芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

宮廷の孤立

2016年01月06日 | エッセイ

 私は天皇主義者ではない。明治以降の王政復古と近代天皇制に関しては、中江兆民ではないが「苦笑するのみ」であり、その帰結が戦前の昭和天皇で、批判の対象であった。しかし私は、今上天皇と皇后のお二人を、敬愛しているのである。そのお人柄も好きなのだ。今、お二人は孤立感を深めておられるのではないか。

 2014年8月、安倍首相はA級戦犯として処刑された軍人や政治家の追悼法要に、自民党総裁名で哀悼メッセージを送った。その法要は、連合国による裁判を「報復」と断定し、処刑された全員を「昭和殉難者」として慰霊するものであった。安倍首相は戦犯たちを「自らの魂を賭して祖国の礎となられた」と賞賛したのである。
 その2ヶ月後の10月、美智子皇后は誕生日を前にし、「来年戦後70年を迎えることについて今のお気持ちをお聞かせ下さい」という記者団からの質問に対し、文書でこうコメントした。
「私は、今も終戦後のある日、ラジオを通し、A級戦犯に対する判決の言い渡しを聞いた時の強い恐怖を忘れることが出来ません。まだ中学生で、戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところは少なく、従ってその時の感情は、戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈はなく、恐らくは国と国民という、個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する、身の震うような怖れであったのだと思います」
 皇后は、記者からA級戦犯をどう思うかと質問されたわけではなく、自らA級戦犯に言及し、その責任の大きさについて語ったわけである。皇后はA級戦犯を英雄視した安倍首相に、国の舵取りをした者の責任の重大さを、穏やかに諭されたのであろう。
 またこの年の天皇誕生日会見で、天皇は次のように発言された。
「平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り…」
 しかし、この憲法に言及した部分について、NHKは安倍政権に配慮したか、カットし全く伝えなかったのである。また、美智子皇后の「A級戦犯」発言についても、この部分を大きく取り上げた新聞、テレビはほとんどなかった。
 以前から宮内庁記者や皇室関係者の間では、お二人はリベラルな考えをもっていると言われていた。それが、第二次安倍政権発足後に本格的に改憲の動きを見せはじめると、「天皇と皇后両陛下は、安倍政権の改憲、右傾化の動きに相当な危機感をもたれている」と囁かれはじめた。
 これまでは、憲法や平和、民主主義については、たまに二言三言ふれる程度だったのである。しかし、お二人はかなり思い切った護憲発言をされるようになったのだ。
 2014年、天皇は誕生日の記者会見では、「80年の道のりを振り返って特に印象に残っている出来事を」という質問にこう答えている。
「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います」
 日本国憲法を「平和と民主主義を守るべき、大切なもの」と最大限に評価した上で、あえて「知日派の米国人の協力」と言及し、「米国による押しつけ憲法」という右派の批判を牽制するような発言をされたのである。
 また、皇后は2015年の誕生日にも、憲法に関してかなり踏み込んだ発言をされた。記者からこの一年で印象に残った出来事について訊ねられた皇后は、「5月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます」と前置きし、以前に、あきる野市五日市の郷土館で「五日市憲法草案」を見た時の思い出と感動を語り始めたのである。
「明治憲法の公布(明治22年)に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、204条が書かれており、地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも四十数か所で作られていたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人びとの、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います」

