芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

怒りの葡萄(2)

2016年01月26日 | シナリオ
            

♯9

 押し潰され傾いだ家や納屋に向かって丘を降りるトムとケーシー

 トム  「なんてこった!」
 ケーシー「何があったんだ?」

 納屋をのぞきこむ二人

 釘にかかっている破れた作業着、転がっている汚れた一ガロン缶

 トム  「農具もねえ…」
     
 ケーシー「いったい、何が起こったのか、…さっぱりわからねえ」 

 トム  「…何も残ってやしねえ…」

 ケーシー「しばらくここをはなれていたからね、何も聞いてねえ」

 綿花畑に囲まれたコンクリートの井戸に、土のかたまりを投げ入れるトム

 トム  「こいつは、いい井戸だったのに。まるで水の音がしねえ」

 倒れかかった家のほうを眺めながら
 トム  「たぶん、みんな死んじまったんだろう」

     「だけど、誰か俺に知らせてくれそうなもんだ」
     「何か俺に知らせる方法があったはずだ」

 ケーシー「家の中に手紙が残してあるかもしれねえ」
     「みんなは、お前さんが出てくることを知っていたのかね?」

 トム  「どうだかな…いや知らねえだろうな」

     「俺自身、一週間前まで知らなかったくらいだからな」

 ベランダ屋根の支柱がはずれて、片方にかしいだ屋根

 家の角がめりこんでいる
 へしおられた材木
 蝶番にぶら下がった扉

 ケーシー「家の中を見てみよう。まるっきり押しひしがれてるぜ」 

     「こりゃ何かでドカンとやられたようだな」

 トム  「みんないなくなっちまった…おふくろは死んだんだ」

     「おふくろがいるとしたら、あの扉は閉まっているはずだ」

 壁にもたせかけたベッドの鉄脚

 破けたボタン留めの女物の靴
 靴を拾うトム

 トム  「おふくろの靴だ。すっかりすり減ってるな」

     「おふくろは、この靴が好きだった。何年も履いていたんだ」

 ベランダの端に腰を下ろし、角材に裸足の足をのせるトム
 トム  「やっぱり、家の連中は行っちまったんだ」
     「何もかも持って行っちまった」

 ケーシー「うちのものは、お前さんに手紙をくれなかったのかね?」
 トム  「うん、うちの連中は手紙を書くような人間じゃねえよ…」

 煙草を吸うトム・ジョード
 トム  「何かただごとじゃねえ…」

     「ひどく悪いことが起こったんじゃねえかって気がする…」

     「家が押し倒されて、家の者がみんないなくなったんだぜ」

 やせこけた猫が納屋から出てくる
 猫がベランダに飛び上がり、二人の後ろに座り込む

 トムが猫に気づく
 トム  「おい! 見なよ、こいつを」
     「残っているやつがいたぜ」

 猫に手を伸ばすトム
 猫が飛びすさる

トム   「何が起こったかわかったぞ」
     「この猫を見たら、悪いことの正体がわかったぜ」
 ケーシー「わしには悪いことが、たくさんあったように思えるがね」
 トム  「いや、悪いことが起こったのは、この家だけじゃねえんだ」
     「どうも、俺にゃ近所の連中が誰もいねえように思えるんだ」

