芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

競馬エッセイ 馬家噺

2015年10月31日 | 競馬エッセイ

 え~、人の一生を「人生(じんせい)」と言いますが、馬の一生はさしずめ「馬生(ばせい)」とでも言うんでしょうか、ン罵声? なんか怒鳴られ罵られてるみたいで嫌だね。これは「馬生(ばしょう)」と言ったほうがいいね。有名な句で「古池や芭蕉とびこむ水の音」…って、これがホントの水芭蕉。侘び寂びもあるね、「馬生(ばしょう)」には。
 でもまるで落語家だね。十代目金原亭馬生師匠は馬で言えば良血、父・五代目古今亭志ん生、母、そして母の父…え~実はあまり詳しく存じませんので…ご興味のある方は興信所に…え~その全弟に三代目古今亭志ん朝がおりまして、娘に個性派女優の池波志乃が出て、義理の息子が中尾彬。やはりなかなかの良血です。
 馬生師匠のおつむは白髪まじりでした。お父っぁんの志ん生師匠のおつむはよく光り輝いておりましたから、母の父にでも似たものでありましょう。
 馬生師匠は父の志ん生師匠に弟子入りし、四代目むかし家今松の名をもらい、その後は初代古今亭志ん朝となり、真打ち昇進の時に古今亭志ん橋となり、翌年から十代目金原亭馬生を名乗るという、目まぐるしい高座人生いや馬生師匠。その出囃子は「鞍馬」。

 最初に父・志ん生師匠に弟子入りしたとき、志ん生師匠は「むかし家今松」の名を与えただけで、どっか行っちゃった。いや、志ん生師匠は戦地慰問で家を留守にすることが多く、全く落語を教えてもらえなかったそうで。…
 そこで他の師匠方のもとに出かけて行って稽古をつけてもらったといいます。自分の弟子以外の者に稽古をつける、教えるってぇのは、落語界と相撲界に伝わる美風でして、こうして師匠みんなで、古今亭も林家も柳家も桂も三遊亭も春風亭も分け隔てなく後進の者を育てるんです。いいもんですな、こういう習わしは。だいたい古典芸能や武芸の世界は流派が違っても稽古をつけてあげるんですな。伊勢ヶ浜親方も春日野親方も境川親方も、どこの親方衆も、出稽古に来た他(よそ)の部屋の力士にさかんに教える。
 十代目馬生師匠は玄人受けする人情噺を得意としてました。実に渋い味わいのある落語でしたね。あのおつむは若白髪だったんですな、あれは。…食道癌で亡くなった時、まだ五十代半ばだったんですから、勿体ない。本当にお気の毒に、喉、さぞ痛かったんでしょうな。

 昔から風邪なんかで喉などが痛くなりますってぇと、喉にネギを巻く。私も子どもの時分にやってもらったことがありましたね。ネギの白い部分を十センチくらいの長さで切って、縦に包丁を入れて広げ、火で炙ってしんなりしたら、開いた面がのどに当たるようにしてガーゼかタオルで包んで、首に巻き付けるんですな。あれは非科学的なおまじないだと思ってましたが、ちゃんと科学的根拠があるらしいんです。
 あのネギには「ネギオール」と言う成分が含まれているそうで。…なんか小林製薬の「ノドヌール」とか「ブルーレットおくだけ」「アンメルツヨコヨコ」「コリホグス」みたいなネーミング。そう言や整体の「ソコモット」なんていうのも良いネーミング。
 え~なんでも、このネギオールは抗菌、殺菌、抗ウィルス作用があって、喉の炎症を抑えるのに効果があるらしいんですよ。
また、ネギの匂い成分である「硫化アリル」ってぇのは血行を良くして、体を温める作用があるんですって。まあ馬生師匠のご病気にはネギオールも全く効き目はなかったでしょうなあ。

