goo blog サービス終了のお知らせ 

HIZAKURI

旧東海道踏破の覚書、ただし日本橋から箱根まで

平塚の塚は「ひらつか」なのか、「たいらつか」なのか?

2013年11月24日 | 平塚宿-大磯宿-小田原宿

平塚の塚。

「○△つかの“つか”ってどういう漢字書くの?」
「平塚の“塚”だよ」
「ああ、あの字ね」

なんて会話が聞こえてきそうなネーミングですが、由緒正しき「平塚」の地名発祥の地だそうです。

↑小さな緑地公園として整備されています。

案内板によると、
「昔々の、そのまた昔のことなのじゃ。
桓武天皇の孫の高見王が関東に下り此処まで来たのじゃ。
そしたらのぉ、娘の政子が…ん?真砂子じゃったかなぁ…が亡くなり、この場所に塚を築き葬ったのじゃ。
いつしかのぉ、時は流れ塚は平らになり、“ひらつか”と呼ばれるようになったのじゃ。
そんでのぉ、これが平塚の地名の起こりとなったのじゃ。
旅の者よ、しかと覚えておくがよいぞ…ゴホゴホ…」
とのことです。

確かにかつての塚は平らになっていました。

↑こちらが地名発祥の塚。

また一説によると、高見王の子(つまり政子の兄か弟)、高望王が平の姓を賜り平氏の祖となったことから、この塚は「たいらつか(平塚)」と呼ばれ、それがいつか「ひらつか(平塚)」となったとも。

ひらつか。
たいらつか。

なんかややこしいけど、此処が地名発祥の地とすることでは一致してるようです。

↑塚には「平塚の碑」が建てられています。

本当のところどうだったかは、今となっては何とも。
各地の地名の起源について、、
「○○市という市名は、この辺り一帯の地名に由来します。」
という、おおまかな言い伝えや説明はよく聞きますが、
ピンポイントで
「此処が、まさにこの地点が地名(市名)発祥の地なの!」
って名乗りを挙げてるのは、結構珍しいのでは?

そんなことを考えつつ、降ってきた雨を避けて、屋根付きベンチで雨宿り。整備された緑地公園の恩恵に与ったHIZAKURI隊なのでした。
この雨、雅な都を離れてこの地で果てた政子の涙雨かな…なんてロマンチックに想いを馳せたいところですが、
実際は
「天気予報ったら、雨は夜まで降らないと言っていたのに…何てこと!」(by 傘を忘れたU嬢)
なのでした。

-H-






にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へ     






最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。