「まだ下がある・・・」
一道は、階段を下りていた。勇一郎からの情報にはない階段。それが1階ではなく2階ぐらいは下がっていた。階段は薄暗く、いかにも何かがあるというように思わせた。
「院長の母親か・・・口で言って説得できる相手ならいいが・・・」
そんな希望はあり得ないだろうと自分の中で分かっていた。ここまで来てそんな生易しい事では済まないだろうと言う事は分かっていた。階段が終わりすぐそこに大きな扉があった。
「行こう。お袋。これで終わりだろうから」
『そうね。これで終わりよ。後ちょっとだから頑張って・・・かずちゃん』
引き戸であり一気に開け放った。薄暗い階段の光に慣れすぎていた為かそこの光は目に強烈なほどに刺さる。思わず目を閉じ、ゆっくりと目を開けた。
「何だ。ここは?」
ここは地下とは思えないほど広い空間であった。吹き抜け状で天井までは2階分はある。床の端と壁は大理石で出来ており、中心部は赤い絨毯が敷き詰められていた。太く細かく彫刻された柱が何本か経っていてまるで城の謁見の間と言った造りであった。
その中心にいるのが2人。
「ママぁ・・・痛いよ~もう限界だよぉぉ~。みんなみたいにママの中に入れてよ~」
「分かった。全部、あなたの全てを私が取り込んであげる・・・」
膝に縋りつく院長はそのママと言った人物に手をかざされるとうっとりとした表情のまま床に伏していった。
「アイツが母親だと?いや・・・そういうものか・・・」
一道が一瞬驚きの声を出した。何故なら院長がママと称した人物は明らかに中学生ぐらいの少女であったからだ。年の差から言えばもう娘というよりは孫といえるほどだろう。しかし、一道にはそれほど意外性はなかった。人の体を入れ替える事を正しいとして行ってきた者達である。老いた体を捨てより若い体になりたいという欲望は分かる気がしたし、実際に見てきたことだ。
「もうやめましょう!!もう沢山だ!人が人同士、人の魂を弄ぶのは!」
一道が叫んだ。それは一道の心からの叫びであった。
「分かります。あなたは自分が思っている以上に疲れているのですから・・・もう無理する必要なんてないのです。あなたは頑張りました。ですから、あなたももう癒されて良いんですよ」
少女が大きく手を広げた。少女が身にまとっているのは淡い桃色の薄いローブのようでそれを幾重にもまきつける形で着ている。まるで体と一体化しているかと思わせるほど自然な色と美しさであった。
そのローブの端は風もないのにはためいて見えた。その先から桜の花びらのような揺らめきが無数に広がっていく。
「何だ?お、俺は・・・幻覚を見ているのか?」
ダメージを負っているのは分かるがそのような事は一度もなかった。その揺らめきは広がっていき、ゆっくりと一道の方に向かってくる。一道には何も理解できず、その揺らめきに包まれていく。
「何だ?この言いようもない安心感は?」
体の内側からこみ上げて来る優しい気持ちに驚く一道。今まで感じた事がない感覚に最初は戸惑ったが次第に悪くない気がしてきた。
「これは何だ?ソウルドの技術の一つか?それとも催眠術か?」
多くの疑問がわきあがってくるがもはや、一道はその安心感に心を骨抜きにされていた。
「いや・・・もうそんな事はどうでもいい。俺は疲れたんだ。沢山の人を斬り、沢山の人を失った。身も心も疲れているんだ。もう続けたくはない。もう終わって良いんだから・・・アイツらだって文句は言わないだろう。だからずっとこのままでいたい」
一道はその感覚を受け入れてしまった。もう立っている事も出来ずその場で倒れこんでしまった。ただ、この優しい感覚に包まれ、身を任せ、他の事はどうでもいいと思ってしまった。
「そう・・・あなたの全ても私が全て包み込んであげる。大丈夫。怖がらなくても・・・大丈夫。何も考えなくても・・・」
微笑をたたえながら少女がゆっくりと一道の方に歩いてくる。
『かずちゃん!しっかりして!ねぇ!』
『うるさいな・・・お袋か・・・もういいじゃないか?休んだってさ』
『ダメよ!慶ちゃんや和子ちゃんの気持ちはどうなるの?それだけじゃない!かずちゃんの為になってくれた人達の気持ちはどうなるの?ここで全部投げ出してしまっていいの?』