 ところでネギオールで想い出しましたが、むかしソロナオールという馬がいましたな。父フェリオール、母ソロナコメット、母の父ソロナウェー。北海道門別の法理牧場の生産馬。法理牧場ってぇのは、障害レースの名手として鳴らした法理騎手の実家でしたな、確か。
 ソロナオールって馬は、男馬にしては温和しい女の子みたいに小柄で細身の馬体で、可愛いって感じの馬でした。運が悪いことに、タイテエム、ロングエース、ランドプリンス、イシノヒカル、ハクホオショウ、タニノチカラ、ハマノパレード、ストロングエイトたち、つまり最強世代と同世代。
 その脚質はいつも最後方からの追い込み一辺倒。そしていつも3着。セントライト記念3着、京都新聞杯3着、菊花賞3着、有馬記念3着、条件戦も3着。もっと前で競馬をすればいいのに、それができない不器用さ。きっと馬群に包まれるのが恐くて嫌いで、いつも後ろから行ったんでしょうな。
 むかしカブラヤオーの主戦騎手・菅原の泰っさんが言っておりました。他馬を怖がる気の弱い馬の戦術は、逃げか、最後方からの追い込みなんだって。
 カブラヤオーのデビュー戦はダート1200。この時は人気もなかったが、最後方から行って、ゴール直前で猛然と追い込んで頭差の2着。その後は逃げて逃げて逃げまくって、皐月賞もNHK杯も勝ち、八連勝でダービー馬となりました。カブラヤオーが引退した後に、泰っさんは言ったね。カブラヤオーは気が弱かったんだって。追い込むか逃げるかしかなかったって。
 ソロナオールも他馬を怖がったんだろうね、たぶん。だけど大外から猛然と追い込んでくる脚は圧巻で、もうスタンド全体が「来た~」って感じで揺れたけど、やっぱり3着。あ~あ、今日も3着かって…。
 そのほとんどのレースで乗っていたのは高森紀夫騎手でしたな。あんまり目立たない騎手でした。でも高森と言えばソロナオール、ソロナオールと言えば高森。「この人この一頭」に入れてもよかったねえ。勝てなかったけどファンは多かったねえ、胸をキュンとさせるんだよねえ、あのソロナオールっていう馬は。判官贔屓ってぇのかね。女性ファンも多かったような気がします。
 そう言や、ロイスアンドロイスってぇ馬も3着ばかりだったなあ。オールカマー3着、天皇賞・秋3着、ジャパンカップ3着…。このときは横山典弘騎手が乗っていましたっけ。しかしロイスアンドロイスは典型的なジリ脚タイプ。同じ3着でも、インパクトではやっぱりソロナオールだねえ。

 え~、人間は風邪で喉が痛くなったらネギの一、二本分も首に巻けばいいけど、馬は大変だね。首が長いし太いし。キリンはもっと大変だろうね、ありゃあ。深谷のJAにでも協賛に付いてもらわなくっちゃね。
 え~人情噺なら十代目「馬生」、喉の「炎症」にはネギオール。抗菌、殺菌、抗ウイルス。ソロナオールは最後方、「来た~」けれどオール3着。追い込むだけの「馬生」なんでありました。
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人のとなりに 落語の動物

2015年10月31日 | エッセイ
                                                            

 落語は楽しい。私はまだ二歳か三歳の頃、よくラジオの前に坐って落語を聞きながら、ケラケラと笑っていたそうである。記憶はない。むろん噺が分かって笑っていたのではなく、客席の笑い声に誘われただけのことだったろう。
「ルーシーショー」をはじめとするアメリカのTVコメディで、効果音として大勢の笑い声を入れて視聴者の笑いを誘導する、あの手法と同じ効果で分からないけど笑っていたのだ。
 動物が出てくる落語は多い。狸の噺では、上方の「豆狸(まめだ)」「狸茶屋」、狐は「王子の狐」、上方の「天神山」「狐芝居」「吉野狐」、馬は「馬大家」「馬の田楽」「馬のす」(この噺のサゲはよく分からない)、猿は「猿後家」「写経猿」「猿の夢」、牛は「牛ほめ」、犬なら「元犬」などがある。
 江戸時代は無論、明治以降にできた噺も古典落語とされ、現代も多くの噺家が演じている。みな演者の工夫によって噺が微妙に異なる。創作・新作落語でも良いものは、いずれ多くの噺家によって演じられ、やがて古典となる。
「猿の夢」は立川談笑の創作落語であろうか。また三遊亭圓窓の「写経猿」は結構しんみりさせる噺だが、彼の創作落語だろう。
 上方落語「動物園」はまるで現代落語のようだが、明治の頃、上方の二代目桂文之助が始めたらしい。かつて桂枝雀が座布団から這い出て、四つん這いで舞台袖から座布団まで往復し、賑やかに演じていたが、意外に古いのだ。
 この「動物園」は三代目柳家小さん(初代柳家小三治)が東京に移植したとされる。寄席通いを楽しみにしていた夏目漱石は、この三代目柳家小さんを「天才」と呼んだ。「彼と時を同じうして生きる我々は大変な仕合せである」…もう手放しの大絶賛である。

