芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

戯曲 ルドルフ あるいは…父たち、男たちの夜と霧(5)

2016年01月18日 | 戯曲



   保安本部、会議室
   ヒムラー、アイヒマン、グリュックス、ヘス、他にダッハウ、ブッヒェ
   ンワルト、マウトハウゼン、ザクセンハウゼン、オラニエンブルク、グ
   ロース・ローゼン収容所等の各所長がいる。おなじみの顔ではローリッ
   ツの姿も見える。
   全員テーブルにつき、資料などを見ている。
   ヒムラーの後ろに、棒グラフと線グラフ等が描かれた大きな紙が貼って
   ある。何やら発言しているアイヒマン。

   二人の男、舞台ソデに登場。例の作者と看板男である。

  作者  「ここに初めてアイヒマンが登場するが、彼は間違いなく狂人で
      ある。私としては、私自身に迷惑をかけさえしなければ決して嫌
      いな人物ではない。川俣軍司だって片桐機長だって私に迷惑さえ
      かけなければ嫌いではない。人間なんてみんなそんなものであ
      る。
       ところでこれは余談だが、私は今※《小田実氏と小室直樹教授
      の金網デスマッチ対談を企画中である。決して最後まで人の話に
      耳をかそうとせず、すぐ人の話をさえぎる両氏の対戦は、イノキ
      とババの試合が不可能な今、最もエキサイティングで耳をおおう
      ばかりの試合となろう》」
   ※(《》はアドリブで、原則として次回公演の予告などを語る)
   看板の男、《作者談》の看板を出し、二人退場。

  アイヒマン「…以上のように、ユダヤ人問題最終解決の実施は、当初の計
      画通りに進んでおり、このグラフが示すように、カーブが上昇線
      を描いていることには満足をおぼえています。しかし、確かに全
      体の数量は達成し得たものの、この棒グラフが示すように、これ
      はアウシュヴィッツ収容所のダントツの好成績が寄与したもの
      であります。いくつかの、ノルマも達成し得なかった収容所長は
      大いに恥じ、猛省していただきたい。収容所長としては失格です
      ぞ!
      …今後、ユダヤ人問題最終解決計画は諸般の軍事的、政策的事情
      により、その完遂を目指して、いっそうスピードアップすること
      となり、したがってノルマは従来の比でなく、より高い数字を、
      厳しいものを要求していきます」

  ヒムラー「いま、アイヒマン君から全体状況の報告があったように、…確
      かに目標数は確保した。しかし、ノルマを達成し得なかった収容
      所は無論のこと、ノルマを果たした収容所も、それでほっとされ
      ては困るのである! ノルマとは達成すべき最低の目標であり、
      各々が自ら課すべき目標はより高きにおかなければならん。各人、
      各収容所は、より大きな、より高き目標を掲げ、それを達成せん
      が為に、各々一人一人、自らを厳しく律し、精励せねばならん。
       この手元の資料にあるように、またこのグラフに示されるよう
      に、数字というものは実に冷厳なものである。口でいかに立派な
      理想を吐いても、実績が、数字がともなわなければなんにもなら
      ぬ。
       理想は高いが鼻は低い女、理想は高いが実績は低い男では困る
      のだ。そんな空しい理想は八百屋の犬にでも喰わしてしまうがい
      い。
       この数字が示す実績こそが冷厳なる事実、諸君の、冷厳なる審
      判者なのである。くやしかったら数字を上昇させる以外にない。
      …いかに好ましい人物であろうとも、いかに優しい男であろうと
      も、いかに学識豊かであろうとも、冷厳なる事実、数字が上がら
      ぬ者は決して評価されることはない。それが現代の物差しだ。男
      どもは、悲しいほどに知らされる。それが現代社会というもの
      だ! そうだな、グリュックス統監」
  グリュックス「はい、全くもって閣下のおっしゃる通りです」
  アイヒマン「そう、何にせよ数字が全てを評価する!」
  ヒムラー「ウム…そうだな、ローリッツ君」
  ローリツツ「え? あ、はい。全く」
  アイヒマン「本当にわかっているのかね、ローリッツ所長」
  ローリッツ「わかっております、身にしみて。数字というものは…悲しい
      ものです」
  ヒムラー「フム、くやしかったら数字を上昇させる以外にない。ローリッ
      ツ君、君のところの先月の達成数には大いに不満を覚えているよ、
      私は」
  アイヒマン「あの数字は情けない。全くもって不満ですな。君は所長失格
      と言われても仕方ないな」
  グリュックス「まあ、まあ、アイヒマン課長。それは後ほど…」
  ヒムラー「ローリッツ所長、来月の目標数はどうかね? 
      どのぐらい、いくかね? 確実な線で」