 猫がトムの丸めた上着に近づき、手でつつきだす
 トム  「やあ亀のことを忘れてたよ」

 丸めた上着から亀を解放する。這い出す亀
 亀に飛びかかる猫
 それを見つめるトムとケーシー

 と、指さすケーシー
 ケーシー「誰かやって来るぜ。ほら! あそこだよ。綿花畑の中だ」

 土埃と黒っぽい影
 ケーシー「埃を蹴り立ててるんで、姿がよく見えねえが…誰だろう」


♯10

 綿花畑
 土埃
 土埃の中に男の人影

 トム  「男だぜ」

 近づく男

 トム  「何だ、あの男なら知ってるぜ」
     「あんたも知ってるはずだ。あれはミューリー・グレーブズだ」

 立ち上がって声をかけるトム
 トム  「おい、ミューリー! 久しぶりだな」

 驚いて立ち止まるミューリー。ぼろを身にまとっている

 ミューリー「誰だい?」…

     「おめえは…こいつは驚いた…」

     「トミー・ジョードじゃねえか。いつ出てきた、トミー?」

 トム  「二日前だ」
     「車をつかまえては便乗させてもらったんでな、時間がかかって
      しまったんだ」

     「帰ってみたら、このざまだ」
     「俺の家のもんはどこにいるんだ、ミューリー?」

     「何で家が押し潰されてるんだ?」 
     「何で前庭に綿が植えられてるんだ?」

 ミューリー「やれやれ、俺が来合わせてよかったな」
     「トムおやじは、おめえをえらく心配してたぜ」

     「おめえんとこの連中が立ち退きのしたくをしてるとき、俺はそこ
      にいたんだぜ」

 トム  「うちの連中はどこにいるんだい?」
 ミューリー「それがさ、銀行がこの土地をトラクターで引っかきはじめたと
      き…」

 走り回るトラクター
 トラクターに発砲する老人
     「おめえの爺様なんざ、鉄砲持って、トラクターのヘッドライ
      トをふっ飛ばしちまったもんだ」

     「だけどトラクターは平気な顔で向かってきやがったんだ。爺様も
      運転してる奴を殺したくなかったんだ」
 
 老人に向かっていくトラクター
 トラクターの運転手
 運転手に銃を向けたままの老人

     「運転してた奴は顔なじみのもんだったからな。奴もそれを心得て
      どんどん進んできて、この家をぶっつぶして、振り回したんだ」

 トム  「おめえの長話はあとでゆっくり聞くさ」
     「うちの連中はどこに行ったんだ?」

 ミューリー「いま言おうとしてるじゃねえか」
     「みんな、おめえのジョン伯父のとこにいるよ」

 トム  「そうか! みんなジョン伯父のとこにいるのか?」
     「それで、そこで何をしてる?」

 ミューリー「みんなで綿花摘みしてるよ。金ためて、車を買って、それで暮
      らしの楽な西部に出かけようってわけだ」

     「このあたりにゃ、もう仕事は何もねえからな」

 トム  「それじゃ連中はまだ出発してねえんだな?」

 ミューリー「まだだよ、俺の知ってるかぎりじゃな」

     「俺が最後にみんなのことを聞いたのは、四日前だ」

     「おめえの兄貴のノアが野兎を撃ちに出るのに会ったときだ」

     「ノアは、みんなは二週間以内に出発するつもりだと言ってたな」

     「ジョン伯父も立ち退き通知をくらったらしいぜ」

     「おめえも八マイル歩いてジョン伯父のところへ行けばいい」

 トム  「よしわかった…もう好きなだけしゃべっていいぜ」
     「ミューリー、おめえはちっとも変わっていねえな」

 ミューリー「おめえもちっとも変わってねえな。相変わらず生意気小僧だ」
 トム  「ミューリー、おめえ、ここにいる説教師を知ってるだろ?」

     「ケーシー牧師さ」
 ミューリー「知ってるとも、よく覚えてるぜ」


 立ち上がるケーシー、ミューリーと握手する

 ミューリー「またお目にかかれてうれしいよ」
     「このへんでは長いこと見かけなかったな」

 ケーシー「いろんなことを考えるために、ここを離れていたからな」

     「ところで、ここで何が起こったんだね?」
     「何でやつらは、みんなを土地から追い出すんだね?」

 ミューリー「ちくしょうめ…あの薄汚ねえちくしょうどもめ」
     「やつらにゃ俺を追っぱらうことなんかできねえぜ」
     「何度でも、俺はすぐ戻ってくるからな」