 さて、落語は大変ためになる、勉強になるンですな、これが。「牛ほめ」では馬鹿の与太郎が主人公。こいつが牛の尻の穴に「秋葉権現様」のお札を貼り、「屁の用心」というのがサゲです。秋葉原の「秋葉権現」は神仏習合の火防(ひよけ)、火伏せの権現様で、江戸の大火を食い止めるために、遠州より勧請されたンです。秋葉権現から秋葉原という地名ができたンですヨ。ホントためになりますナ。
 古今亭志ん生の噺の枕に、サゲ(落ち)には、見立て落(仕草落)、頓知落、考え落、地口落、間抜け落、仕込み落、途端落なんてエのがありまして…と、なるほど。さらに、「河童の川流れ」「ムカデも転ぶ」なんて言い回しを覚えたり、「桂庵(けいあん)」や「果師(はたし)」なんてぇ職業も知る。また「焙炉(ほいろ)」や「明珍(みょうちん)」「高麗の梅鉢」なんてことも知る。勉強になります。「吉原(なか)」や「郭」の仕組みや仕来りも覚える。こういう勉強は今の学校では教えない。昔の学校でも教えませんが…まあ落語なら学べる。そうするってぇと池波正太郎や山田風太郎らの時代小説がよく分かり、面白さが倍増します。
 ちなみに、「桂庵」は口入屋、雇人請宿のことで、「果師」は店を持たずに骨董や古道具を同業相手に売買する人「売り果たす人(師)」。「明珍」は代々甲冑や、金物づくりの飾り物等の名工を輩出した家柄で知られる。足利義満の甲冑を作った明珍宗安で第十代なのである。テレビ番組の「なんでも鑑定団」にも国宝級の第○代明珍作が登場することがある。実はつい先日、「明珍」姓の女性に会った。こんな珍しいお名前なので、名工「明珍」家の末裔なのに違いない。

 二十年余も前に「ちくまカセット寄席」を買って楽しんできた。「ながら」仕事によく聞いたものである。今は名人達の噺をインターネットの動画で見たり聞いたりする事ができるが、動画だと「ながら」仕事には向かない。このカセットは全て寄席での収録である。久しぶりに引っ張り出して、古今亭志ん生の「王子の狐」「猫の皿」「元犬」を聞いてみた。いやあ、面白い! やっぱり志ん生はいい!

「猫の皿」である。おそらく志ん生は、その日何を演るのかを決めないまま高座に上がったものと思われる。
「え~どうも私は人のように…なかなか器用にゆかないので…その噺には、こう入ってこう話していくという順があるンですが、私の噺は…上がったところ勝負で入っていく(客席爆笑)」…
 この間、何の噺をしようかと考えながら喋っている様子なのだ。
「…噺というものは、端(はな)はてえと小咄と言って短いところが端で、そこからだんだん長くなっていく…鼠の娘がお嫁に行って、じきに帰って来たンで鼠のお母さんがたいへん怒って、お前はあんな結構なところに行って何で帰ってきたんだい?…うぅでも~お母さん、あそこの家あたし嫌なンですよ。どうして嫌なの? ご隠居さんがね。…やかましいの? 優し過ぎるのよォ。優し過ぎるのならいいじゃないか。…でも、猫なで声で…なんて(笑)。
…升落とし(鼠獲りの仕掛け)で鼠を獲った時代がありましてェ、…獲れたかい? おう獲れたよ、大(でっ)けぇ奴ふん掴まえたぜ! どれ見せて見ろ、なんでェ小せえじゃねえか! 何だと人が獲ったもんに文句あんのかよ、でけえよ! いや小せえ! いやでけえ。小せえ。でけえ。小せえ。升のなかで鼠が、チュー(中)なんて(爆笑)…昔はどこの橋にも橋番てぇものがおりましてぇ」…前座のする小咄を二つ演って、彼は「猫の皿」を上演げることに決めたようなのだ。
 この噺に「明珍」も「高麗の梅鉢」も出てくる。それにしても、古今亭志ん生の惚けた語り口と、言葉に詰まって口ごもったような間はいいネ、どうも、え~。倅の金原亭馬生の語り口はおっとりとしていて、下の子の古今亭志ん朝の語り口は切れがあって良かった。まあ、それぞれの味だあね。