  ローリッツ「は、(あわてながら、手元の資料をさかんにめくる。資料や
       らノート、手帳が、彼の手元に山と積まれている)私共のとこ
       ろでは、ご存知のように、ただ今新たな焼却施設を建設してお
       り、しかし何分、この物資不足と予算的な問題で、もたついて
       いるんですが、えー(さかんに資料をめくる)来月半ばには、
       そのー、なんとか完成する予定ではありまして、したがって…
       えーなんとか月間…えー月間…」

  ヒムラー「資料をどっさり抱えこんで、いちいち見ないと答えられんのか
      ね! 私なんかこれだけだよ、これだけ(小さな手帳を見せびら
      かす)」
  ローリッツ「は、どうも」

  アイヒマン「(指揮棒で壁のグラフを指しながら)ローリッツ所長はこれ
      だけですよ、これだけ」
  ローリッツ「は、どうも(恐縮して)…えーなんとか月間…四千五百ぐら
      いは達成したいと…」
  ヒムラー「したい?」
  アイヒマン「したいですと?」
  ローリッツ「いえ、その、可能になると思われ…」
  ヒムラー「全くもって話しにならん問題外の外、唾棄すべき希望的観測だ。
      希望! それは抱き方によっては不潔な虫、抽象的な虫だ! 
      この虫に男どもはいつの間にか蝕まれ、何事もなさぬうちに老い
      さらばえることがある。気を付けろ、他の諸君らもだ!」

  アイヒマン「ローリッツ所長、君に欠けているのは憎悪だ。熱く煮えたぎ
      る赤い鉄塊のごとき憎悪だよ。もっと、もっと憎むのだユダヤ人
      を! 私は若い頃ユダヤ人に間違えられてリンチに合った。それ
      が今の私の原点だ。私はドイツ人だ! 誇り高きゲルマンの血が
      流れるドイツ人だ! 私はドイツが好きだ! ドイツを愛して
      いる! 私はドイツ人だ! 憎悪せよ我が敵を!」
  ヒムラー「ウン、わかったアイヒマン君、わかった、わかった。ローリッ
      ツ所長、少しはアウシユヴィッツを見習ってもらいたいものだ
      な」
  グリュックス「そうですヒムラー閣下、ヘス君の成功例を聞こうじゃあり
      ませんか」
  ヒムラー「ヘス君、諸君にアウシュヴィッツでの成功の実例を聞かしてや
      ってくれたまえ」

   他の所長、顔を寄せ合い、何やらヒソヒソ話しをする。

  ヘス  「は、私どもアウシュヴィッツ全体の処理能力は、現在一日五千
      五百体になりますが」
  ヒムラー「一日だぞ、一日!」
  アイヒマン「全くもって満足すべき素晴らしい成果です。素晴らしい、い
      や素晴らしいことだ!」
  ヘス  「これは私どもで先に完成させました新ガス室、及び第三、第四
      焼却室が、かなりの技術改良を加えた結果、炉一基当たり一日最
      高千八百体の処理が可能な性能を持ちましたことが、大きな原動
      力となっております。
       現在第五焼却炉を設計中ですが、こちらはさらに技術改良をは
      かり、処理能力も、一日四千五百と大幅に向上、しかも稼働経費
      の大幅なコストダウンもはかれる性能を持っております。
      (周りではしきりに感心、驚嘆の様子)
      この新焼却室は、来月早々着工に取りかかる予定です」
  アイヒマン「満足ゆく報告です」
  他の所長1「しかし限られた予算枠で、どうやってその建設費などを捻出
      できるのかね?」
  他の所長2「それと建設資材の確保はどうやって…」
  アイヒマン「そりゃ君」
  ヒムラー「(さえぎって)ヘス君、話したまえ」

