私のお雛様
小さなお雛様をハガキサイズに描いたら、ますます小さくなりました
もうすぐ雛祭り、だからといって特別なことは何もせず、娘のお内裏様だけを飾ります。「飾る時は早く出し、お節句が過ぎたら早く片付けないと娘が片付かないよ」などと言われていました。その昔、娘は片づけるものでした。急いで片付けたおかげか娘はさっさと嫁に行き、わが家に残されたお雛様。もう段飾りを出す元気は無いので長いこと内裏様だけのお出ましです。雪洞も桜橘さえ仕舞ったままになりました。
はがれかけた所はボンドで修理して、よく見ればお雛様のお顔の少し煤けた感じも娘の歳を思えば頷けます。
スケッチした菱餅に乗ったお雛様は、屏風までの高さが11㎝、横幅は16㎝と小さくて蓋を返せばそのまま菱餅の中に納まります。
昭和20年代終わり頃、日曜学校の皆勤賞として賞状と一緒に頂いたものです。戦災で全て焼けてしまい何もなかった私に初めてのお雛様でした。玄関に大事に飾っていました。それなのに何年か過ぎた時、橘がとれて転がったのを使ってコンクリートにこすりつけて絵を描いてしまったのです。すり減った橘を見てからやっと取り返しがつかない事をしたととても後悔したことを覚えています。それからずっと橘が無いままのお雛様。今頃になって粘土で作ってみる気になりました。どうせならもう少し丁寧に作ればよかったと思いますが、70年近くたって菱餅の上に揃ったお雛様は、色は褪せていても昔のままのいいお顔です。
この他にも小学生の時に自分で作った姉様人形のようなお雛様があったのですが、いつの間にか無くなって・・・
戦災の焼け跡から掘り出した着物の焼け焦げた所を切り捨てて、紅絹裏を姫様用に、地味な柄は殿様用とそれなりに工夫して、飾っていたら近所の方に褒めてもらえて嬉しかった・・・おぼろな記憶です。
焼けて水をかぶった着物の燃え残りを捨てきれずにいた母、チョキチョキと楽しそうな私、見ていた母親はどんな気持ちだったろうかと今頃になって思います。
その母が私の娘に買ってくれたお雛様、今年も飾ることが出来ました。
娘のお雛様と私のお雛様
春から冬にもどりました。🥶寒いです。
お雛さま>
ひろさん、凄いですね。小さい頃のお雛さまがまだ、残っているなんて。私は兄が立派な大将を持っていて..私にはなくて。駄々をこねてケース入りのお雛さまを買ってもらって。中学生まではあったのですが..残しておけばよかったと。
お母さまの愛がいっぱいにつまった
二つの雛人形..宝物ですね♪
数日の暖かさに気持ちが緩んでいたので今日の冷たい風、堪えます(>_<)
でも、今日通ったら広場の河津桜はだいぶ咲きましたね ♪
小さな菱餅に入ってしまうお雛様なので、どこへも行かずにそばにいてくれます。大事にしたいです
実家のお雛様は何年も押し入れに仕舞いっぱなしだな~
せしおさんのお宅も残されたお雛様、お母様が飾られて・・・同じですね~(*^^*)
冬の間家を空けられていては飾れなくてもきっとお雛様は納得されてますよ。
お赤飯に尾頭付きとは、豪華です。
私は、ひなあられと草餅に桜餅、私が好きな物を供えています。
四女で末っ子、これも同じです。
わが家は戦災で住んでいた家も疎開先も焼けたので戦後は焼け残った小さな長屋暮らし。食べるので精一杯の両親を見ていて人形を買うなどとは思いもしませんでした。
戦前は住み込みの職人さんを置いていた暮らしでしたのに、母の方が悲しかったと思います。
好きに飾って、好きな物をお供えして、自分でいただいて、今が幸せだと思います。
僕はそれを拝読する度、年配の皆さんの経験値を少しでも吸収したいと思っています。
このご時世を切り拓いていくには、温故知新は欠かせないっス!
ひとりじっとしていると昔のことが思い出されるのです。昭和17年生まれですからね。戦争は記憶にないのですが戦後の窮乏生活は覚えています。そんな話をして見たくなるとブログに書いています。つぶやく場所があることは、少しは心を開放してくれてとても有り難いです。そんなブログですがお付き合いしていただいて有難うございまーす(*^_^*)
寒さが戻った天候ですね!
ひろさんにとって、お雛様は色々な想い出が
おありのようですね!
戦後の想い出が詰まったお雛様が70年の年日を過ぎて菱餅の上に飾って、そして、
スケッチできるなんて、素敵な物語のようです・・・
寒さが戻ってきましたね。
花粉も飛んでいて、マスクしてもクシャミしています。
古いお雛様、煤けていても私の想い出も重なってこれからも大切にしたいです。
昔のものは化学製品が使われていないので、古いなりに味がある気がします。