 古今亭志ん生は動物好きだったらしい。小鳥やら金魚やらを飼っていたが、あんまり温和しいんで張り合いない。そこで犬を飼ったが、これが秋田犬で、下町の住宅密集地なのによく吠えるし、よく食うし、毎日散歩に連れ出さなくっちゃならないし、師匠は面倒になったらしい。人手に渡してしまったが、やはり動物好き、犬好きは落語にも出て微笑ましい。特に「元犬」は。
「…飼い主がいない野良犬ってえのがおりまして、そういう犬の中に白犬は本当に少なかったそうで。白犬は人間に近いなんて言いますが、いつの頃ですか浅草蔵前の八幡様の境内に、一匹の白犬が紛れこんでまいりまして。参詣の人たちが、ほんとに白だね。エどうだい、おいシロ、真っ白だね、可愛いね。白犬は人間に近いというから、きっとお前は今に人間に生まれ変われるからな。楽しみにしていなヨって、つむじを撫でられたりしていると、シロ公考えちゃって、俺は人間になれるのかね。だけど今度の世だって言ってたネ。今度の世じゃ嫌だね、今なりたいね…その気になって人間になれますようにと八幡様に三七二十一日の裸足参り。犬だから下駄は履いちゃいないけど。
…満願の日の朝、一陣の風が吹くと毛が飛んで、気がつくと人間に。うれしいけど、サルマタもねえし裸じゃしょうがないからって境内の奉納手拭いを腰に巻いた。人間になったからはどこかに奉公しないと飯が食えない。でも知っている人は誰もいない。
 お、向こうから犬の時分に可愛がってくれた桂庵の上総屋の旦那だ。奉公したいので世話してくれと頼むと、何で裸なんだい? 気の毒に悪い奴に騙されたのかい? よし家においで…
 裏の台所に回って足をお洗い。おい雑巾絞った水を飲むンじゃないよ。その辺の水を拭いておくれ。そうそう、お前這い具合が上手いね。あたしの下帯、着物を用意したからそれを着な。おい下帯首に巻いてどうする。…ご飯をお食べ。何で尻を振るンだよ。よし、変わった奉公人が欲しいというご隠居がいるので、そこにお前を世話しよう。さあ行くよ。そこの下駄をお履き。おい下駄を咥えて振り回すンじゃないよぅ。おい何で猫に唸るンだよ。食いついちゃいけないよ。人間が猫に食いつくンじゃありません。おいッ、何で片足持ちあげて小便するンだよ。後の臭いなんぞ嗅ぐンじゃねえってンだ。
 
 ご隠居さん、今日は真面目そうな変わった若い衆を連れて参りました。ええ、表で敷居に顎のせて寝てるでしょ。…めでたく奉公が叶いまして、ウチには今用事で出ているお元という女中がいるから、仲よく暮らしとくれ。生まれはどこだい? 八幡様裏の、豆腐屋と八百屋の裏。そこはウチの家作だよ。右かい? 左のほう? 突き当たり? あそこは掃き溜めだよ。え、掃き溜めで生まれたの? お父っつぁんは? よく分からないけど、たぶん酒屋のブチだ? …名前は? シロです。白吉かい、白太郎? ただシロなンです。只四郎か、いい名前だネ。茶でも入れよう、鉄瓶がチンチンいってないかい? チンチンはやらないンです、あっしは。変な人だね。そこに焙炉(ほいろ)があるだろ、取っとくれ焙炉。ウ~ワン!ワン! うわっ驚いた、気味悪い人だね、お~い、元は居るか? はい、今朝人間になりました。」


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農業と食糧安全保障について

2015年10月30日 | エッセイ

 TPPを農業問題のみに絞って語ることは問題の矮小化である。TPPは全24分野のひとつに過ぎない。しかし農業分野について思い付いたことを列記してみた。問題の本質の、ほんのわずかな列記である。 
 TPPは何も恐くないと言う。逆に農業改革推進のために活用できる、規制や関税に守られた既得権益と政治との癒着が日本農業の構造的問題なのだから、TPPを利用してそれを打破し構造改革を進めようと言うのである。馬鹿な奴らだ。既得権益と政治力の破壊の次に来るのは、より強力なアメリカ農業の既得権益とその政治力の行使であろう。
 すでに日本の農業は、モンサントのF1品種に依存する体質となっているが、さらにその隷従が進むと見るべきである。また穀物メジャーのカーギルとADM等の支配下に置かれ、アメリカの農業関係企業、農業団体による政治的圧力が強まるだろう。それに抵抗したり、地産地消を推し進めようとしても、TPPの嫌らしさは関税撤廃ばかりでなく、非関税障壁の撤廃にある。「ISD条項」を持ち出され、日本の地産地消は非関税障壁に相当し、わが社は○○○億円の損失を受けたと、日本国を相手取って訴訟が起こされる。
 
 日本の農産品は成長著しいアジアに輸出できる、アジアの富裕層向けに日本の高付加価値農産品の輸出を伸ばせると言う。これも疑った方がよい。
 3年ほど前のこと、日本の若い農業者がその高い農業技術を活かし、ベトナムやカンボジアで高付加価値の野菜作りに挑んでいるとNHKが伝えた。その農産物は成長が期待できるアジアの富裕層向けに届けられ、また将来は日本にも輸出する計画なのだとか。記者の意見かどうか知らぬが、その報道はその取り組みが注目されており、日本の農業は決して暗くないと。馬鹿な奴らだ。その農産物は日本の一般人の口には入らないのだ。またこれは日本の農業ではなく、ベトナムやカンボジアの農業であり、彼等はかの地への移住者と見なすべきだろう。