  ヘス  「はい、アウシュヴィッツでは、ガス室、焼却炉は言うに及ばず、
      各部署で経費削減目標を掲げ、そのために様々な努力、技術改良、
      事務処理の改善、工夫をはかっております。一例ですが、特別に
      訓練した猛犬、これは軍用犬ですが、一五〇頭を収容所内に配置
      しております。もちろん彼らは囚人の看視の任務についているの
      です(一同笑う)。この犬一頭で看守二人分の経費が削減できる
      のです。また、こうやって省かれた人材は、レンガ、ブロック等
      の建設資材の内製化に投入しております」
  ヒムラー「うん、うん。焼却室の具体的改良点について説明してくれない
      か」
  ヘス  「は、えーそれでは、私どもアウシュヴィッツでは、焼却室のど
      こを技術改良したかと申しますと…(図面などを広げ、指で示す
      など何やら話し始めるが、俳優は口をぱくぱくさせるだけでよい。
      アイヒマン、グリュックス、ヒムラー等は時折うなづきながら、
      満足そうに聞いており、質問などもする様子)…」

  他の所長1「ふん、あのゴマスリめが。ろくな経歴もないくせに…」
  他の所長2「しー、声が大きい。見ろ、あのグリュックス統監のうれしそ
      うな顔。一の子分が誉められるのは、自分が誉められているよう
      なものだからな」
  他の所長3「なにせ統監も出世病患者だからな」
  他の所長1「ヘスは実にうまく立ち回っている。ヒムラー閣下に完全に取
      り入ったね」
  ローリッツ「例によって裏でいろいろ画策しているんだろうさ」
  他の所長2「近く、功績が認められてヒットラー総統の山荘に招かれるっ
      て噂だ」
  他の所長3「そのうちベルリンにでも栄転、特進するんだろう」
  他の所長1「そんな話しが出ているのかい?」
  他の所長2「また進級するのか?」
  ローリッツ「いやだねえ、あくせくあくせく出世病患者は」
  他の所長3「鬼のアイヒマンとも仲がいいらしいから、いまや怖いもの知
      らずだろう」
  他の所長1「鬼なんてものじゃない。狂人だよ、一種の…」
  他の所長2「二人とも?」
  他の所長3「一人は要領がいいだけだろ」
  ローリッツ「一人は間違いなく狂人だ」
  他の所長1「優秀な狂人だということは認めるがね」
  他の所長2「その彼と仲良くやっていけるのは、あいつぐらいなものさ」
  他の所長3「きっと気が合うのさ」
  他の所長1「人間の皮をかぶった冷血漢だからね、二人とも」
  他の所長2「爬虫類だね」
  ローリッツ「じゃあ直に冬眠するさ」
  他の所長3「冬眠しない爬虫類もいるがね」
  他の所長1「二人とも、たまには眠り続けて欲しいものさ」
  他の所長2「そう、いっしょに走らされるこっちの身が持たない」
  ローリッツ「全くだ。ウサギもカメも眠るものだ」
  他の所長3「何のことだ?」
  ローリッツ「ウサギとカメの話しさ」

  ヘス  「…アウシュヴィッツ強制収容所では以上のことを完全に実行し、
      成果を上げております」

   ヒムラー、アイヒマンなど大いに満足そう

  ローリッツ「いやあ、さすが! 非常に勉強になりました、ホント。
      ねえ、みなさん」
  他の所長1「いや、全く」
  他の所長2「我々も負けてはいられません。早速にでもヘス所長のアイデ
      アを取り入れますよ」
  アイヒマン「実に素晴らしいアイデアだ! アイデアの連発だね、ヘス所
      長。さすがだ」
  ヒムラー「うん、成績の良い者は皆、それなりの努力、創意工夫を怠らぬ
      ものだ」
  他の所長3「そう、創意工夫、技術の革新ですな」
  他の所長1「うちでもすぐ取りかかってみよう」
  ローリッツ「私の努力不足がつくづくわかりました。ヒムラー閣下、私も
      頑張りますよ、これからは。金を注がず情熱注げ」
  グリュックス「それだよ、ローリッツ所長。ヘス君の所へ、他の収容所長
      を早速にでも視察にやる必要がありますな、ヒムラー閣下」
  アイヒマン「徹底的にアウシュヴィツツの良いところを学んで欲しいもの
      ですな」

  ヒムラー「うむ。他の収容所にも、惜しむことなく技術指導、運営指導を
      してやってくれたまえ。素晴らしく加速度的に改良されていく技
      術。
       しかし、かってヒットラー総統が喝破されたように、技術とい
      うものは痴呆的でさえある。したがって我々は、確固たる目標と
      哲学を持たねばならんのだ。そうだ、全ては作業能率向上を目指
      した生産性の哲学だ!」
  アイヒマン「はい、効率のアップ、生産性のアップ」
  ヒムラー「これこそが現代的な有用性というものだ」
  アイヒマン「これからの世界は、効率性、生産性の高さこそが、正義とも
      なり神ともなる時代となりますぞ。私は断言してもよい!」
  ヒムラー「うん、ドイツのあらゆる分野での生産性向上のために、財団法
      人ドイツ能率協会でもつくろうかね。《能率手帳》なんていうの
      も作ってね。(全員笑う)」
  ローリッツ「ドイツ生産性本部なんてのもいかがでしょう(二、三の者笑
      う)」
   険しい表情にもどっているヒムラー

