さて虎御前。
大磯ゆかりの人物ですが、いったい何者?
調べてみますと、ざっと次の通り。
【生没年】
1175年~1238年
【出身地】
平塚
【家族構成】
父…都落ちの宮内判官家永
母…平塚の遊女・夜叉王
【職業】
化粧坂の遊女、いわゆる白拍子
【恋人】
曽我十郎祐成(すけなり)
【生涯】
化粧坂の遊女だった虎御前は、曽我十郎祐成と恋仲になります。しかし、弟の五郎時致(ときむね)と共に父の敵・工藤祐経を狙う祐成は、見事に仇を討ちますがその場で斬殺されてしまいました。虎御前は大磯で終生祐成の菩提を弔ったということです。

まぁ、そんなわけです。
遊女というより、静御前のような白拍子をイメージすれば近いのかと。
「曽我兄弟の敵討ち」に彩りを添える女性なのですが、フィクションかと思いきや、鎌倉幕府の公式史書「吾妻鏡」にちゃんと登場します。曽我兄弟の敵討ちに関して、重要参考人として役所に連行されますが、結局、無罪放免となったそうです。
曽我兄弟の敵討ちの時、彼女はまだ18歳。それから死ぬまで祐成を想い続けたとは、健気というか強い女性というか…。
なんとも祐成が羨ましい限りですが、そんなことを言うと、
「まず、あんたが祐成のようにカッコ良く生きてみなさい!」
と、間違いなく返される私なのでした。
全国各地には虎御前に関する遺跡が残っているようです。鹿児島県には供養塔、広島県には墓、長野県には井戸…。
そして地元・化粧坂にはゆかりの井戸(化粧井戸)です。それから大磯宿のほぼ中央にある延台寺(延台寺はいったん置いといて…)。化粧井戸は、虎御前が朝と夕、この井戸の水を汲んで化粧していたことにちなんで名づけられたと言われています。

そうそう、祐成の弟の時致の恋人・少将も化粧坂の遊女とのこと。鎌倉時代、化粧坂一帯が遊里として大いに栄えていたことの証しなのかもしれませんね。
-H-
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