     「もし俺を土の下に眠らせようってんなら、そんとき俺は、奴らを
      二、三人道連れにしてやるぜ」

 上着の横から銃を出して見せるミューリー

 トム  「みんなを追い出したって、どういうことなんだ?」
 ミューリー「それよ! 奴らは、あれこれ、うまいことしゃべりやがった」

     「おめえも知ってるだろう、ここ幾年か、どんなにひでえ年だった
      か…」


♯11
 砂嵐
 ひび割れた大地
 
  「砂嵐が押し寄せてきて、何もかもだめにした」
 
 枯れて倒れた玉蜀黍の葉がカサカサと音を立てる

  「太陽は土埃におおわれた大地に照りつけた」

 畑の玉蜀黍は全て同一方向に倒れている

  「収穫なんてなかった
  誰もかれも食料品屋に借金がたまった」
 
 貧しい小作農家。家の入口に座る男
  
  「土地の所有者はこう言った

   『もう小作人を置いておく余裕はなくなった』

   『小作人の取り分は、私たちにとって、どうにもやりくりのつかぬギリ
    ギリの利益なんだ』

 干からびた大地

   『お前たちの土地を全部合わせても、土地の利益なんてほとんどない』」

 走り回るトラクター

 押しつぶされる小作農家の家


♯12
 ミューリー「…だもんで、奴らは小作人を、みんなトラクターで追い出して
      しまったんだよ」

     「残ったのは俺だけさ。だが、くそっ、俺はいかねえぞ」
     「俺が馬鹿でねえことは、おめえも知ってるはずだ」

 トム  「ああ、おめえのことは、生まれてからずっと知ってるさ」

 ミューリー「この土地がたいして役立たたねえことは俺も知ってる。本当は
      耕地にする土地じゃねえ」

     「それに綿花で、この土地はくたばりかけてるんだ」

     「もし奴らが出て行けなんて言わなきゃあ、俺は今ごろカリフォル
      ニアで葡萄やオレンジをもいでるぜ」

     「だけど、ちくしょうどもは、俺に出て行けとぬかしやがった」

     「人間、そんなこと言われりゃ、出て行けるもんじやねえや」

 トム  「そうだとも」

     「うちの親父だって、そんなに簡単に出て行くなんて合点がいかね
      え。爺様が誰も殺さなかったのも合点がいかねえ」

     「婆様だってよ…うちの連中がそう簡単に出て行くはずがねえ」

 ミューリー「それがよ、やって来た男がうまいことばっかしぬかしやがった
      んだ」…


♯13
 「(♯2のシーン)
 代理人「お前さんたちには立ち退いてもらわなければならない」
    「それは、わしのせいじゃないんだ」
 小作人1「じゃ、誰のせいなんだ? 俺が出かけて行って、その野郎のきん
     たまをぶち抜いてやる」
 代理人「それはショーニー土地家畜会社だ。わしはただ命令を受けているだ
     けなんだ」
 小作人2「そのショーニー土地家畜会社ってのは、誰のことなんだ?」
 代理人「誰のことでもないよ。会社なんだ」
 小作人3「会社だって、人間が集まってできたもんだろうが」
 代理人「そこが違うんだ。会社は人間とは別のものなんだ」
    「会社は人間以上のものなんだ。人間が作ったものだが、人間はそれ
     を押さえられないんだ。…怪物さ」
    「銀行や会社は…空気を呼吸しているのじゃない」
    「利益を呼吸しているんだ…あの連中は」
    「しょっちゅう利益を食い続けなければならないんだ」  
    「この怪物は、太るのをやめると、死んじまうんだ」

 大きな赤い太陽が地平線に沈んでいく
 代理人の箱型の車と、小作人たちに夕闇が迫る            」


♯14
 大きな赤い太陽が地平線に沈んでいく

 ミューリー「人を馬鹿にしてやがるじゃねえか」
     「俺は…俺は出て行かねえぜ」
 
 暮色があたりに迫る
 トム、ケーシー、ミューリーの三人を闇が包みはじめる
 宵闇に星が光る


♯15
 夜空に星

 やっとあたりが白みはじめる時間

 綿花畑の間に続く車の轍とでこぼこ道
 トム・ジョードとケーシーが土埃を巻き上げながら歩いている

 ケーシー「お前さん、本当に道を知ってるんだろうね?」
 トム  「俺は目をつぶったって、まっすぐあそこへ行けるよ」

     「おふくろが、何か料理をしててくれるといいんだがな」

     「腹ぺこだよ」
 ケーシー「わしもさ」

 トム  「ミューリーは、地鼠みてえに、びくびくした人間になりかけてた
      な」
     「まるでインディアンに追っかけられてるみてえに、びくついてい
      やがった」
     「奴は気が変なんじゃねえかな?」
 ケーシー「もちろんミューリーの奴は気違いさ」
     「コヨーテみてえに這いずり回ってりゃ、…」