  ヒムラー「諸君…実のところ、ユダヤ人問題最終解決計画は大いに急がね
      ばならん。…諸君もうすうす知ってはいよう。諸般の情勢は予断
      を許さぬのだ。
       急いで、可能な限り急いで、全ヨーロッパのユダヤ人を殲滅す
      るのだ。ユダヤ人を全て煙突送りにせねばならぬ。もはやユダヤ
      人どもは、煙突による救い以外に出口はないのだ!」

   手をふるい甲高い声を張り上げるアイヒマン
  アイヒマン「そうだ! 屋根裏部屋に潜み隠れるアンネ・フランクだろう
      がユニチャーム・フランクだろうが逃がしはしない! 容赦なく
      引きずり出せ! ドイツのためだ! ナチスのためだ! 死刑
      だ!」
  ヒムラー「諸君、たとえ…たとえドイツが崩壊しても、これだけは達成せ
      ねばならぬ」
  アイヒマン「(立ち上がり、激して)たとえドイツが崩壊しても、これだ
      けは達成しなければならぬ! ヨーロッパからユダヤ人という
      ユダヤ人を引きずりだせ! ユダヤ人を根絶するのだ!」

   全員立ち上がり、こぶしを上げ

  全員  「全ユダヤ人を煙突送りにするのだ!」
  全員  「もはやユダヤ人どもは、煙突による救い以外に出口はない!」
  ヒムラー「気おくれは総統への裏切り。限りなき栄光への道か底なし地獄
      への失墜か、不断の上昇か転落か、その時代の運命を生きて滅び
      る我々には、恐るるものなどなにもない」
  アイヒマン「手にとどく限りのユダヤ人を一人残らず抹殺するのだ。仮借
      なく、できるだけ早く、容赦することはどんな些細なことであろ
      うとも、全て後になって手厳しい仕返しを受けるだろう。全ユダ
      ヤ人を煙突送りにするのだ!」
  全員  「もはやユダヤ人どもは、煙突による救い以外に出口はない!」

  ヒムラー「(まるで観客に向かって言うように)そう…煙突による救い以
      外に出口はないぞ」

   アイヒマン、舞台上を憑かれたように歩み出し、つぶやくように
  アイヒマン「みな殺しだ、みな殺しだ…みな殺しにしてやる…幾百万、幾
      千万人のユダヤ人の、累々たる死体を思い浮かべれば…(ニタリ
      と笑い)いざという時私は、笑いながら自分の墓にとびこんでみ
      せる」
   爆発的に哄笑するアイヒマン
   彼の笑い声に阿鼻叫喚の入り混じった不気味な音楽が重なり、舞台は完
   全な闇となる。

                       (暗転)
 

戯曲 ルドルフ あるいは…父たち、男たちの夜と霧(4)

2016年01月18日 | 戯曲



  
 アウシュヴィッツ収容所
   所長室
   不気味な音楽の鳴り響く中、何やら話し合っている男たち。
   ヘス、フリッツ、親衛隊下級指導者のグラブナー、パリッチ、オーマイ
   ア、クランケンマン、ヘイゲン。
   テーブルの上に図面、書類ね施設の模型も見える。筆記具などを手にし
   ている。
   ヘイゲンは立って図面を指し、発言している。
   音楽、音量しだいに小さくなる。
   着席するヘイゲン。

  ヘス  「…よし、わかった。それでは有刺鉄線網の柵は、埋設して固定
      する従来の方式をやめ、これから建設するものについては全て、
      下に車を取り付けた移動式のものにしよう。
      いいかな、ヘイゲン君」
  ヘイゲン「はい。わかりました」
  フリッツ「移動式にすれば必要に応じた囚人の取り込みができますから
      ね」
  ヘイゲン「我々も楽になりますよ」
  ヘス  「あまり楽にはならんよ。その余力を他に向けてもらうからね」
  ヘイゲン「はい」
  ヘス  「しかし、建設資材が不足しているおりだから、移動式有刺鉄線
      網は大変な節約になる。ヘイゲン君、あとで建設部隊の担当の者
      に指示を出せ。工程表の提出と、あ、チェック事項も忘れないよ
      うにな」
  ヘイゲン「わかりました」

