未来への

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西新井大師 風鈴祭り

2018-07-14 15:25:01 | インポート
8月5日(日)まで西新井大師で風鈴祭りが開催されてます
出店の展示では無く、境内のテントに全国各地の風鈴が吊るされて風が吹くと美しい音色を奏でてます
展示即売で江戸風鈴や、焼き物の風鈴、南部鉄の風鈴、くまモン風鈴など、色々な風鈴が番号を付けて吊るされ購入する人は番号で購入します
早くも完売の表示の風鈴も有りました
入谷の朝顔市で2000円で販売していた朝顔が900円の値札が!!!
この猛暑の中、しばし風鈴が奏でる音色を楽しんできましたので聞いてください。


注意!500種近くの風鈴が一斉に奏でますのでボリュームに気を付けてください。




川越熊野神社へ

2018-07-13 17:21:00 | インポート
川越市駅から川越熊野神社へは徒歩10分となってましたので地図を確認して歩き始めます
本川越駅を過ぎて何となく右側へ来てる様なので左折して携帯で地図を観ますが神社を確認出ないので駅まで戻り確認しようと思い戻りますが途中で案内図が有り見ると先ほど左折した所を曲がらずに直進して行と右側に神社が有るようで戻ります。そんなんで30分を掛けて神社に到着
この神社は 紀州熊野より勧請したことが始まりといわれ以後、通称「おくまんさま」と呼ばれて熊野神社の御祭神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)で、夫婦の神様で『縁結び』のご信仰があるそうで開運・縁結びの神として親しまれているそうです。
御社紋は、熊野大神様のお使いである三本の足を持つ「八咫烏(やたがらす)」で夜明けを呼ぶ鳥・太陽を招く鳥ともいわれて、希望の世界に導く霊鳥として広く信仰され「八咫烏」をシンボルマークに持つ日本サッカー協会(JFA)公認の『必勝お守り』が有ります。

すっかり影を潜めたW杯ロシア大会での”にわかサッカーファン”の皆さん一度熊野神社でのお祓いをお勧めします




上野・不忍池の蓮花

2018-07-12 17:51:34 | インポート
今朝は朝食を済ませて直ぐに上野へと向かいます
蓮の葉の緑に覆われた不忍池にピンクの花や蕾が多数見受けられます。来週当たりが見頃になりそうですか
幾らか涼しい朝なので気分よくこれから咲く蕾や咲き終えた花、そして今が盛りの花を都会の池で観賞出来ました
ぐるりと池を一周する頃には雨が降りそうな空模様なので帰ります




浅草寺ほおずき市

2018-07-11 17:27:45 | インポート

7月9日~10日は浅草のほおずき市で、下町らしく賑やかで風情溢れ活気づいてました
あざやかな朱色のほおずきは浅草寺で御払いを受け、厄よけになると言われてます。
7月10日は4万6千日(しまんろくせんにち)(約126年分)の参拝をしたのと同じご利益があるといわれ、参拝客も多く混ますが意外と隙間が有り賽銭箱の前に立ちましたので小銭をと探すと500円と1円が2枚有り一生分の御利益を期待して500円奮発しました
自販機で水を飲もうと思い財布を見ると千円札が無くさっきの500円が・・・・
と諦めましたが御利益が有りスイカで支払い出来る自販機で何とか水を得ました。
ほおずきの店は暑いお昼のせいか客より売り子の方が多い感じで掛け声だけが飛び交っています
白い小さなほおずきの花が付いてるのもありましたが初めて花を見ましたが、花だけではほおずきと判らないかもしれません





比企丘陵・菅谷館跡に咲くヤマユリ

2018-07-10 17:22:17 | インポート

7月8日は新聞の休刊日なので埼玉の嵐山町へ朝から出かけ菅谷館跡へヤマユリと城址を観に行ってきました。
気品を感じるヤマユリは、日本固有で山地の林縁や草地に分布し、丈は1~1.5m。1株に10輪程度の花を咲かせるものもあり、花の大きさは直径20cm以上で、ユリ科の中でも最大級であり、香りは甘く濃厚です。株が古いほど多くの花をつけ、生育に適した明るい山林が減少していることから数が減っており、館跡内では貴重な自生地となってるそうです。
東上線武蔵嵐山駅から歩いて20分程で到着し、ヤマユリが大輪の花を開き城跡に、ほのかな甘い香りが漂っていましたが今年は過去17年でもっとも早い開花だそうです。雑草の茂る中の細い道を行くと小さな虫が歓迎してくれます。写真を撮るときには首や顔にまとわれ付きます。”マムシ注意”の看板が彼方此方に有り脂汗と風が無く蒸し暑さで汗が噴き出す環境の中でも大輪のヤマユリに苦あれば楽しみ有りでした

菅谷館跡とは
菅谷館跡(すがや・やかたあと)は、鎌倉時代に武蔵武士の畠山重忠が住居した所と伝えられており。戦国時代には数度にわたる改築を受けて城郭として整備拡大し、この遺構は、戦国時代の城郭の姿を示しているものだそうで、昭和48年に国指定史跡に指定。平成20年3月に「比企城館跡群菅谷館跡」と指定名称が変更され、平成29年4月6日には、日本城郭協会より、「続日本100名城」に認定されたそうです。
堀に接している土塁は高さ約5メートルで、自然の谷を利用した堀に接している土塁は、高さ2~3メートルで
堀は、空堀と泥田堀の2通りで、上幅約12メートル、下幅約3メートル、深さ5メートルで、土塁から堀にかけての傾斜は45~50度で攻めにくくなってるそうです。
本郭は、四方を深い堀と土塁に囲まれた東西150メートル、南北約60メートルの長方形の郭で、地元の伝承では、ここに畠山重忠の館があったといわれていますが、畠山重忠は、源平争乱から鎌倉幕府創立期にかけて、多くの武勇や逸話を残した武将として有名だそうです。しかし幕府内部の勢力争いにまき込まれ、北条氏の陰謀により42歳の若さで非業の死をとげたとか。 

             本 郭 跡                                     

土塁と堀