未来への

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棒の峰白谷沢へ

2006-08-28 13:34:29 | インポート
画像西武線飯能駅からタクシーで有馬ダムへ行き白谷沢登山口から岩茸石経由の登山道の入り口を目指すが天候は生憎の霧雨模様。
霧雨だが森林の中を歩くので木の枝から雫が落ちて濡れそうなので傘を差して登り始めるが蒸し暑さで汗がダラダラと出てくる。やっと大きな滝の上に出れと幾分汗も落ち着き此処からは沢筋に歩くので涼しくなった。雨なので石が濡れておりしかも片手には傘を持っての沢歩きなので気を緩める事が出来無い。何回か沢を渡り沢から離れると緩やかな登りになり尾根に出ると大きな岩の岩茸石に出た。此処で昼食を採ることにしたが雲の中に居るのか周りの木々が霞んで見え、休んでいるうちに寒くなってきたので今回は此処までにして尾根を下ることにした。
尾根道は木の根が出ており雨で滑りやすくなっており下りも気が許せない。少し下るとガスが晴れ周りの山々が見えてきた。下りきったところに温泉が有るのだが駐車場に車が沢山止まっているので混んでるだろうと思いバス停に直行して帰宅することにした。



作家「吉村昭さんお別れ会」

2006-08-25 13:21:00 | インポート
昨日の夕方日暮里のホテルで7月31日にすい臓がんで亡くなった作家吉村さんのお別れ会が開かれるのを知り、日暮里での開催なら参加者も少ないのではないかと思い出かけて見ました。
開催前に会場へ着いたら既にいす席は埋りぽつぽつと立っている人がいるほどで始まる頃には立ち見の人も増え会場には3-400人は入っていたのでは。

30年前の猛暑の夏に「高熱隧道」を一気に読み感動して黒部の廊下へ行って見たく思いながら年月が経ち、10年ほど前に下の廊下を歩く機会が出来た。V字型の黒部の谷に人一人が歩ける水平道路が延々と続き、泡雪崩で当時の飯場が対岸の岩場へ叩きつけられたと云う志合谷は今も急斜面で崩落が有り道はトンネルになっていた。
阿曽原小屋の露天風呂の近くに有るトンネルの出口に行くと今でも湯気が噴出しておりサウナの様に蒸し暑さでトンネル工事当時の難儀が判る。きっと吉村さんは執筆する時に此処を歩きながら構想を頭の中で練っていたのでは。

正面にはモノクロの大きな遺影が飾られその下に天皇陛下からの賜り物が有り、周りを白い花で飾られる中で黙祷が行われ、作家、編集者等の弔辞が有り最後に夫人の挨拶が有りその中で壮絶な癌の治療の話が有り、「吉村は自ら点滴を外し自決しました」と声を詰まらせながら述べた時には、それまで後ろでザワザワしていたがシーーンとし涙をこらえるの必死になった。
一段落したところで会場を出たら会場の中に入れずにロビーにも多数の人がおり驚いた。なぜ日暮里でお別れ会が開催されたとかと云うと、この会場のホテルの敷地に昔、吉村さんは住んで居たそうで自分の予想が外れる訳だ。





ペルシャ文明展へ

2006-08-18 12:01:04 | インポート
画像上野都美術館へ”煌めく7000年の至宝”を観に行ってきました。
上野公園は休日のような賑わいで特に家族連らしい人たちが目立ちました。お盆休みなのでしょうか。
しかも水曜日は65歳以上は入館料が無料だそうで混雑が予想されますと張り紙されていたがそのまま入館しました。
少しは混雑してましたがそれほどでもなくすいすいと私は進むことが出来ましたが中には一つの所で立ち止まっている人が居るとその後ろは渋滞になりその前は人が居なくなるようです。
ペルシャ文明は紀元前六世紀に勃興したアケメネス朝の時代、ダリウス1世が強大な軍事力を背景に、メソポタミア、シリア、エジプト、アナトリア、ギリシャの都市国家、そしてインドの一部までを含む国々を帝国の版図に加え、興亡を繰り返し、支配者を交代させながら、その時々の文明を花開かせてきたようです。
一番目に付いたのは矢張りアケメネス朝の”黄金の杯”(Wt1407g)、”有翼ライオンの黄金のリュトン”(Wt892g)で金の精製・加工技術には驚きでしたこのブースには人も少なくじっくりと前後左右から眺めてきました
イランには世界遺産が多数(7?)有るそうですが何か気楽に観光に行けそうな国でもないし・・・