『放っておいてくれよ。全部終わった事だから・・・』
今の一道は例えるなら寒い朝に布団から出ろといわれているようなものだ。しかも休日という自分を縛るものもなく、寝ていても問題もないという状況と言った所だろうか?だから、寝ていて何故悪いのか?このまま寝ていてもいいじゃないかという心境になっていた。
『まだ、全部、終わってないよ!あと少し!頑張らないと!!』
『頑張る必要なんてないんだよ。終わったんだから・・・お袋も怒ってないで俺のようにすればいいんだよ。そうすれば俺の気持ちも良く分かるよ』
『違う!しっかりしなさい!一道!!』
一道は自分の母親さえも鬱陶しく思えてしまっていた。休日にうっかりかけ間違えてしまってうるさくなる目覚まし時計ぐらいの感覚である。放っておけばそのうちなりやむだろうと思っていた。
『それで本当にいいの?思い出しなさい!かずちゃん!』
遠ざかっていく母親の声。だが、それはやまびこのように響いた。
『・・・何を・・・思い出す?』
再び、眠りに落ちていこうとする一道は少しずつ湧き出てくる思い出に体を震わせた。慶が目の前で死んでいく。ボロボロの帯野が穏やかな顔をしている。それから元気や悠希、剛。まだうっすらと亮や昌成、ポチッ鉄、隆の顔などが次々と思い出させる。魂に関わってきた全ての人達が頭の中を泳ぐ。
『そうだ。そうだった。みんな・・・俺にはやらなきゃならないことがあった。こんな所で忘れるわけにはいかないんだ』
一道は眠りから覚醒した。
「いつっ!」
激痛が肩に走った。まるで電気がスパークするかのように肩から走り全身に伝わった。肩を抑えたくなるぐらいの痛みであったが、全身、動かないのだから痛くてもどうする事も出来なかった。
『かずちゃん!』
『分かった。今、少し、肩が動いた。体を動かすには痛みに勝たなければならないか・・・ならば・・・』
「ううぅぅあぁぁぁぁ!」
まず、歯を食いしばる。顔面が裂けるぐらいの痛みが走った。
腕を床に着く。腕が軋み悲鳴を上げた。
体を起す。バリバリと背中が破れたのではないかというぐらいの激痛に襲われた。
足を着く。全身の体重が足にかかり痛みが全身に伝わる。
「ふはぁぁぁ~ふはぁぁぁ~・・・」
一旦、立ち上がってしまえばまるで波が引いていくぐらいの早さで引いていった。だが、その疲労感はまだその余韻として残っていた。
『かずちゃん』
『久しぶりだな。お袋が俺を叱るなんてさ』
『そうだったかな?』
『そうさ』
幼い時は、母親がいつも一道の心に思いを伝え続けた。
箸を上手くつかめたら『良く出来た』と誉めてくれ、ボタンを掛け間違えていたら違うと『違うよ』と注意し、何か気に入らない事に対して物に当たた時には『悪い事よ』と叱った。一道も母親の言う事なのだからと無条件に言われた事を実行し、信じ続けた。
だが、小学生ぐらいになると彼女は一道を突き離すようになった。
『ママ、どうしたらいい?』
『・・・』
『ママ。ねぇ。どうしたの?お腹でもいたいの?何で何も答えてくれないの?』
しかし、尋ねても答えない母親。分からない。知りたい。思いだけが募るもどかしさ。寂しさに胸が張り裂ける思いで涙さえ流す事もあった。それは一道だけではなく彼女とて同じようなものであった。
彼女はいつまでも心の内面である自分と一緒に交流し続ける事で一道が辛い事があるとずっと自分に縋りつくような弱い存在になると危惧した彼女は一道を突き放したのであった。最愛の一道が自分の行為によって傷つき悲しんでいる。そんな一道を見るのを逃げる事も目を背ける事も出来ない近すぎる距離。そして答えたいという己の衝動。そんな心の底から破裂しそうになる欲望への歯痒さ。二人はじっと耐えた。きっと二人では耐え抜く事は出来なかっただろう。二人を変えたのは一道を取り巻く環境であった。
落ち込む一道に積極的に声をかけて来たのは慶であった。その慶が施設の子供達を巻き込んで一道を励ましたり、体を動かしたりする事で薄れさせてくれた。そして、気がつかない間に、二人は、自分の気持ちに整理を付けていったのだ。
そして10年ぐらいの歳月が経った母と息子は向かい合う。ごく自然な形で・・・
