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★星空日記コリメート風goo★

星や旅などの話題を「ひらい」が札幌から発信。2010年開設。2022年7月にteacupからgooへ引越しました。

2025青森の旅その4(出身校と酸ヶ湯温泉)

2025-05-16 06:00:00 | 旅行の記事
 青森の旅2日目の5月10日(土)になりました。前回のブログ記事 【 2025青森の旅その3 】からの続きです。


 浅虫温泉の道の駅で車中泊し、朝の6時に起床。車載ベッドにテンピュールを追加して敷いたこともあって安眠できました。車内で朝食。


 まず、父・母・兄・私の4人が1967年(昭和42年)5月まで住んでいた青森市営アパートの場所に行ってみました。既にアパートは取り壊され、「奥野第二ちびっこ広場」という小さな公園になっています。
(1976年撮影の航空写真では1棟12世帯の市営アパートがまだ建っていました。なお、昭和20年代としては珍しい水洗トイレが備え付けられ敷地内東側の地下には浄化槽も設置されていました。)


 1960年(昭和35年)4月から1966年(昭和41年)3月まで私が在籍していた青森市立筒井小学校です。私が在籍していたときは古い木造校舎でしたが、その後1971年と2024年の2回建て直しがなされています。建て直し年はWikipediaから引用。


 ここは筒井中学校です。1966年(昭和41年)4月から翌年5月まで1年1か月間だけ私は在籍し札幌へ転居。そのまま札幌に住み続けて60年近く経過。


 県立青森高等学校の通用門です。
 青森高校は旧日本陸軍歩兵第五聯隊があった敷地跡に建てられていて、私の自宅から中学校までの通学路の途中にあった高校の門柱には当時の陸軍駐屯地、正式には衛戍(えいじゅ)地の門柱がそのまま残されていたはずですが、すでに撤去されてしまったようで見当たりませんでした。
 なお、兄は札幌に転居する直前まで1か月間だけ青森高校に在籍、転居後に編入試験を受けて札幌の旭ヶ丘高校に入学しました。また青森高校の前身は亡き母の出身校でもあります。


 これは1998年版の青森高校同窓会員名簿で889ページもあります。表紙の校章が3種類掲載されているのは統合された学校があるからで、母は青森高等女学校時代の1942年(昭和17年)3月の第32回卒業生で150ページ目に名前が記載されています。

 学校訪問後、酸ヶ湯(すかゆ)温泉まで山道を走ります。

 酸ヶ湯温泉に行く途中の道には、まだ桜が咲いていました。


 木の根本だけ雪解けになっているのが面白くて撮影。


 5月10日9時40分に酸ヶ湯温泉到着。周囲はまだ雪が深いです。


 入浴料は1000円。持ち帰り可能なタオルと貸出し用バスタオル込みの値段です。ここは混浴で男女共に湯浴み着が500円でレンタル可能です。私は借りずにスッポンポンのまま。(笑)
 浴場内は私が子供の時とほぼ同じですが撮影禁止なので画像はありません。混浴の場合、入浴中の女性を見ないよう視線をずらすのがエチケット。

 酸ヶ湯温泉で入浴後、再び青森市街地に戻り青森市中央市民センターのプラネタリウムを鑑賞。ブログ記事 【 2025青森の旅その5 】に続きます。
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2025青森の旅その2(フェリーと日暈)

2025-05-14 06:00:00 | 旅行の記事
 前回のブログ記事 【 2025青森の旅その1 】からの続きです。


 2025年5月9日(金)の12時過ぎ、函館港の津軽海峡フェリーターミナルから総トン数8851トンの客船ブルーハピネスに乗り込みます。


 函館港を12時30分の定刻に出港。一路青森港を目指します。


 ちょうど日暈が見え始めたので、スマホをデッキに置きセルフタイマーで12時48分に撮影。後光が見える足長おじさんです。(笑)
 デッキに集まった大勢の皆さんは函館山や遠方の景色を写していますが、空を写しているのは私だけ。


 飛行機が何度も通過し飛行機雲が日暈を流れていきます。飛行機雲の影の見え方から日暈を発生させる水粒子の高度は飛行機雲より結構低いようです。


 天気も良く波も穏やか。日暈の様子も刻々変わることから、4時間の乗船中は後部デッキの椅子に座り移りゆく風景と日暈を楽しみました。お陰で少し日焼け。水面を勢いよくジャンプするイルカの群れも見えました。


 青森港に到着する30分ほど前から、上部タンジェントアークと下部タンジェントアークが見え始めました。15時05分に撮影。

 これ以上、タンジェントアークは濃くならず、定刻通り16時30分に青森港フェリーターミナルに着岸。

 これからあることを確認するため某所へ向かい、その様子は次回のブログ記事 【 2025青森の旅その3 】に書く予定です。
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2025青森の旅その1(札幌から函館へ)

2025-05-13 06:00:00 | 旅行の記事
 私の生まれ故郷は青森市です。故郷で調べたいこともあって青森まで3泊4日の旅をしてきました。その様子を何回かに分けて投稿します。

 2023年に自作した車載ベッドはクッションが硬めだったので今回の旅の前にクッションを追加しました。私は柔らかめのベッド(敷布団)が好みです。


 母と私が10年ほど前に2枚購入した格安テンピュールマットレスのうち、母が使っていたものが不要になったので、それを切ってベッドの上に敷きました。マットレスカバーも切断済み。ベッド下には防寒着や掛け布団を格納し寒さに備えています。