  ヘス  「よし、次に進もう。パリッチ君、囚人の選別だが、作業に適
      しているか不適かの選別は、あまり厳密にやるな。作業につける
      者が不足してきてるぞ」
  パリッチ「はい、それは大丈夫です。むしろ、ここ二、三日は増えていま
      す」
  ヘス  「そうかね」
  パリッチ「はい、この間採用したパレード方式が医療部員の助けも必要と
      しませんので、最も簡単に確実に選り分け得る方法と思うんです
      が…ただ」
  ヘス  「ただ何だね?」
  パリッチ「ええ、昨日あたりから気付いたんですが、囚人たちが胸を張っ
      て大きく腕を振って行進しているんです。みんな無理して元気よ
      く見せようとしはじめたんですよ、畜生めが」
  クランケンマン「そりゃあ生死を分けるパレードだもの、みんな必死に行
      進しますよ。どっちみち死ぬのに…」
  ヘス  「増えすぎるというのもまずいな、何か方法を考えなければな」
  パリッチ「はい」

  ヘス  「グラブナー君、銃殺は効率が悪いな」
  グラブナー「ええ、今も十人一組にしましてネ、例の黒い壁の前に立たし
      てやっていますけんど、こう囚人が続々と送りこまれて来たら焼
      け石に水でさ。先日も朝から撃ちまくって撃ちまくって、やあ今
      日はこれで終めえだ、と思って後ろ振り返ったら、なんとまだ百
      人ばっか並んで順番待ってるんでさ」
  クランケンマン「あの黒い壁の前の広場は、いつも血でジャブジャブぬか
      るんでるんだ。おととい、滑って転んでしまいましたよ」
  ヘス  「銃殺は脱走者対策としての見せしめなどを除いて中止しよう。
      徹底的にガスに注力するのだ。…そうだパリッチ君、こうしよう。
      貨物プラットホームに到着した連中を、そのままパレードさせ、
      そこで最初の選別をしよう」
  パリッチ「なるほど、連中も、まさか生死を分けるパレードとは思うまい
      から、自然な状態で歩くでしょうね」
  ヘス  「そうだ、不適な者は直接焼場に直行させるのだ。そこからグラ
      ブナー君の任務だ。片っぱしから処理しろ」
  パリッチ、グラブナー「わかりました」
  クランケンマン「千五百名様ご案内ィだな」
  グラブナー「んだ」

  ヘス  「(図面を広げ、立ち上がりながら)フリッツ君、このガス室の
      構造なんだがね(のぞきこむフリッツ、他の者たちも同様に)…
      チクロンBガスが投入されてから全員が絶命するまで一○分だ
      ったな?」
  フリッツ「はい、約一○分ですな」
  オーマイア「一○分以上かかることは稀ですよ」
  ヘス  「うん。先日から考えていたんだが…この壁を特殊に造って、例
      えば隙間からガスを注ぎ込むようにした方が、より効果的ではな
      いかと思うんだが、どうかね…(ヘス、紙の上に何やら図を描く)
      例えばだな、こんなふうに…特殊構造にして…」
  フリッツ「ガスの特性をより引き出そうというわけですね。…ここんとこ
      ろは(図を描く)…問題は…」
  ヘイゲン「あの、(図を指し)この隙間にガスが残りませんかね?」
  フリッツ「ウン大丈夫だろ。ここにも換気装置を取り付ければいいんだか
      ら…」
  オーマイア「それよりネックになるのは(机上の図を指し、何やら描き入
      れる)ここでしょうね。…
      まてよ(模型を手に取り考え込む様子)…」

  ヘス  「何かいいアイデアでもあるかね」
  オーマイア「ちょっと単純なんですが、こんな面倒な構造にするよりも、
      壁の四面、それと上部にノズルのような物を取り付け、ガスをノ
      ズルで霧状に噴出させたらいかがでしょう」
  パリッチ「ノズルねえ…」
  オーマイア「そうです(図を描く)。この管の中にチクロンBを投下する。
      ノズルで霧状になってここから噴出する…自分の推測ですが、三
      分いや、一瞬のうちに処理できるのではないかと思うんですが
      ね」
  フリッツ「なるほどね、面白いね、これはいけると思いますよ。一度実験
      してみる価値はありますよ。明日早速実験してみようじゃないか、
      オーマイア君」
  ヘス  「よし、やってみてくれ」
  オーマイア「後で設計図をひいてみます」