     「気違いになるのも当たり前だよ」

     「奴はいまに、誰かを殺して、警察と犬に狩りたてられることにな
      るぜ」

     「それが、わしには予言者みてえに、はっきりわかるよ」

 トム  「そうだな。…日の出までにはジョン伯父のところに着けるな」

 すっかり白む大地
 綿花畑の道を急ぐ二人

 トム  「いったいジョン伯父のところじゃ、みんなどうやって寝てるのか
      な」
     「あそこは部屋がひとつと、差しかけ小屋の調理場と、ちっぽけな
      納屋しかねえんだ」
 ケーシー「ジョンは一人ぼっちじゃなかったかい?」
     「あの人のことは、あまりよく覚えてねえが」
 トム  「世界でいちばん淋しい人間だよ」
     「それに、すこし気違いじみた人間だよ」

     「ミューリーに似たとこがあって、ときには、もっとひどいんだ」
     「酔っぱらって、二十マイルも離れたとこや、いたるところでジョ
      ン伯父の姿を見かけたぜ」

     「夜ランタンをつけて自分の土地を耕したり、気違いじみてたよ」
     「誰も伯父は長生きしねえと思ってたよ。でも親父より年上だぜ」

     「年ごとに手強く頑固になってく。爺様より頑固だぜ」

 ケーシー「ジョンは、まるっきり家族を持ったことがなかったのかい?」
 トム  「いや、ジョン伯父には若い女房がいたんだ。親父から聞いた話だ
      けどな」
     「女房は妊娠してたたんだ。ある晩、腹痛を起こしてね」
     「ジョン伯父に医者を呼んで来てくれって…するとジョン伯父は言
      ったそうだ」
     「ただの腹痛だよ。食べ過ぎたんだろ。痛み止めを飲みなって」
     「次の日の昼、女房は気が変になって、夕方死んじまったそうだ」
 ケーシー「何だったんだね? 食あたりかい?」
 トム  「いや、何かが腹の中で破裂したんだ。盲腸とかいうやつだ」

     「ジョン伯父はのんきな男だったが、それをひどく気にしてね」
     「長いこと、誰とも口をきかなくなってしまったんだ」

     「その状態から抜け出すのに、二年かかったんだが、それから気が
      ふれたみてえになってしまったんだよ」
 ケーシー「かわいそうな人だな」
 トム  「伯父は女房が死んだのは自分のせいだと思いこんでるんだ」

     「それからは、誰に対しても、その償いをしてるのさ…」

     「子供にものをやったり、誰かの玄関先に食い物を置いてきたり」

     「自分の持ってるものを、みんな人にやっちまうんだ」

     「それでもまだ伯父は、あんまり幸せじゃなかったよ」
 ケーシー「かわいそうな、淋しいひとだ」
     「細君が死んだあとは、よく教会に行ってたかい?」
 トム  「いや、行かなかったよ。人なかには決して近づかなかったよ」
     「一人ぼっちでいたがってたよ」

 光のなかを歩くふたり。ケーシーはうなだれて歩いている



♯16

 トム  「ほら! 真っ正面だ。ジョン伯父んとこの水槽だ」

 近づくふたり
 水槽の近くに、何匹かの犬たちがいる
 番っている犬たち

 トム  「ちきしょうめ! あの乗っかってる奴は、うちのフラッシュだ」
     「こい、フラッシュ!」

     「ちきしょうめ、見向きもしねえや」

     「もっとも、俺だってあんなときは、誰に呼ばれようが見向きはし
      ねえが」
 笑い出すケーシー
 ケーシー「なんだな、もう説教師じゃねえってことは、まったく気持ちが
      いいもんだな」

     「昔は誰もこんな話をしてくれなかったし、聞いても笑うことが
      できなかった」

     「汚ねえ言葉も使えなかった」

     「今じゃ、好きなときに好きなだけ、汚ねえ言葉も使えるしな」

 交尾している犬
 微笑むケーシー