『俺もまだまだだな。お袋がいないと何も出来ない。悔しいが慶がマザコン野郎って言ったのを認めざるを得ないよ』
『それは違うよ。かずちゃん。私がかずちゃんをいつまでも手元に置きたいだけよ。その思いが伝わって私の事を意識してしまうだけ。あなた一人であればきっと自立している』
『そんな事ないって』
二人の心が通わせあった。
「凄い。あなた、あの状態から立ち上がるなんて・・・今までに無かった・・・」
眠りから覚めようとする者に与えられる激しい苦痛。だからこそ皆歩みをおきようとしなかったのだろう。そんな一道に少女が素直に感心していた。
「!!」
一道は瞬時に両手からソウルドを発動させて大きく振り回した。それから構えを取った。
バスッ!スパァッ!
「あなたは・・・一体?」
一道が今、ソウルドを振り回したのは、自分の周りを漂う空気を切り裂く為であった。それは透けるカーテンのように薄く、風によって波打っている。どうやら彼女はこちらが気付かぬ間に魂に干渉する事が出来るようだ。一道は、彼女が発生させている淡い魂の波動を断ち切ったのだ。
「今すぐやめるんだ!その人を眠りに誘う力を!」
それは睡魔のようであった。体に眠りたいから眠れと問いかけるのである。だが、睡魔と異なるのはそれが睡魔より自然であり且つ強力に束縛してくる事だ。睡魔なら眠ってはいけないと己の自制心である程度、コントロール出来るものだ。だが、彼女の力はその自制心を支配する事でより簡単に心の眠りの状態に陥らせるものなのだ。
「あなたは何を怖がっているのですか?」
「俺は怖がってなどいない!」
「いえ、私には分かります。あなたは身を委ねる事を恐れている。得体の知れないものであると怖がるがあまりに受け入れる事を拒絶している。でも、大丈夫ですよ。全くの無害ですから・・・それどころか、あなたにとって理想の幸せや満足感を与えてくれるでしょう。ですから怖がる必要なんて・・・」
そのように優しい声音で少女が語りかけると一道は再びソウルドを振り回し、自分を包もうとするものを切り裂いた。
「そうやって歪んだ愛情で人を堕落させるのか?」
一道は少女をにらみつけ、構えを取った。
「さっきの院長の様子を見ていて分かった。あんな老人をまるで幼児のようにする愛情などは愛情ではない!そんな物は愛情であってはならない!母親の愛情というのはその子に自立を促すものでなければならないんだ!転んだ子供を抱き上げて起こすのではなく手を伸ばす事で自分自身の力によって立ち上がらせる。それが本当の愛情だ。お前の愛情は人を誘惑し、堕落させた挙句依存させ、自分から抜け出られないようにする!そんな腑抜けを生み出して何になるのか!人は一生、一緒にいられるわけなどないのだ。必ず別れが来る。残された子供はどうなる?死ぬしかないだろうが!それが優しさか!?愛情か?自分さえ母性本能が満たされればそれでいいのか?ふざけるな!それは母親のエゴでしかない!エゴで子供を殺すな!!」
少女は慈愛に満ちた表情で一道が言う事に反論せず頷いていた。全てを吐き出させてから全てを受け止める。そんな聖母と言った印象さえ受け取られた。
「それが人を間違わせる!」
一道はソウルドを出して、少女に向かった。
「大丈夫。あなたも私の心の中で眠りなさい。そうすればきっと楽になれるから・・・」
少女は床に向けて両手からソウルドを伸ばした。それはかなり長いようで床に完全に埋まってしまっているようで全ては見えない。
『何だ?多くの人の魂を取り込んでいるからか?俺に出来るのは一気に接近し、躊躇わずに斬る!小細工はなしだ!』
少女の構えはまるで変わらないし、一道の目にはそれが戦いなど行った事が一切ない純粋に普通の女の子のように映った。だから勝機があると踏んだのだ。
が、経験の有無さえ問題にならないほど違いすぎる差というのもあるものだ。
少女が腕を上げた。
「なっ!?」
一道には床から巨大な火柱が上がりこちらに迫ってくるように見えた。あまりにも長大であり、その迫り来るスピードでは完全に不可避であった。一道は咄嗟に2本のソウルドを交差させ防御する態勢を取った。
「くっ!」
ビァン!!