「TPPで日本は野菜の100品目の関税を完全に撤廃するが、野菜は低カロリーなので食糧自給率に与える影響は極めて少ない」という馬鹿さ加減はどうだ、というより呆れるばかりの国民への欺瞞的広報である。
 食糧自給率の話である。カロリーベースの食糧自給率のおおよそは、フランスが130%超、アメリカが129%、ドイツが92%、イギリスが72%、日本は39%。日本は危機的状況なのだと知るべきである。
 農業生産額ベースでは1位中国、2位アメリカ、3位インド、4位ブラジル、5位日本である。農業生産額ベースでは日本は世界第5位の農業大国となるが、誰もそんな実感はあるまい。これは、人口、作付面積、物価、その時点での為替相場等が作りだした、マクロ数字のマジックに過ぎない。
 戦略物資としての穀物の話である。先ず穀物が人間の身体を養う主食なのである。長期間冷蔵保存が可能で、しかも腐敗しにくい。したがって日本以外の世界の国々は「穀物自給率」を最も重視する。
 穀物自給率は、旱魃等等の気象に影響され、年によって増減はあるが、ここ10年ほどのおおよその平均値として、オーストラリア280%弱、フランス170%超、アメリカ130%超、ドイツ120%超、イギリス99%、中国90%、北朝鮮50%………日本27%。この日本の数字を辛うじて支えているのが米なのである。
 野菜類はあくまで副食農産物であり、人間の身体を養う主食は穀物なのである。ちなみに日本の食肉自給率はこれもおおよその数字で40%だが、日本は牛、豚、鶏等の飼料およびその原料の90%を、輸入に頼っている。
 例えばトウモロコシを日本は国産ではまかなえず、また飼料もまかなえない。日本にとってトウモロコシは必需品であり、またアメリカ以外からの輸入は難しいだろう。近年、大豆をはじめ、中国もその旺盛な消費拡大から買い付けに奔走しているため、価格は高騰している。日本の40%の食肉自給率もTPP発効後は壊滅する恐れが高い。
 なんの、日本各地に高付加価値のブランド和牛があるではないかと言うが、すでに和牛の精子は、オーストラリア、中国、アメリカ、カナダや欧州に持ち出され、それぞれの国が「和牛」の生産と輸出に力を入れている。この和牛精子を海外に持ち出して売ったのは、おそらく日本の商社に違いない。

 関税を撤廃した自由貿易TPPによって、日本の自動車、家電品、機械等の高品質製品類の輸出が伸びると言っているが、これもTPP推進派の嘘のひとつである。日本の自動車メーカーは、すでに現地生産にシフト化している。家電品は韓国や中国製品に押されっばなしで、北米を筆頭に世界各地で日本の白物家電は壊滅状態である。またアメリカは自動車や家電品を自国でも生産しており、他国からも容易に輸入できるし、特に必需品ではない。しかし日本にとってトウモロコシ、大豆等は「必需品」なのである。
 三木谷某は「日本の農業が無くなったって何も問題ない。輸入すればいい。」と言い放ったが、かつて食糧価格の国際的高騰時に、ベトナム、カンボジア、インドネシア、インド、カザフスタン、エジプト、セルビア、アルゼンチンは穀物の輸出禁止を実施した。中国も輸出税、輸出枠規制で穀物輸出を制限した。アメリカはニクソン時代に大豆の輸出を禁止している。どの国も余剰生産物を輸出に回し、それが不足すれば自国民に回すのだ。食糧危機に際して、自国民を優先して食べさせるのは当然である。
 一国の穀物の不作はその国際市場でたちまち浮遊する投機マネーを集め、価格が一気に暴騰する危険を孕んでいる。投機マネーは高騰する商品を探しているのである。水資源の枯渇は地球レベルで進行し、地球レベルの気候変動による農業全般の危機状況が進行している。
 食糧安全保障の観点からも日米同盟と、アメリカが求めるTPPを、と言う人もいる。また、日本の食糧輸入先の多様化を図るためにも自由貿易を拡大させ、食糧安全保障を担保するというのも、どちらも寝言に過ぎないと思うのだ。
 かつて環境学者レスター・ブラウンは「誰が中国を養うのか」を書き、近未来の世界的食糧危機を予言した。しかし「誰が日本を養うのか」ではなかったか。
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報道の自由度と、NHKとBBC

