あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

自転車で廻ることも夏仕事  あきオジ

2010-08-21 20:12:47 | 日記
皇居前の噴水です。

・・・・・・

皇居を歩きました。
掃除も大変だし
管理も大変だろうと思います。
なにしろ、宮内庁があるのですから
半端じゃありません。

でも、自転車で巡回というのもいいですね。
西欧の皇室では馬に乗って・・・

もうそんな時代ではないかな。

・・・・・

たびにあきてけふ幾日やら秋の風  芭蕉

石山のいしより白し秋の風  芭蕉

たびねして我句をしれや秋の風  芭蕉

・・・・・・・

今日は宮沢賢治の歌集を手に入れてご機嫌です。
寺山修司もそうですが、初期の段階で熱病に罹ったように夢中になるのですが、多の証言手段を見いだすと、熱が冷めてしまう。それが残念ですが、溢れる才能を表現するステージとしては短歌はものたりなかったのではないかと思います。素人の考えること、頼りないですが、そんな気がします。

・・・・・・・・

「おらが春」を見ました。
一茶の生涯を追ったドラマです。
貧しさゆへに口減らしのために奉公にやらされたおさないころ
放浪して歩いた消息不明な時期
そして俳諧師として食べていこうと考え付いた時代
そして、父親の看病
そして、義母との確執
次々結婚し、結婚生活に破れ
そして、生まれてきた子供は成人まで育つことはなく
生活に疲れ、確執に疲れ
そして、子に先立たれる辛さを丁寧に描いています。
先日も記事にしましたが
そのような生い立ちが句の雰囲気に感じられます。
というか、そう言われればそうかな
その程度ですが・・・・
知ることは楽しいですね。

(思えば、一茶は信州に戻っても農業をするわけでもない、句会があるといそいそと出かけような人がらだったようです。美化する必要もありませんし、いい人に仕上げてしまうと、句の面白さにたどり着けないような気がします。)

(「おらが春」で病床の父親が一茶に「砂糖がなめたい」と訴えるシーンがあります。気弱で勝気な再婚相手にものが言えず、砂糖でさえなめさせてもらえなかった。病気になった父親は、息子に訴える。それぞれの貧しさの形があったのですね。)

・・・・・・




皇居にも深き緑の風とどけ   あきオジ

2010-08-21 18:49:25 | 日記
皇居前の木々が深い緑に覆われていました。
そこだけ夏なのですね。
それも寂しい話です。
都会のオアシス
それも奇妙な話ですが
それを、そんなものだろう
そんなことで受け入れているのだろうけれど
きっと、後悔すると思いますね。

気づいていながら知らぬふり
今気付いた
そんな言い訳が通用する時代は気楽でいいですね。

・・・・・・・・

「ゲゲゲの女房」が面白くなってきている。
子育て、じいさん、ばあさんとの関係
そして水木しげるの戦争体験をまんがにするエピソードが面白い。
骨太で戦争の本質をとらえたエピソードは迫力があり
心が痛い。

・・・・・・

夜更けの麦粉が畳にこぼれた 放哉

障子に近く蘆枯る風音  放哉

(今のところ、放哉と山頭火の句を並べられたら、どちらがどちらなのかまったく区別できません。でも専門家でもありませんし、分からないことはしかたないことだと思って、それでおしまいです。そのうち見えてくるかもしれません。)

・・・・・

はんこ屋はステテコになり昼寝する  あきオジ

2010-08-21 18:37:06 | 日記
皇居前の皇太子殿下成婚記念の噴水です。
一時は話題になりましたが、今はジョギングする人の着代え場所ですね。

・・・・・・

おちついて柿もうれてくる  山頭火

わかれてきた道がまつすぐ  山頭火

みんなたつしやでかぼちやの花も  山頭火

(山頭火は心は俳句だけれど表現は俳句になっていない。そんな言い方をする人もないでしょうが、今の私にはそんな思いで読んでいます。そのうち、読み方も感じ方も変われば何もかも変わるかもしれませんね。)

・・・・・・・

今日は、東京駅周辺を歩き
皇居内二の丸公園の庭園を楽しみ
神田古書店で本を買って
まあまあじゃないの
そんなことを言いたい一日でした。

・・・・・・

宮沢賢治は初期の段階で相当の歌を作っているのですね。
滑らかで温かな歌が多いですね。
「朝日のように爽やかに」でぼちぼち取り上げます。
興味ある方、一緒に楽しみましょう。

