あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

秋深く私も歌う「わかれうた」   あきオジ

2010-08-11 17:01:57 | 日記
神代植物公園の枯葉
緑深いところにも枯れ葉は落ちますね。

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「おらが春」ドラマ
二回目です。
一茶の句の変遷をドラマで学ぼうとする横着さ
学者になるわけでもなければ
専門家をめざしているわけではない。

それでいいでしょう。

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すべってころんで山がひつそり  山頭火

けふもよい日の星ひとつ  山頭火

いつもひとりで赤とんぼ  山頭火

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今日はなぜか朝から気分が乗らない。
明日は久しぶりに仕事
一日つぶれるし
疲れるので何も浮かばない。

ほどほどにしないといけませんね。

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私には私しかない墓参り  あきオジ

2010-08-11 16:46:44 | 日記
白洲次郎の生涯を描いたドラマを見て
テンションあがりっぱなしでした。
あれこれ正しさを信じるのはかまわないけれど
周囲の人に押し付ける悪趣味があることを思いだしました。

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「げげげの女房」
子どもは寝たいだけ寝かせておけ

いいですね。

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師走の夜つめたい寝床が一つあるきり  放哉

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「私のお墓の前で泣かないでください。私はここにいません。」
この言葉はチャールス・ボロンソンの墓に刻まれているとか。

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此のよをば どりゃお暇するわ 線香の煙とともに はい左様なら」
この歌は十返舎一九のうた。

いろいろ表現が違ったものが残っているとか。

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最近、知人の逝去は滅多に知らされませんね。
ほとんどが家族葬とか
それも時代ですね。

時代と共にすべては変わる。

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茶をすする一人の部屋に湯気白く  あきオジ

2010-08-11 15:39:06 | 日記
白い蓮も終わりです。
淋しいですね。

でも、すぐにそんなこと忘れて
次の楽しみに移っていく
未練を残すと流れに遅れる。
流れるまま
過去のことなど振り返る余裕などない。
そう思っています。

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過去をほじくりかえし、あれこれ言い始める愚かさに陥らないように注意しましょう。

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潮満ちきってなくはひぐらし  放哉

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あれこれ書きたいこともある。
でも、あれこれのことは後日読むと
大部分が書かなければよかったという反省になります。
とにかく難しいことを考えず

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茨木のり子の詩を読み続けよう

「自分の感受性くらい」

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

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「倚(よ)りかからず」

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ

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よく眠る安心ある夜のキリギリス

2010-08-11 07:27:14 | 日記
神代植物公園です。
もう秋の気配ですね。
自分が生きてきたことを残したい。
そんなことがあるのかもしれませんが
このブログであれこれ書いているうちに
それもなくなりました。

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淡々とした人生を描いた映画でお気に入りは
小津安二郎の「東京物語」
そして小泉堯史の「阿弥陀堂だより」

「東京物語」では何もかも承知しながら淡々とときを迎える夫婦。
何もかも理解しながら不満を語ることなくすべてを呑み込んでしまう夫婦

「阿弥陀堂だより」では早死にするといわれた長寿の孤老
そして、癌におかされながら自分の終わり方を整える男

いいですね。
何度も何度もことあるごとに見ています。

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自分の創り出した絵のようなものですから、自分で全体の色調を整える。
それも必要ですね。

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行く秋の涙もなしに憐れなり   子規

柿くふや道潅山の婆が茶屋   子規

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よく寝る。

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遠くより見つめているか月丸くし  あきオジ

2010-08-11 06:43:04 | 日記
深大寺の土産店
参拝3分、買い物一時間
いい時間の割り振りですね。

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土産買う活気あふれる秋の寺  あきオジ

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山の夕陽の暮地の空海へかたぶく  放哉

雨に降りつめられて暮るる外なし御堂  放哉

(この句、じんと身にしみます。いつも気にしています。)

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それはそれ、自分の終わり方、じっくり淡々と

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赤い実が夕日に浮かぶ残暑かな   あきオジ

2010-08-11 06:06:25 | 日記
このブログ自分勝手なひとり言みたいなものですが
あれこれ書くだけです。
ちょっと淋しい気もします。
しばらくは、このブログと共に歩いていきます。
「同行二人」で楽しみませんか?

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神代植物公園です。
深大寺は「げげげの女房」の大にぎわい
出演者が蕎麦を食べたとか
自分の店がロケ地だったとか
商売になるなら何でも利用しよう。

それも楽しい。

観光客だって
「私、げげげの女房に出てきた散歩道歩いたわ」
「ドラマに出てきた赤駒買って来たわ」
という土産が欲しいのですから。

土産ってそんなものでしょう。

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まことお彼岸入りの彼岸花   山頭火

(秋に入ると巾着田の彼岸花が恋しいですね。好き嫌いは抜きにして圧倒されますね。俳句は風物詩でもあるのですね。)

手がとどくいちじくのうれざま  山頭火

(この季語がはいっている句も落ち着きますね。無理がない。そう感じるのです。)

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「阿弥陀堂だより」幸田家は秋模様   あきオジ

2010-08-11 06:05:19 | 日記
神代植物公園です。
花のない季節です。
人も本当に疎ら

そんなことから、端境期というのでしょうか。

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父母のしきりに恋し雉の声  芭蕉

(父母を思いストレートに取りあげた句。この単純さがいいですね。キーンという雉の声が重なっていて、感動的ですね。)

行春にわかの浦にて追付たる  芭蕉

(こんな洒落た言い回しが芭蕉の世界ですね。時間と空間の変化を一句に重ねる。さすがだと思います。)

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朝寝坊しました。
よく食べるし
よく寝ます。

あるがまま
自然のまま

もう、十分でしょう。

「阿弥陀堂だより」の幸田先生のような人生の終わり方がいいですね。

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