2015年10月30日 | エッセイ

 フランスに本部を置く国境なき記者団は、言論と報道の自由の擁護を目的に、ジャーナリストたちによって作られた非政府組織である。拘束されたジャーナリストの救出運動や亡くなった場合の遺族支援活動、各国の報道・言論規制の監視と警告などを行っている。
 彼等が毎年発表している「世界報道自由度ランキング」によれば、日本は2014年の59位から、今年はさらにランクを下げ61位になった。かつて10位以内に入っていたこともあったが、日本は急速にその言論と報道の自由度を失いつつあると見られているわけだ。
 かつては日本の記者クラブ制度の閉鎖性や、皇室報道の強い制限と空気のような圧力、政治家等の記者会見・質疑応答等における事前の質問内容提出等が批判された。最近は質問内容によって不許可(削除等)も増え、情報量も減ったとされる。
 またメディア内での明らかな事前の「自主」検閲が始まったのである。この自主検閲は、官邸サイドからの要請を受けた広告主と広告代理店から、空気のような圧力の存在があるのだろう。むのたけじ氏の言うように、まず新聞(メディア)が自主検閲を始めるのである。
 また近年日本がランキングを下げている国境なき記者団サイドの理由としては、特定秘密保護法ができたことや、福島原発事故、放射能汚染についての情報統制にも似た小出し情報と政府や東電の隠蔽疑惑と、要人たちの本音に近い戦前回帰熱望の放言や発言と、それを是とする国内に広がりつつある右傾化傾向とそれが作り出す「言葉を閉ざす」空気だろう。ランキングの下落は、国境なき記者団の日本に対する懸念の表明であろう。

 そもそもジャーナリズムというものは、権力を監視し、可能な限りの客観性を持って、それを批判する役割を担うものなのである。

 NHK(日本放送協会)は総務省が許認可権をもつ放送局で、国営ではない。NHKの会長は経営委員会(9人、定員12名)で9人以上の賛成を得て選ばれ、それを総理が承認する。経営委員は官邸や総務省の役人が、御しやすく保守系思想の持ち主を候補としてリストアップし、彼等を衆参両議院が同意し、総理が任命する。そもそも会長候補は官邸や総務省が選ぶ。官邸や総務省が選定し両院で同意し総理が任命した経営委員会で選ばれる会長を総理が承認する。副会長や理事は会長が選任する。何ともややこしく堂々巡りにも聞こえるが、要は全員権力サイドによって選ばれるということである。
 菅官房長官が総務大臣のおり、NHKをはじめ放送局を恫喝した。「放送免許の許認可は総務省が持っていることをお忘れなく」
 イラク戦争でも安保法案でも何でもかんでも、NHKは「不偏不党」をタテマエとし、いっさいのジャーナリズムの批判精神を捨て去らなければならないのだ。端から持ってはいけないのかも知れない。また有事に当たっては政府主導の下に入ることに定められており、政府発表のものをそのまま報道することになっている。
 平時でもNHK内で出世するには政治部がよく、取材のために有力政治家や官邸の懐に飛び込み、彼等から餌をもらうかどうかは知らぬが可愛いペットの九官鳥やオウム、インコとなって彼等の言葉の復唱、広報に徹しなければならない。

 イギリスのBBC(英国放送協会)は公共事業体であり、国営放送である。国王の特許状(ロイヤル・チャーター)を下付される。ここに公的目的、独立性を保証され、さらにBBCトラストや執行部の任務が規定されている。またBBCは放送を管掌する担当大臣と協定書(アグリメント)を取り交わす。BBCは民放と共に情報通信庁(オフコム)の監督下に入り、放送事業に関する規制も受ける。
 BBCトラストは一般視聴者を代表する11人で構成される委員会で、執行部の経営や、報道任務の規定に沿った活動なのかを検証する組織である。彼等はその報道が正確か、不偏不党かを検証するのである。
 トラストの委員は文化・メディア・スポーツ省が広告によって公募し、応募してきた人物を官僚が面接を行い、政権と距離を置く人物かどうか、公正な人柄か、偏った意見を持っていないか等を質疑・考察して選考する。
 委員長(会長)も同省が広告で公募し、同様の面接を行った上で選ぶ。選ばれた人物は、下院の委員会で質疑応答が行われた上で承認され、就任することになる。
 BBCは不偏不党、企業や権力の力を排除し、検閲を断固拒否し、その独立性と報道の客観性を保持する。第二次大戦中もフォークランド戦争でも、決して「わが軍」と呼ばず「英国軍」と呼び、「英国軍の発表によれば…」と客観性を貫いた。イラク戦争にも反対し、政権を強く批判した。これこそがジャーナリズムの本分であり、矜持であろう。
 無論、BBCにも馬鹿な奴はおり、スキャンダルもあり、顰蹙もかった。また政権寄りの記事を書く記者もいようし、失言するキャスターもいよう。偏った番組を作るプロデューサーやディレクターもいるだろう。要は受け手のメディアリテラシーが必要なことは言うまでもない。しかし少なくともBBCには、それを監視し、検証し、自己批判し、是正する組織があるということなのだ。

