あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

蓮咲きし池にただよう舟の影  あきオジ

2010-08-04 18:22:15 | 日記
昭和金年公園の蓮です。
蓮が終わりつつあります。
向日葵が咲き始めると
秋の七草のシーズンですね。
写真になりにくい花ばかりですが
それはそれ
楽しみましょう。

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もう明けそうな窓あけて青葉  山頭火

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茄子もいでぎしぎしと洗う  放哉

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放哉の「ぎしぎし」にこだわりが見える。
そんな気がするのです。
何かをかき消すような
そんな気配を感じる微妙な句に思えます。

素人おやじの何の根拠もない感想です。

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あま酒の地獄もちかし箱根山  蕪村

(熱いあま酒は暑気払いの飲み物だったとか)

去年より又さみしいぞ秋の暮  蕪村

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去年より又さみしいぞ秋の暮

お気に入りの句です。
あれこれ言いますが
素人親父は単純明快
そのものをストレートに表現した句がいいのです。
この句は、よく口にします。

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磁器の壺覆いたりし桔梗かな  あきオジ

2010-08-04 18:11:22 | 日記
昭和記念公園の桔梗です。

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「藤枝梅安」を見ていたら
しゃれた織部柄の火鉢が出てきました。
なるほど
と感心してしまいました。
秋山小兵衛の住居の中でも
堂々とした品のあるたんすができています。
準備された野菜も見事なものです。
池波正太郎の美学なのでしょうか。

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それと褌の美学がありますね。
今風でしたら褌は下着ですから
見えないように工夫するものですが
池波正太郎原作の、時代劇では褌をさりげなく見せます。
男の色気なのでしょうか。

鬼平犯科帳でも剣客商売でもそうです。

他の時代劇もそうなのでしょうか
あまり、他の時代劇を見ないのでわかりませんが
日本的美意識だとすれば
外国の人は「これぞ日本」と思うでしょうね。

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蝉啼くや僧正房のゆあみ時  蕪村

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蕪村の句にはときどき突如
僧侶が登場します。
傍観的風景として登場しますし
季節を象徴する存在だったりします。
でも趣味的風景であっても
尊敬の対象にはなっていません。

時代はそこまで進んでいたのでしょうか。

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向日葵は豆腐うりに顔を向け  あきオジ

2010-08-04 18:03:34 | 日記
昭和記念公園の向日葵です。

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あら涼し裾吹く蚊屋も根なし草  蕪村

(蚊屋は蚊帳のこと 根なし草とは浮草のこと)

二人してむすべば濁る清水哉  蕪村

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蕪村の句にはときおり、色気を感じたり
意味深い句もありますね。
そうでなくては面白くない。
冗談も駄作もあっていいし
もっと猥雑な句があってもおかしくない。
そう思うのです。

いつからでしょうか
「猥雑」さを闇に追いやったのは?
今の時代もそうですが
いびつのように思えるのです。

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今日もまた桔梗開く古戦場   あきオジ 

2010-08-04 06:37:52 | 日記
昭和記念公園の桔梗です。
本当は、こんな咲き方をしていたのでしょうね。
芭蕉の時代にみえたものと今の時代にみえるもの
きっと、似て非なるもなのでしょうね。

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俳句
作ればいいだろう
そんな開き直りで作っています。
まだまだ、あれこれ目の前のことを取りあげて
とりあえず作っている。

そんな感じですが
振り返る余裕が出てきました。

今わかることは、作ることが気にならなくなったことでしょうか。
何でもいいからつくっちゃえ
そんな勢いだけしかありません。

でも、作るのが「嫌だ」という気持ちは抜けてきました。
それが大きいですね。
「恥ずかしい」「かっこつけたい」という思いが抜けてきましたかね。

まだ、過去の句を読みなおして「恥ずかしい」「消してしまいたい」
そんな思いはまだありませんが
いつか、そのように思うときもあるでしょう。

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昨日は山本薩夫監督の「不毛地帯」を見て
昭和の時代の男の友情
そして、武骨さに懐かしさを覚えました。
時代は流れていき
とどまることなく
変化していく。
そんなことなのでしょうかね。

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ぼろ着てすずしい一人があるく  山頭火

分けいれば水音   山頭火

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水玉をささえるシランのしなやかさ   あきオジ  

2010-08-04 06:30:27 | 日記
昔は花の種類も少なく
梅、櫻、卯の花、女郎花
鳥といえば郭公、ほととぎす
雁に鶴

扱われている種類は
意外と少ないですね。(調べれば膨大な数があるのでしょうが・・・)

今の時代なら
薔薇でも百合だけでも相当の種類があります。
それを、どのようにとらえるべきか分かりませんが
分類し、「仕分ける」のが現代とだすれば
「だから何なの?」ということになります。

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めっきりと秋めいた風が法衣のほころび  山頭火

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芭蕉の目蕪村の目でみる夏模様  あきオジ

2010-08-04 06:21:00 | 日記
昭和記念公園の蓮です。

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現代の人の眼だけでなく
芭蕉が見ている視点
見方
蕪村の感じ方
切り取り方
「ああ、こんなこともあるのかな」

そんな他人が見ている双眼鏡をお借りして
景色を楽しんだり
驚いたりする。
そこが面白いのかもしれません。

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風の中声はりあげて南無観世音  山頭火

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山頭火を評価しない専門家は多いと思います。
句が未熟であり、軽い
そんなことがあると思いますし
定型であっても表現できることを
自由律に崩している。
そんな批判もあるかもしれません。

そんなこと素人には関係ない。

他人と違った形式を求める。
これは、専門家としてもっとも大切なことに思えます。
また、表現の独自性を見いだす。

そんな山頭火の姿が好きです。

でも、全体としてなるほどと思っても
個々の句は「あれれ」というのが多いですね。

そのうち、その気になってくるかもしれません。
繰り返し、読みたくなる。
そんな気分にさせてくれるからです。

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