 5月9日(金)早朝4時に札幌の自宅を出発。小樽経由の国道5号線で函館へ向かいます。小樽経由だと函館まで約280kmの道のりです。


 途中のニセコ町で撮影した早春の羊蹄山です。5時40分に撮影。

 フェリーの乗船時刻より4時間早く函館市の北に隣接する七飯町(ななえちょう)に到着。これには訳がありました。
 今から51年前の1974年(昭和49年)に「北海道星と楽しむ会 第5回大会」が七飯町の「横津岳自然と青少年のロッジ」で開催され、私も含め53名の星仲間が参加。利用した施設が現在どうなっているかを確かめたかったのです。


 ありゃ、横津岳に登る1本道が途中で通行止めに。
 道路を管理している七飯町土木課に電話してみると、「通行できますよ。ただし、十分注意をして自己責任で通行してください。」との返答でした。


 どうやらここが以前の建物があった場所のようです。建物はなく更地になっていました。


 これは1979年(昭和54年)に出版された「北海道星と楽しむ会 10年の歩み」の中から第5回目大会の記事です。ミノルタ製のプラネタリウムや日本光学製の口径20cm屈折望遠鏡が設置されていました。

 なお、1971年(昭和46年)7月3日に札幌丘珠空港を離陸した東亜国内航空のYS-11旅客機「ばんだい号」が函館空港へ着陸直前に横津岳の山腹に墜落し、乗客と乗員68人全員が死亡した航空機事故が発生。墜落現場に慰霊碑があります。以上、Wikipediaから引用。


 建物が無くなっていた横津岳を降り、五稜郭公園まで足を伸ばしました。桜はほぼ散ってしまっています。


 津軽海峡フェリー乗り場に11時ちょうど到着。出航は12時30分です。ホームページには出航90分前にはお越しくださいと明記されています。

 スタッフにお聞きすると乗船予定時刻は11時45分だそうです。
 私の後方にも軽自動車。お互いの車載ベッドを見たりお喋りを楽しみました。千葉県にお住まいで車中泊を夫婦2人で楽しんでいるとのこと。人生のコツなどを伝授していただきました。(笑)

 次回のブログ記事 【 2025青森の旅その2 】に続きます。
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オフラインでも使える音声翻訳機の購入

2024-07-25 06:00:00 | 旅行の記事
 これまで度胸とシンプル短文英会話の HiraEnglish を使ってきましたが、南アフリカで人生初のバゲージロストになった際、英語の会話能力不足を痛感しました。

 目にとまったのが通販会社の音声翻訳機。
 定価29,800円の商品が「社長〜! もう少し安くなりませんか〜!」という声で10,000円になってしまう胡散臭さですが、6月17日(月)にポチッとインターネット注文しました。


 注文して2日後の6月19日(水)に受信したメールのスクリーンショットです。

 注文時に5年保証を付けなかったのは安さを重視したからです。
 さらに翌日の6月20日(木)に夢グループから私の携帯に電話があり「注文された殆どの方はロング保証の5年をお付けになられています。まだ間に合うので5年保証をつけませんか?」というコールセンター嬢からの案内でした。
 「いいえ、ロング保証の必要はないのでそのままで。案内お疲れ様です。」と返答。


 ところが、注文して2週間以上経過しても音声翻訳機が送られてきません。ロング保証を付けなかったことから後回しにされたのかなと思い、7月5日(金)にコールセンターへ電話してみました。
 現在通話が混み合っているので、オペレーターから電話をかけ直しますとの自動応答メッセージが流れました。本当かなあと疑心暗鬼。かかってこなかったりして。

 3時間後、本当に電話がかかってきました。着信履歴と注文時の連絡先電話番号を照合し電話しているそうです。
 「7月下旬に海外旅行するのでそれまでに届きますか」と質問したところ、「注文が殺到していて発送が遅れ申し訳ありません。事情がわかったので旅行前には届くよう発送担当に手配します」との返答でした。

 7月17日(水)、佐川急便で音声翻訳機が配達されてきました。

 大きさ129mm×53mm×13mm、重さ79gと手にすっぽり入る大きさです。

 右側側面の電源ボタンを3秒長押しで起動しますが、35秒もかかって使えるようになるのは時間のかかり過ぎです。でも、安価なので我慢。

 Wi-Fi環境がないオフライン翻訳でも、日本語・英語(米国)・ドイツ語・スペイン語・フランス語・イタリア語・韓国語・タイ語・中国語(簡体字と繁体字)の10ヶ国語が利用できるそうです。ただし、オンライン翻訳に比べ翻訳精度が低くなるとのこと。内容が混み入った場合はWi-Fi接続してみようと思います。この他に画像翻訳機能も付いています。

 さっそく、7月下旬からの海外旅行の際に持参します。普段の会話はHiraEnglish を使い、混み入った内容のときは音声翻訳機を使うことにします。

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植村直己記念館を見学

2024-06-27 06:00:00 | 旅行の記事
 前回のブログ記事 【 遠軽訪問を終え帯広の動物園へ 】からの続きです。

 2024年6月22日(土)、おびひろ動物園内にひっそりと設置されている植村直己記念館を見学してきました。


 イグルー(圧雪ブロックを使って作る一時的なシェルター)を模した外観です。


 植村直己さんは1941年生まれで1984年に冬期のデナリ(マッキンリー)で遭難死された世界的な冒険家です。身長は162cm。偉業を成し遂げた人ですが意外と小柄です。


 犬ぞりで北極点に到達した様子を展示していました。展示されている犬は3頭でしたが、実際に一緒だった犬はもっと多かったはずです。


 遺品や写真を見ているうち、これまでに感じたことがない何ともいえない感情が湧き上がってきました。もっと冒険がしたかっただろうになあ。

 植村直己記念館をじっくり見学してから、帯広美術館へ向かいました。
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