サロン・風変わりな人材開発の宴 

人の育成について、色々な視点から書いていきます。これは、体験記であると同時に、次の人材開発施策に対するトライアルです。

「翻訳する力」

2016年11月24日 18時52分40秒 | 人材開発部門
「翻訳する力」と言っても、ここでいう「翻訳する力」というのは、語学の翻訳のことをいうのではありません。研修で得た知識・考え方を、職場に戻って自分なりに工夫して成果を挙げることを言います。これまで三回のお話では、幾分「研修屋さん」こと、研修事務局を揶揄したような言い方をしましたが、今回は、受け手を対象にしています。最近気になるのは、この翻訳する力です。これは世代論ではありません。個人差はありますが、どの世代でもあ見られます。
 全社で行う研修では、中立性を保つために特定の部門の利益を狙うことはしません。特に階層系の研修ではそうです。そうすると、研修講師の言葉が、概念的、抽象的、時には綺麗事の言葉が並び、受講者にしてみれば「それは分かっているよ」とか、「またその話か」とか言われたり、或は抽象的すぎるために「何を言っているのかわからない」とか思われてしまうのです。研修で得た知識を自分なりに咀嚼して実践できる人は多くはないと思います。だから、研修内容が「右から左」に流れてしまうのでしょう。それを言い訳にして、「研修なんか受けたって役に立たない」という人も現れる。困ったものです。
 「翻訳する力」がないというのは簡単ですが、それでは他責です。本当は、対象となっている受講者の翻訳能力を見抜かなければならない。しかし、ここで問題となるのは、研修屋さん=研修事務局の座る位置です。だいたい、教室の後方にいます。また現在やっている研修内容については、もう講師にお任せで、自分は次の研修の準備をする。その気持ちはわかるのですが、やはり講師と受講者の反応に関心を持ってもらいたいですね。そうしないと、旧態然とした研修が何年も続くのです。しかし、研修屋さんは教室の後から受講者の背中ばかり見ているものですから、受講者の反応がわからない。まぁ、せいぜい分かるのは、昼食後のコックリさんか、多少なりともメモをしている姿。そのうち、研修屋さん自身がメールをみて席を立ち、教室から出ていく。教室不在の時間が長いと、研修屋さんはもう浦島太郎の感覚になります。研修で何をやっているのかわからない。
 だいたいの研修屋さんのスタイルとは、こういう姿が多いと思います。但し、眠る状況を招くのは講師サイドに問題はあります。むろん、お金を頂いている社外の講師の方は、いろいろと指導するハウツーがございますので、受講者がコックリする回数は少ないのですが。。。
 社内の講師の場合は難しいですね。仕事はできても、研修講師としては今一つという人は、少なからずおります。それは、研修と仕事は別と考えているからか。指導するのも仕事のうちと考えてもらわないと。そこへ持っていくのは研修屋さんのお仕事かと思っているのですが。しかし、「翻訳する力」。これがある人は、実は能力というよりも、問題意識の高い人なのではないかと思っております。これについては、また別の機会でお話したいと思います。


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