![台風一過2](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/d1/d53c020ab94078bcaec8a63752fc9f97.jpg)
ブログって、毎日毎日、自分の身に起きたことを書いていくわけなので、なにか起きたことが、自分にとってどうだったのか、どう思ったのかということを、いちいち言語化することになる。別にさして自分を見つめ得ているわけでもないだろうし、気持ちを正確に再現し得ているわけでもないだろうが、そうは言っても、書かないよりは絶大に、はっきりとさせる、という効果があるのであります。
ところで、このブログを始めるはるか以前、2001年に、つまりヒビキが生まれたときのことを、それから1ヶ月ぐらいで詳細に思い出しながら書き、半年ぐらいかけて直した「分娩記」という約15000字の文章がある。
これになぜ出番があるかというと、これから出産するという人に、「どうだった?」と問われるので、どうだったかなあと思い出すときに読みなおすからだ。だいたい1年に1回ぐらいだろうか。
それで読み直して、へえ、と、実はこれが、毎回思うのであります。なぜって、完全に忘れてるから。ただそのことはもう、書いているときからそうだろうと思っていたので、そのときに再現できるようにと思って、必死に忘れまい、思い出せ、として書いていったものなのであります。
そう思うと、子供が生まれたときのことって、意外と書かれていないでしょう? 結構男性がそれらしく書いていたりしてね。
ま、そーゆーことはともかく、このように世の中にはいろんな体験があって、それがとくに初めての場合には、非常に印象深いし、また印象深いから生涯忘れないというわけでもないのである。そういうものもあるかもしれないが、記さなければ、記録しなければ、激しく忘れてしまう。
ただそれ自体はひとに見せて、見せてもらってよかったというものなのかどうかわからぬし、あとからそればかりが真実と思う必要もないのだけれど、本人にとっては意義があると思います。ささやかな話ですが。だから小学生のみんなが、「12歳の文学賞」に応募することもすごくいいと思うと同時に、そういう「文学」というような価値はともかく、自分の体験を、自分は体験したんだってことをちゃんと言うように記したり、デジカメで記録したりってことをしたら、それは面白いと思うなあ。私は。私もおとななりにそれをやっております。
ついでに、ここでやっぱり再燃!してしまいますが、宇多田ヒカルさんの歌詞、曲づくりというのは、こういう体験にあふれている。そんなところも聴きどころのひとつかと。
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