だが、猛スピードでこちらに接近する巨大な柱に対して小枝を2本束ねたところで何になるというのだろうか?構えたソウルドは瞬時に弾かれ、一道は吹っ飛ばされて、倒れた。
「これであなたも私と一緒。ずっと一緒。怒り、痛み、悲しみ、妬み、嫉み、恨み、そんなこの現実世界にある全ての負の感情がない温かく優しい場所へ・・・そんな慈愛が満ちた穏やかな海へと沈みなさい。そして、ゆっくりと身を任せて溶けていきなさい。そんなあなたを誰も責めないし誰も蔑んだりしないのだから・・・」
『今度こそ死んだよな・・・あれだけの一撃を受けたのだから死んで当然のはずだ・・・お袋も語りかけてこないし、誰も現れない・・・一人・・・そうか・・・俺一人か・・・』
目の前は真っ白であり、いや、真っ白というのは不正確であった。光もなくだからと言って真っ暗という訳でもない空間。透明というべきだろうか?温かくもなく寒くもない。今まで来たことも見たことも聞いたこともない不思議な場所。
静寂。無音。
ただ、そこに武田 一道だけがその空間に漂っている状態であった。
横になっているのか、はたまた立っているのかそれすら分からない。水の中なのかそれとも無重力空間なのか、手足を動かしても何も手ごたえが無かった。もし手を振ればそこに微弱な風が生まれるはずであったがそれすらない。
「これが死の世界という奴か?」
実際に死んだ事がないのだから分かりはしない。テレビ番組などで死後の世界を知っている人物なるものがその場所を語っていた。花があるだとか川があるとかこっちに来いと甘い声が聞こえたけどそこに行かなかったら現実世界に引き戻されたなどと言っていたが胡散臭さを感じただけであった。
「あ~!あ~!誰かいないか!誰か!ここが死後の世界なら!慶!帯野!勇一郎さん!いるんでしょ!お袋!お袋もいないのか!」
呼びかけるが声が空しく吸い込まれていくのみで響く事さえない。平泳ぎをしてみた。空気をかいているという感覚さえしない。仮に動いているにしても自分が動いている事を示すという対象がないので分かりもしない。
「ここには喜びも痛みも苦しみもない。ここには真に何もない!何やっても無反応。無意味。無駄。無益。無二。無敵。無感。ただ意識だけがある!こんな物は!こんな物は!これこそ本当の地獄じゃないか!」
強く拳を握り、首を横に振る。
「ん?」
再び手を握り、その感覚を確かめた。次に、手の甲をつねってみる。強くつねって手を離すとつねった部分が赤くなった。
「痛い。実感がある」
自分自身を抱きしめてみた。温かい。
「感じる事こそが生きていると言う事・・・この痛みも心臓の鼓動も血の流れも・・・」
自分の胸に手を当てると心臓の鼓動が聞こえてきた。
「ここには何も無い訳ではない。俺はここにいる。武田 一道はここにある。確かに存在しているのだ。ならば、終わってはいない。続けられる」
その瞬間、藁木の言葉が思い出されてきた。
「思い込みだけで動けるのが俺の強みだ!誰もいなくても何も無くたって俺がいさえすれば動ける!生きているのなら何でもやってやる!叫んでやる!叫び続けてやる!もがいてやる!もがき続けてやる!この意識がなくなるまで!この魂が尽きるまでな!!うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
一道の体から光が発された。一道は理解できなかった。そのまぶしいほどの輝きは一瞬の間にその空間全てを満たしていった。一道はそのまぶしさの中でも気を放出し続けていった。
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