 かつてNHKは世界から高い評価を受けていた時もあったのである。しかし世界のジャーナリズムはその評価を徐々に下げていった。特に第二次安倍政権誕生以来、彼が選んだNHKの会長や経営委員の放言、暴言と、報道の政権追従姿勢が明らかになって、その評価は決定的になったように思える。
 そういう中で、BBCが日本語ニュースを立ち上げたという。BBCの記者たちは今の世界と、今の日本をどんなふうに伝えるのだろう。

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光陰、馬のごとし 競馬のこんな楽しみ

2015年10月29日 | 競馬エッセイ
                                                

 三十年も前のことである。仕事で足利に行った。JR線を乗り継いで両毛線で行ったのか、東武伊勢崎線を利用したのか、全く記憶がない。また駅からタクシーに乗ったのか、バスを利用したのか、歩いたのか、これも全く記憶がない。季節はいつだったろうか、風が強く髪がひどく乱れたことだけは覚えてい る。そこは渡良瀬川沿いである。
 面会の約束時間は午前中で、用件は三、四十分程度で済んでしまった。すぐに東京に帰る気がしなかった。昼食を取ろうと食堂を探したが、これといって見当たらなかった。風が遠くから歓声や実況放送らしき音を運んでくる。県道を探し歩くうちに、道路より高い土手に登って辺りを見渡してみようと思いついた。土手に登ると川風はさらに強く、しかも意外に近いところに歓声や実況放送らしき音の正体があった。目の前に河川敷が広がり、右手の先は競馬場のコースの端らしく、さらに土手沿いのかなたにスタンドらしきものが見えた。足利競馬場だ。しかも開催日に当たっているらしい。

 喫茶店を見つけた。ドアの鈴を鳴らして中に入ると、客は誰もいなかった。テーブルの半分はインベーダーゲーム機の兼用である。いかにも場末の喫茶店だ。食後のコーヒー付きのカレーだったか、スパゲティだったかを注文し、トイレにたった。顔の前は開け放された小さな窓である。用を足しているとブルルルルと馬の鼻腔音を聞いた。目を上げると、そこに鹿毛馬の大きな顔があった。馬と私は顔を見合わせた。
「わあ、驚いた。…ど、どうも」「ブルルルル」…私は馬とあいさつを交わした。「おまえ、ここで何してる?」「ブルルルル、ブル(ここは僕の家だ)」「そうなんだ」…トイレの前に厩舎があったのだ。
 店内に戻り「トイレで馬と会ったよ」とマスターに言った。マスターは笑った。「うちの馬です」「あれ競走馬?」「ええ」「引退した馬?」「いや、現役馬ですよ」
 見れば壁に何点かの額入りの口取り写真(レース優勝時の記念写真)が掛けてあった。「来月またレースに出します」とマスターが言った。
 足利競馬には外厩制度があるのかと驚いた。日本では競馬の公正を担保するため、レースに使用する現役の競走馬とその調教師、その厩舎は、競馬会のトレーニングセンターや競馬場に付属した厩舎内に一括して集められ、その厳正な管理下に置かれているはずである。各調教師の馬房数はその成績などで割り当てられている。それが内厩制度である。欧米では外に厩舎を持つことが許されており、外厩で調教しレースに出すことも自由だった。当時、中央競馬の有力馬主で生産者でもあったシンボリ牧場の和田共弘や、社台牧場の吉田善哉、そして大橋巨泉らが、日本も外国のように外厩制度を導入すべしと言っていた頃である。外厩制度はなかなか実現しそうになかった。
「毎朝、ここから調教師のいる競馬場まで連れて行って調教しているんです」とマスターは言った。「競馬場の厩舎がいっぱいなんでね。毎日顔が見れるんで、いいもんですよ」
 さすが地方競馬、足利競馬は大らかなものだと感心した。半分外厩制度なのだ。まるでアメリカの牧歌的な競馬映画「チャンプ」や「すばらしき仲間たち」のようである。向こうは外厩が当たり前なのだ。特にアメリカでは、調教師は馬喰(ばくろう)も兼ね、競馬場のパドックで馬の売買が行われ、金銭トレードを兼ねたクレーミング・レースが普通に行われているのである。この馬喰兼調教師たちはレースによる賞金の進上金より、馬の転売益の手数料で稼いでいるのである。
 ところで「チャンプ」は子役の涙で興行収入を稼いだ映画だったが、ジョン・ヴォイドやフェイ・ダナウェイが出演していたっけ。「すばらしき仲間たち」は誰が主演だったか。コメディ映画の名優ウォルター・マッソーだったか。これは小説も読んだ記憶がある。