  パリッチ「しかしガス室の回転がよくなっても、焼却室の炉も改良されま
      せんとね」
  フリッツ「炉の研究は進んでるよ」
  ヘス  「なんとか、この部分を自動化したいものだな。先づガス室にぶ
      ち込む」
  オーマイア「ガスが送り込まれて、一○分後に電気調整器が活動し始め…」
  フリッツ「死体を昇降機で自動的に運び、焼却炉に持ち上げる…」
  ヘス  「…それでなくとも人手が足りないのだ。この部分を自動化する
      よう早速プロジェクト・チームを組織して検討してくれたまえ。
      もし可能なら、ここで省かれた人手を、衣装や所持品の仕分けや、
      他の部門に投入できる」
  全員  「はっ、わかりました」

  ヘス  「そうだ、フリッツ君。クレール博士の方には囚人をどのぐらい
      提供しているのだね?」
  フリッツ「は、先月末までに一万二千人送っております。エンドレッド博
      士考案の石炭酸注射も取り入れているようです」
  ヘス  「そうか…(全員に)他に改善すべき点、技術改良点はないか?
      …いいアイデアがあったらどんどん出してくれよ。……ユダヤ人
      問題最終解決は急がれている。我がアウシュヴィッツには、ベル
      ギー、フランス、オランダ、ギリシアなどからも大量の囚人が到
      着し始めている」
  フリッツ「全く、何でもかんでも送りこんでくるんだから」
  ヘイゲン「たまりません」

  ヘス  「命令には論議の余地はない。我々の責務は、徹底的に処理する
      ことだ。…処理能力を何とか一日一万の大台に乗せたいものだ。
      いいか、毎朝、各部署において工程の打合せ、各部署間の段取り
      連絡、プラン・ドゥ・チェックを怠るな!…我々はより作業効率
      を高め、ユダヤ人問題の最終解決に努力せねばならない。諸君も
      そのつもりで任に当たってもらいたい」
  全員  「はい」
  ヘス  「(時計を見ながら)よし、では本日の工程会議は、これで終了
      する。ご苦労」

   全員席を立ちはじめる

  オーマイア「空き倉庫の地下室を使いましょう」
  フリッツ「うん、男女の大人、それと子供もぶち込んでデータをとってみ
      よう…」

   クランケンマンが自分の服をつまんで、においを嗅いでいる

  グラブナー「クランケンマン、お前何やってんだ?」
  クランケンマン「チッ!完全にしみ込んでやがる」
  グラブナー「ユダヤ人のにおいか?」
  クランケンマン「いや、ロシア人のだ」
  グラブナー「おまえ、さっき死体と激しく抱き合ってたもんなあ」
  クランケンマン「上からどっと崩れ落ちてきたんだ。危うく下敷きになる
      とこだったぜ」
  グラブナー「女だったろ」
  クランケンマン「ああ、オバンばっかり」
  グラブナー「若い女だったらよかったんだけどね」
  オーマイア「おしいけどねー」(笑い)
  クランケンマン「でも死体だぜ、俺はその趣味はないよ。たまらん臭いだ、
      あとでしっかり洗濯しよう」
  パリッチ「毎日たくさんの死体に囲まれてるんだから、いくら洗濯したっ
      て無駄さ」
  クランケンマン「この臭いは洗濯ぐらいじゃ落ちませんかね」
   部屋を出ていく部下たち
  パリッチ「ああ、毎日毎日、大量の死体に囲まれて」
  オーマイアの声「俺たちみんな」
  グラブナーの声「骨までしみ込んでるべさ」
  フリッツの声「さあ、もう一仕事残ってるぜ」

   遠のく部下たちの声
   室内にひとり残るヘス
   クランケンマンがやったように、自分の服をつまんで、臭いを嗅ぐヘス。
   悲しげに首を振るヘス。
   《労働は自由への道》のスローガンの前にたたずむヘス。スローガンを
   じっと見つめている。

   しばらくして、もう一度自分の服をつまんで臭いを嗅ぐヘス。

   じっとたたずんでいるヘス。突然激情し、テーブルを両手のこぶしで激
   しく打ち叩く。うなだれ、テーブルにもたれかかるヘス。
   不気味な音楽鳴り響き、舞台は真っ暗闇となる。