・・・・・・・・

肥満なる大黒様は薄着かな  あきオジ

2010-08-21 05:57:45 | 日記
しばらく鎌倉に行っていません。
江ノ電にも乗っていません。
でも鎌倉は人がいっぱい
どこに行っても溢れる程の人です。
それと、今は花の無い季節です。
足りないものがいくつもあって
物足りないのです。

・・・・・・

旅人夫婦で相談している  放哉

船をからつほにしてしまった  放哉

(季語がないので状況が見えない。でも、心象風景だけは季語がないのでストレートに入る。でも、しゃべるのが好きな私には、その周辺も知りたいので、受け止め方が一面的になってしまうし、誤解に流れやすいですね。まあ、今はそんなことです。)

秋風が暖簾をゆする蔵の街  あきオジ

2010-08-21 05:56:21 | 日記
川越の蔵の街
元気ですね。先祖が残してくれたものを商売にしている。
でも、努力が足りないので民芸品だとか
漬物
あるいは川越の名を高めた芋を商売に利用しえいる。
いかにもお手軽。
努力を重ね、工夫を重ねて磨きあげたものは見えない。

買いたがっている観光客も「土産のお手頃」で買い物をしている。
どこか変な気もしますが
その必要がないから、そのままでしょう。
必要に迫られ、その気になれば、その形が生まれるのでしょう。
評論家のようなものを言い始めた私の間違いです。

・・・・・・

動物園の猿を可愛いねと言えるのは
猿が檻の中に閉じ込められているからであって
同じ檻の中に自分も入っていたら局面はまったく違っている。
刑務所に入っている人に対するいたわりの感情も同じ。
人の心は容易に変わってしまう。
親切なことも同じ
我が子を遺棄してしまう親に対する思いも同じです。
このごろ想うことです。

・・・・・・

行く年の御幸を拝む狂女哉  子規

声高に書読む人よ冬籠り  子規

ざれ歌の手跡めでたき扇哉  子規

(技巧的で上品で教養的、そんな子規の句は、残り火の輝きのような気がします。師を乗り越えなければいけない後継者には苦難の道を与えることになります。形式においても、表現においても、新しい形を創出するしかありませんね。5・7・5にこだわり、季語にこだわり写生を大切にしている限り、時代をすくって表現できないでしょうね。素人の私にはさっぱり分かりませんが、脱皮のない蚕のようなものですね。)

・・・・・・・・

「イ・サン」を見ていますが、飽きてしまいました。
「ホ・ジュン」「チャングムの誓い」の三番煎じですね。
ここまで、時代も似たようなもので
サクセスストーリーですし
仕掛けとなる脚本も同じ
展開も同じようなものだし
人物の配置の仕方もほぼ同じ
それを繰り返されるとなると
辛抱強いファンも飽きてしまいますね。
もう、今では韓国の人の人生観、親子関係を結びつけるもの
食べ物そんなものにしか目が向いていません。

最初に見ていたら、はらはらどきどきしたのでしょうが
そうはいきませんでしたね。

・・・・・・・



ほんこやもやがて消える秋の風   あきオジ

2010-08-21 05:17:37 | 日記
難しく考えることもないでしょう。
始まるものは終わる。
同じことをしていれば終わりを待つだけ

人は脱皮を続けるしか生き続けることはできないのですね。

成長するのではなく脱皮なのですね。

・・・・・・・

わかれて遠い人を、佃煮を煮る  山頭火

鎌をとぐ夕焼けおだやかな   山頭火

やっと咲いて白い花だった  山頭火

(孤独の切なさに堪えられない日もあれば、翌日には静かない花を見つめる穏やかさになることもある。人はどうしようもない何かにつく動かされていることもあるのですね。理性や、生き方にこだわることもありますが、ときには、その頼りなさに期待できないこともあります。山頭火はそのあたりのことを十分承知していた人のように思えます。どうなのでしょうか。)

・・・・・・

最近、言葉として使わなくなったのは「希望」
なければ生きられないとは思わなくなりました。
なるようになるし、なるようになることで十分だという気がしているのですね。
ないものを求めたりするのではなく
手の届くところにあるものを一つずつ

・・・・・・・

あるいはできそうでいながら、できていないことを一つずつ

・・・・・・