「今日開催日なんですね」「ええ、やってますよ」
 食後、競馬場に行った。一周1100メートルのダートコースの小さな競馬場である。スタンドも小さく古びている。平日だから入場者も少ない。まるでフォスターの草競馬の風情である。
 出馬表を見ると嬉しいことを発見した。出走馬のおよそ四割近くは、かつて中央競馬のレースで馴染みのある馬たちの子なのだ。当時は父内国産種牡馬の冬の時代、不遇時代であった。シンザン、アローエクスプレスらは例外であって、天皇賞やダービーを勝って種牡馬となっても、中央競馬でその産駒を見かけることは稀であった。ましてや重賞を勝ちまくっても、大レースを勝っていない馬の産駒を見ることはほとんどなかった。
 ノボルトウコウの息子がいた。「おやおや、おまえはここにいたのか。あまりお父さんに似てないね。毛づやが良くないなあ、大丈夫か」と声をかけた。
 ノボルトウコウは六シーズンに渡って怪我も無く、鞍上に猿のような安田富男騎手を乗せて走り続け、68戦13勝、スプリンターズS、小倉大賞典、関屋記念、福島記念、七夕賞の五重賞を勝ち、地方開催では王者だった。父は人気種牡馬パーソロン、母はサンピュロー、母の父はフランスの至宝シカンブル産駒のシーフュリュー。母サンピュローとなれば、その半弟は連銭芦毛の菊花賞馬プレストウコウである。素直で素軽いパーソロンと、シカンブル系の底力と、ノボルトウコウ自身の競走史を振り返れば、実に健康でタフで健気な血統ではないか。
 大きな黒鹿毛の君は皐月賞と有馬記念を勝ったリュウズキの子か。強そうだね。頑健な血統だ。おやおや、白目をむいて口から泡を吹き蟹歩きしている君は…おおヨドヒーローの息子か。ガーサントの孫だから気性が悪いのはしょうがないね。やあ君はタケクマヒカルの子か。お父さんは本当に強い馬だったよ。俺は応援してたよ。ん、少し跛行してないか? 左トモの踏み込みが浅いね…。
 前のレースでは天皇賞馬フジノパーシアと、地方から中央に殴り込み、その頂点に立ったヒカルタカイの子が走っていたんだ。午前中のレースでは名マイラーだったニシキエースの娘と、ハイセイコーの同期だった快速ユウシオの娘が出走してたのか。オープン大将の異名をとった47戦20勝のヤマブキオー の息子もいたんだなあ。そう言えばヤマブキオーは栃木の鍋掛牧場の馬だったな…。いけない、あの喫茶店の馬の血統を聞いてなかった。もしかすると那須野牧場系の馬だったかも知らん…。

 今、足利競馬場はない。宇都宮競馬場もない。高崎競馬場も消滅した。三条競馬場も、益田競馬場も閉鎖された。それは地方の衰退、増える地方のシャッター通りと軌を一にしている。
 確かにJRAの売上も減り続けている。その競馬界における勝ち組と負け組の差は大きく、勝ち組は馬も人も一極に集中している。サンデーサイレンス系の内国産種牡馬の活躍は目覚ましい。彼等は輸入種牡馬と伍し、あるいは上回り、サイアーランキング上位に名を連ねている。確かにかつてのような内国産種牡馬の冬の時代は終わったかに見える。しかし活躍する内国産種牡馬はサンデーサイレンス系か、種牡馬とするために輸入された外国産競走馬の系統や、サンデーサイレンスのライバル種牡馬だった産駒のごく一部に過ぎない。彼等にはまだ中央競馬に活躍の場が残されているが、それ以外のほとんどの内国産種牡馬の産駒は、走る場所さえなくなっているのである。
 だが、ちっぽけで真っ黒なカブトシロー産駒のゴールドイーグルが、毛色は少し異なったが体型は父親そっくりで、おまけにその無謀な大暴走的レースぶりまでそっくりなのは何か嬉しい。また大柄で頑健な父親ハイセイコーに似ず、華奢でガレたようなカツラノハイセイコが、父の距離の限界を克服し、彼が果たせなかったダービーや天皇賞を勝つのを目撃するのも嬉しい。競馬の楽しみのひとつはそんなところにある。
 しかし、かつて見られたような、二流三流血統の父内国産種牡馬の産駒が、中央競馬の並み居る良血馬を蹴散らして大レースで活躍する機会など、もう夢のまた夢、絶無であろう。
               「光陰、馬のごとし2」に所収
               
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