   
   ヘスの官舎
   居間、テーブルの上に赤い薔薇をさした花ビン。
   ヘス、ヘス夫人、ヘス家の家庭教師トムゼン夫人。上品な感じのする
   女性である。
   外ではしゃぎ回る子供たちの声が聞こえる。
   美しい音楽が流れている。

  トムゼン夫人「みんな素直ないい子たちですわ」
  ヘス  「いたずら盛りでね」
 
   ヘス夫人、舞台ソデ、外の子供たちに向かって立っている様子
  ヘス夫人「これこれ、花壇の中に入っちやいけません。早く出なさい、お
      花が可哀そうでしょう…ええ、お花にだって生命があるの、さ、
      出なさい。…みんな早くプールで泳いでらっしゃい(笑う)。
      …あ、タオル持った?」

   タオルを渡している
  子供の声1「パパー、泳ごうよう」
  子供の声2「泳ごうよう」
  ヘス  「あとから行くから先に泳いでなさい! 
      必ず準備運動をオイチニってやるんだぞ!」
  子供たちの声「ハーイ」
   子供たちの歓声、遠のく

  トムゼン夫人「みんなお父様がいるものだから、いつもよりよけい元気!」
  ヘス  「こうして休みをとれる日は滅多になくてね、トムゼン先生」
  トムゼン夫人「そのようですわね、ヘスさん。私がこちらへ家庭教師で伺
      うようになって、ヘスさんにお会いできたのは、今日でたったの
      三回目ですわ」
  ヘス  「家族のためにあまりにも時間をとってやれないので、いつもか
      わいそうだと思ってるんですよ。(夫人の方に顔を向けて)いつ
      も言われてるんですよ。勤めのことばかり考えていないで、少し
      は自分の家族のことも考えろって、家族の前ではくつろげって
      ね」

   お茶を運んでくるヘス夫人
  トムゼン夫人「大変ですわね、ヘスさんほどの地位になると。それはそれ
      は激務でしょうからねえ。(お茶を配る夫人に)ありがとう」
  ヘス  「(お茶を配る夫人に)ありがとう」
  ヘス夫人「たとえ少ない時間でも、家ではお仕事を忘れてくつろいで欲し
      いもの…いつも緊張のしっぱなしでは疲れがとれませんものね」
   うなづくトムゼン夫人
  ヘス夫人「…主人は、お仕事のことで頭をいっぱいにして帰って来るんで
      す。お食事の時もうわの空。あれじゃお料理の作りがいもありま
      せん」
  ヘス  「ちゃんと味わっているよ」
  ヘス夫人「うそ」
  ヘス  「いつも美味しくいただいてますって」
  トムゼン夫人「(笑って)じゃあ褒めなくちゃ。私たち女って、そんな一
      言がとてもうれしいものですよ」
  ヘス  「このジャガイモ美味しいなってですか?」
  トムゼン夫人「(笑って)奥様の味つけをですよ」
  ヘス夫人「これですからね」
  ヘス  「これからはなるべく褒めますよ」
  ヘス夫人、トムゼン夫人「マァ! なるべくですって」(笑う三人)

  ヘス夫人「(真顔になって)主人がお仕事のことで悩んでいるのがわかり
      ますの。端で見てると辛くなりますわ。私で手伝えることでした
      ら手伝いたい」
  ヘス  「馬鹿言うな」
  ヘス夫人「え?」
  ヘス  「女にできる仕事じゃない」
  ヘス夫人「辛いのよ、端の者だって」
  ヘス  「…」
  ヘス夫人「ずっと前のことだけど、集団農場で一緒に働いていた頃は、よ
      く仕事のことで話し合ったものなのに、今は何も話してくれませ
      んの…だから…」
  トムゼン夫人「うちの主人もそうですわ。男の方って、自分の仕事のこと
      を話すのが照れくさいみたい…(ヘス夫人に)きっと威厳を保つ
      作戦ですわ」
   笑う二人、ヘスだけ笑わない

  ヘス  「…トムゼン先生のご主人は学校の先生でしたね?」
  トムゼン夫人「ええ、小学校の」
  ヘス  「うらやましいですね…毎日たくさんの子供たちに囲まれて…」
  トムゼン夫人「子供たちって素晴らしい可能性ですものねえ。でも、教師
      って大変ですのよ。うちの主人なんかも、時々どうしようもない
      イタズラっ子に腹を立てて、独り言を言ってることがありますわ。
      『あのクソガキ!』って。(笑い出す三人)そのあと主人も、一
      人で苦笑してますわ」
   笑う三人

