あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

息苦しき世間に咲きし福寿草  あきオジ

2012-02-28 05:16:55 | 日記
ランの季節が終わり
梅が咲き
そして桜
今からわくわくしています。

待ち焦がれてたまらない。
そんな感じですかね。

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小学生裸足で歩く道長し  あきオジ

おでんくう話題はいつもどれが好き  あきオジ

春いちばんふけばふいたで身をちぢめ  あきオジ

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中なかにひとりあれば月を友  蕪村

綿つみやたばこの花を見て休む  蕪村

(最近は蕪村の句を読んでも刺激されません。このようにしてこのみはぐるぐる回るのですね。最近は芭蕉に手が回りません。)

うつくしや野分の後のとうがらし 蕪村

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葬式の前になすこと思う朝  あきオジ

2012-02-28 05:01:13 | 日記
夜が明けるのが早くなりましたね。
朝4時過ぎごろに起きたすのですが、テレビでは音楽と風景だけを流す番組を放映しています。
邪魔にならずいいですね。

日本の風景もお気に入りです、
今はラフマニノフのピアノ協奏曲が流れています。

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もりもりもりあがる雲へ進む  山頭火

(俳人の歴史を知りたがり、鑑賞と称てて、食い散らかして飽きる。そんなことにならないように深読みせず、のぞき趣味にならず、表の顔だけを静かにみせていただく。そんな程度にしておきましょう。素人には素人でいることの矜持があるのです。)

風のなか米もらいに行く  山頭火

むすめと母と蓮の花をさげてくる  山頭火

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きっと、山頭火の句と放哉の句を並べてどれがどちらの句か問われたら、ほとんど分からないでしょうね。そんなことはどうでみいいことです。「あっ」という発見がうちから湧いてくる。それでいいのです。

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福寿草咲いたら咲いたでおちつかず  あきオジ

何でもない蝋梅なれど会釈する  あきオジ

挨拶もなくなる雪のすれ違い  あきオジ

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退屈もなくて昼寝の時代劇  あきオジ

2012-02-28 04:40:05 | 日記
聖橋の風景です。

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俳句はラジオ体操のようなものです。
毎日、気分を爽快にするための生活習慣です。
それ以上の意味などありません。

だいたいが俳句だとは思っていません。
むしろ、頭を活性化するための道具ですね。

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今日もまたスタイツリー立つ春うらら  あきオジ

牛のごとく確定申告するお人よし  あきオジ

葬送は無伴奏チェロ決めた朝  あきオジ

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元日を初雪降るや二三寸  放哉

両手に清水をさげてくらい途を通る  放哉

(このような「くらい」と説明する放哉にはやるせないものがあったのでしょうね。このような説明的な言葉を排除することで新しい表現を見出してゆくのですね。)

父子で住んで言葉少なく朝顔が咲いて  放哉

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繰り返し読んでいるのは、「法句経」(原始仏典)「シラ書」(旧約聖書)です。
そして遠藤周作の「深い河」です。
どうしてそうなったのか分かりませんが
そのいずれかを毎日少しずつ読んでいます。
これもお参りのようなものですね。

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