先日たけしと爆笑問題の「日本教育白書2008」を見たけど、学校教育のあり方を考えさせられる番組だった。
もともと、最近小3の息子の参観に行ったりすることがあるのだが、国語はショートコントみたいなことを40分間やらせて、音楽はブルーハーツ系の音楽を全員でカラオケ状態で合唱。数学、社会は分からないが、あれが勉強なのだろうか?とマジメに疑問に思っていたところだった。
体罰ができない、親からのクレームが来ないようにしなくてはいけない、教育委員会への報告書の山をこなす必要がある、塾の妨げになるから宿題が出せない、など、あまりに弊害が多すぎて何もできないのではないか?
自分が子供のころは授業はむずかしく、退屈で、それはそれで厳しいと感じた。しかし、今の子供は学校を何するところだろうと思っているのではないだろうか?あれでは友達作りの場でしかないような気がする。
なんだか、楽しそうだけど、息が詰まる空間だなと思った。
昔は先生は子供にとって敵で、生徒はそれなりに団結していたような気がするが、今は先生は居ても居なくてもたいして影響なさそうなので、子供の間で敵だの、味方だのっていじめがすぐにおこりそうな気がする。
正直、あんな学校なら行かなくてもいいとすら思った。
先生もいろいろ伝えたいことがあるのだろうが、なぜあぁなっているのか?
教育白書を見る限り、親の問題と、教育委員会の問題など、既に教育現場は崩壊している様子であり、あまり期待できないのかなぁ・・とも思う。
今の子供はあらゆる意味で、劣悪な環境に置かれているのかもしれない。
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で、兄弟のような親子なんだけど、兄弟のように見えるのは良いとして、親の意識として「兄弟」って、どうなんだろうか?
人間社会は主従関係で出来上がっているのだから、親と子を兄弟としたら、家族が成り立たないような気もするが、今の流れでは親子は兄弟関係が主流らしい。
親子がキャッチボールをするのも、ある意味兄弟的かもしれないけど、何か違うような気がするのは気のせいだろうか。
ただ、刺身を出してどうこうなる問題ではないと思う。
上野選手のお母さんは、嫌われることが性に合っていると言っていたが、あぁいう人が今はあまり居ないのかな。
もともと、最近小3の息子の参観に行ったりすることがあるのだが、国語はショートコントみたいなことを40分間やらせて、音楽はブルーハーツ系の音楽を全員でカラオケ状態で合唱。数学、社会は分からないが、あれが勉強なのだろうか?とマジメに疑問に思っていたところだった。
体罰ができない、親からのクレームが来ないようにしなくてはいけない、教育委員会への報告書の山をこなす必要がある、塾の妨げになるから宿題が出せない、など、あまりに弊害が多すぎて何もできないのではないか?
自分が子供のころは授業はむずかしく、退屈で、それはそれで厳しいと感じた。しかし、今の子供は学校を何するところだろうと思っているのではないだろうか?あれでは友達作りの場でしかないような気がする。
なんだか、楽しそうだけど、息が詰まる空間だなと思った。
昔は先生は子供にとって敵で、生徒はそれなりに団結していたような気がするが、今は先生は居ても居なくてもたいして影響なさそうなので、子供の間で敵だの、味方だのっていじめがすぐにおこりそうな気がする。
正直、あんな学校なら行かなくてもいいとすら思った。
先生もいろいろ伝えたいことがあるのだろうが、なぜあぁなっているのか?
教育白書を見る限り、親の問題と、教育委員会の問題など、既に教育現場は崩壊している様子であり、あまり期待できないのかなぁ・・とも思う。
今の子供はあらゆる意味で、劣悪な環境に置かれているのかもしれない。
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で、兄弟のような親子なんだけど、兄弟のように見えるのは良いとして、親の意識として「兄弟」って、どうなんだろうか?
人間社会は主従関係で出来上がっているのだから、親と子を兄弟としたら、家族が成り立たないような気もするが、今の流れでは親子は兄弟関係が主流らしい。
親子がキャッチボールをするのも、ある意味兄弟的かもしれないけど、何か違うような気がするのは気のせいだろうか。
ただ、刺身を出してどうこうなる問題ではないと思う。
上野選手のお母さんは、嫌われることが性に合っていると言っていたが、あぁいう人が今はあまり居ないのかな。