oton ayako domo

自分のみちをゆく人は、だれでも英雄です。
そんなあるきかたでもいいから、迷ったら、やれ!

調布にて。

2007-02-19 18:30:28 | あじわう
土曜日曜はよく寝た!
だいたい平日は4時間程の睡眠だけれど、
祝日があったので結構うっかりさせていただいた先週・・・。

そうは言っても、漲るやる気がスポーツに傾倒し、
(ああ、またか・・・でしょ)
土日ともにスポーツジムで走り、漕ぎながらの、
芥川賞鑑賞なのでした。

(文藝春秋 3月号 では、選評とともに読めちゃいます。)

『ひとり日和』は、石原慎太郎さんも村上龍さんも
高評価のようだけれど、選評を読む前に本編を読んでみた。
ん~、山田詠美さんも云っているけれど、
「淡々とし過ぎて・・・そのまま寝てしまいそう・・・・・・」。

優れているなと思った部分は、
(以下、文藝春秋3月号参照)
394頁上段10行~398・下・6の母と娘とのやり取り。
小説を読んで得るものというのは、
実際には行えないことの体験感だとおもう。

もともとのもとまで戻れば、物理的に行けない場所の
描写だったりするそうなので、悪かないでしょ。

人が死んだときにどう思うか、
人に恋したときにどう思うか、
卒業を間近に控え、どう思うか、
新しい環境で、どう馴染んでいくか・・・

な~んてのは、自分でも経験できるけれど、
それぞれの環境で、例えば、片親だったり、
同性愛者だったり、外国にいる場合だったり、
もう祖国に戻れない場合だったり・・・で
それぞれ違う直感なのだろうけれど、
自分ではない誰かが、何かのタイミングで
思いつくこと、おこすこと、
それらを知り、思い、怒り、哀しみ・・・できるところに
感動がおこるわけで、それ以外に得るものは無いと思うのです。

で、この小説には数少ないけれど、
母娘のやりとりで、自分と母の行いを
思い返すというか、同感するというか、
こうしちゃあいけないなと反省したというか、
色々動かされる部分があったのですね。
退屈な中にも、動きをもらいました。

ああ、でも、寝たくなる・・・。

調布のスリジェでミルフィーユを貪りながら思うのでした。