのは初めて。
星野野球というのは投手中心にして足を使う。これは日本の代表チームの理想ではないか。うまく稼働できるようサポートしたい」
●守備走塁コーチに不安はないか
「選ばれる選手は一流で、状況判断もできるだろう。私は三塁コーチャーの経験はないが、監督として(走塁を)見てきた。試合では積極的に手を回していきたい。
ただ、われわれの役目で大事なのは、星野野球がどんなものかを選手に伝えることだと思う」
●星野監督、田淵コーチの第一印象は
「星野監督と(大学時代に)対戦したとき、法政にメッタ打ちされているのに、自軍のベンチに向かって『キャッチャーを代えろ!!』と言っていたのが印象的。
何十年経っても、その性格は変わっていませんね。田淵コーチは1年からゲームに出ていたが、私は2年の秋からレギュラー。
1年の時は(入場券の)切符切りをしていたので、負けたくないという気持ちで見ていた」
<感想>
星野ジャパンは、どんなチームを作り、どんな野球をやるのかが明確で、それを公表している。
選手たちもそのことを意識して練習や試合に臨むことができる。
意欲のない選手はいらない。この方針も素晴らしいと思う。これがチー実作りの原点だと思う。
プロの選手にとってメジャーは、年俸アップするが・・・・・オリンピックは年俸には関係ない・・・こう考える選手はていい出場しないだろう。
夢のない選手・自己中心主義の選手が増えてきている球界・・・野球少年を求める星野ジャパンにちょっぴり注目して生きたと思った。