響けブログ

音楽コドモから「音楽コドナ」へちょっと進化。ドラムとバイオリンと小鼓を弾く、ヒビキの音楽遍歴。

バイオリンのレッスンは小説の書き方のようで。

2010-07-06 | バイオリン・レッスン


今日はヒビキ、バイオリンレッスンであった。ヒビキのバイオリンの先生は、オーケストラのバイオリン団員なのであります。クラシックイタチこと私は、妹が確か中学か高校までバイオリンを習っていたので、バイオリンのレッスンというのは見学の経験とか伴奏の経験とかあるのだけれども、バイオリンの先生はたいがい他のバイオリンの先生やピアノの先生と一緒に発表会をやるので、ふつうバイオリンのレッスンといえばふつうこういう感じ、という記憶がおぼろげにはある。

ヒビキのバイオリンのレッスンは、だいぶ違って、それが発表会前には特に顕著になる。ああ、プロはこうやって曲をしあげるのか──ってヒビキと先生ではぜんぜん違うわけですけれども──譜面があって本番までのこれだけしか時間がない場合、どういう順序でとりかかるかとか、ここがうまくいかないときにはどういう部分練習を開発するかとか、譜面のこの箇所は、どういう流れになっていることをふまえるとこう弾くはずだとか……。とにかく恐ろしいほどの量のノウハウが、もうどこからでも水道の栓をひねるように出てくるのであります。

ヒビキも、帰り道、
「今日はテクニックをいっぱい教わった」
などと言うほど。

でもって、このレッスンを脇で聞いているだけで、実は! ピアノもうまくなります。歌いかたがわかるから。それまで「譜面」にしかみえてなかったのが、こういう音楽とわかるから。というかですね、レッスンを受けずに長く生きておると、考えなくなるというか、想像力が働かなくなるというか、できてなくてもいいことにしちゃうわけであります。でもって「楽譜にこう書いてあるんだから、こう弾いてるんですよ」という演奏になってしまう。そこはね確かに「アクセント」になっていますけど、バイオリンのこういうフレーズを受けとめてください──というようなことはおかまいなしに、はい、アクセントふたつぅ、というふうに弾いている。そういうことに気づきます。

そういうわけで今日もいろいろと教訓がめいっぱいだったのだが、特に興味深かったのは、そのようにして譜面の細かいところをみていくにかかわらず、それでも弾くにあたっては「いかに大きくフレーズとしてひとまとめに弾けるか」ということが大事なのだ、というのに尽きるかもしれない。こういうフレーズを弾く、ということをなるべく一息に理解する。さらに言うと、起承転結の場面の切り替わりを含めて、曲全体ということをひとまとめに把握していてはじめて(まあそれは比喩的なんだけど)、弾けてることになるのかもしれない、ということ。

いやあ、それは難しいわ。とにかく譜面の中にでてきてから、あーそーだった、こういう場面だったと思い出して、ちょっと走ったりしながら、なんとかその曲想を弾いてみる、ということをずーっとやってるので。いやあ、そうはいってもほんと、なかなかそんな境地が垣間見えるわけないっす。


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