 私擬憲法である五日市憲法は、地元の小学校で代用教員をしていた千葉卓三郎を中心に、多くの仲間たちが勉強会を開き、討議し、これを千葉が起草したものである。これらの発見と研究は色川大吉とそのゼミ生の研究によって世に明らかにされた。
 大日本帝国憲法はこの五日市憲法に比し、はるかに劣った退嬰的なものであった。五日市憲法に書かれた半ば以上の基本的人権を中心とした理念は、戦後憲法にほぼ取り入れられている。
 皇后は日本国憲法と同様の理念をもった憲法が日本でもつくられていたことを強調し、基本的人権の尊重や法の下の平等、言論の自由、信教の自由などが、決して「占領軍の押しつけ」などでないことを示唆したのだ。 
 ちなみに私は8年ほど前、千葉卓三郎のことを「旅窓の夢」と題し、かなり長文のエッセイに書いたことがある。また「旅窓の夢」の中に、植木枝盛の私擬憲法についても触れた。
 明治13年、14年に、日本各地の多くの人民、青年たちが西欧の思想哲学書・法学書を入手し、それらを回し読みして地方政党や塾をつくり、勉強会を開いていたのである。自由民権が叫ばれ、彼等は私擬憲法を作成したのだ。全国で作られた私擬憲法草案は四十を超えたのである。その半ばは天皇から下付される欽定憲法だが、半ばは「主権在民」の憲法草案である。
 植木枝盛の草案も主権在民の憲法であった。彼は三十五条にわたる人権保障を規定した。出色は、不服従権、抵抗権、革命権を入れたことである。「政府国権に違背するときは日本人民は之従わざるを得」「政府悠に国権に背きほしいままに人民の自由権利を残害し、建国の旨趣を妨ぐる時は日本国民は之を覆滅して新政府を建設することを得」…素晴らしい、面白い。

 安倍や官邸、自民党、それを支える右派の走狗勢力が、天皇・皇后の護憲、平和、民主主義擁護の発言を真摯に受けとめる気配は全くなく、逆に首相とその右派走狗周辺から、天皇に対する批判発言まで飛び出す始末である。
 例えば、昨年5月、安倍政権下で教育再生実行会議委員をつとめ、首相のブレーンである憲法学者・八木秀次は「正論」(産経新聞)5月号で「憲法巡る両陛下のご発言公表への違和感」という文章を発表した。彼は露骨に天皇と皇后に、安倍政権の批判をしないよう説教をしたのである。
「両陛下のご発言が、安倍内閣が進めようとしている憲法改正への懸念の表明のように国民に受け止められかねない」
「宮内庁のマネジメントはどうなっているのか」と宮内庁を批判した。天皇、皇后に護憲や民主主義擁護などの発言をさせるな、彼らの発言を事前にチェックしろ、彼らの口を塞げ、と言っているのである。
 日本国憲法第99条には「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」という条文がある。そもそも、今上天皇は現憲法によって天皇に即位したのだ。現憲法を擁護することは当然であろう。しかも義務なのだから。だからこそお二人は戦後憲法の理念である平和と民主主義の擁護を度々言葉にされたのである。
 しかし、いま安倍政権は安保法制でも憲法を無視するばかりか、その走狗である右派応援団や八木秀次などを使嗾し、戦後天皇制の立脚点を外そうとしているのである。ネット上では安倍首相の走狗的支持者が、護憲的発言をされたお二人に対し「在日認定」というレッテル貼りの表現までして、容赦なく非難を浴びせるのである。
 安倍が議連会長をつとめる神道政治連盟や走狗的右派勢力は、天皇を再び国家元首にかつぎあげることを公言し、天皇を中心とした祭政一致国家の復活を声高に叫んできたのである。ところが、天皇が護憲や平和、民主主義を口にし始めると、とたんにその存在を敵視し、「在日認定」とまで言い、天皇を無視した国家主義政策を進めようとしているのだ。天皇と皇后は、現政権に疎んじられ、孤立しているかのようである。
 いま日本のメディアは、天皇や皇后のこうした憲法発言はほとんど取り上げようとしない。NHK、読売系、産経系は安倍政権の広報機関として、当然のように安倍政権の改憲に水を差すような発言は一切報道しない。テレ朝もTBSも萎縮し報道しない。朝日や毎日、東京新聞なども「天皇の政治利用」と批判されることを恐れ、おふたりの護憲発言をほとんど報道しない。
 これからますますお二人は孤立されるだろう。どんな発言をされてもメディアは伝えず、安倍自民党政権とその走狗的右派応援団から無視され、逆に批判されることになるかも知れない。
 メディアよ、伝えよ。政権批判は許さないという現政権・官邸と、その走狗的応援団の非民主的な野蛮さ、危険さを萎縮せずに伝えよ。それがメディアの、ジャーナリズムの責務であろう。むのたけじ氏の言葉を思いだしてほしい。戦争は報道の萎縮から始まったのだ。