  ヘス夫人「…あら、この薔薇もうしおれてきたわ」
  トムゼン夫人「ほんと、でも素敵な香りですわ。ご存知?薔薇は花びらの
      散るまぎわが最も香り高いんですって。…私、赤い薔薇が好きで、
      共産党が嫌いですのよ。話しに何のつながりもありませんけど」
   笑い出す三人

  子供たちの声「パパァ!早く来てえ」
  ヘス  「はあい! いま行きますよう(笑う)」
   子供たちの笑い声、はしゃいでいる様子
  ヘス  「あの子たちが一番喜ぶのは、私が一緒に水浴びをしてくれる時
      なんです。それとファミリーコンサートですよ。私と上の子がヴ
      ァィオリン、その次ぎのがピアノ、いちばんチビが歌うんです。
      家内はいつも手をたたくだけ」
  ヘス夫人「だってえ、私、こう見えてもド音痴ですもの」
   笑い出す三人

  ヘス  「そうだ、今晩開きましょうか。先生もぜひご一緒に」
  ヘス夫人「賛成!やりましょ、やりましょ」
  トムゼン夫人「素晴らしいこと。喜んでご招待をお受けしますわ」
  ヘス  「トムゼン先生、今夜は家内にも歌わせますから、これを一番の
      お楽しみに」
  ヘス夫人「マァ、意地が悪いんだから」
   笑う三人

  ヘス  「じゃあトムゼン先生、ごゆっくり。私は子供たちと泳いできま
      すよ」

    立ち上がり外に向かうヘス
   ドアをノックする音。ヘス夫人が行こうとするが、ヘスが制して出て行
   く。

  ヘス  「やあ、フリッツ君、今日は」
  フリッツ「今日は。お休みのところ申し訳ありません。国家保安本部より
      テレックスが入りました。ヒムラーSS全国指導者が会議を招集
      するとの内容です」
  ヘス  「いつかね?」
  フリッツ「明後日、本部にて、朝九時より…」
  ヘス  「(用紙を受け取り)今から出ないと間に合わんね。(ヘス夫人に)
      用意してくれ。ご苦労、フリッツ君。
      申し訳ない、トムゼン先生、ご覧の通りですよ」
   タメ息をついて落胆するヘス夫人。
   トムゼン夫人はそんなヘス夫人を気の毒そうに見やる。

  ヘス夫人「仕方ありませんわね…もう慣れっこです」
  フリッツ「今日は、奥さん」
  ヘス夫人「今日は、フリッツさん」
  フリッツ「自分を恨まないで下さいよ。何となく、そんな雰囲気だから…」
  ヘス  「仕事さ、カール…三〇分ぐらいしたら、車を回してくれたまえ」
  フリッツ「わかりました。では後ほど。失礼します」

   帰るフリッツ。奥の部屋に消えるヘス。
   残されたヘス夫人、トムゼン夫人。
   いつの間にか音楽は途絶えている。

  トムゼン夫人「残念だけど、お仕事ですものねえ。…ねえ、奥さん」
  ヘス夫人「…仕事、仕事、仕事、仕事。いったいベルリンでみなさん何の
      ご相談、毎日、毎日何のお仕事?…私が何も知らないとでも思っ
      ているの」
  トムゼン夫人「奥さん」

   奥からヘスの声
  ヘスの声「おい、早く用意してくれ」
  ヘス夫人「知ってるのよ私。このお部屋にだって、風がウワサも煙も運ん
      でくるのよ…」
  トムゼン夫人「奥さん…こういう時代なのよ」
  ヘス夫人「ああ、こんな時代早く終わればいい」
   奥の部屋から出てくるヘス
  ヘス  「何が終わればいいって」
  ヘス夫人「何もかも!」
   顔を両手でおおい隠して奥の部屋にとび込んで行く夫人

  ヘス  「おい…何だあいつ。(トムゼン夫人に)どうしたのかな?」
  トムゼン夫人「花粉病ですって。季節が移ろいでも治りにくいのよねえ」
  ヘス  「花粉病?」
  トムゼン夫人「涙があふれて、あふれて、止まらなくなるんです。ぬぐっ
      ても、ぬぐっても、あふれてくるんです」
  ヘス  「悲しくもないのに、涙が出るんですか、それ」
  トムゼン夫人「そう…悲しい時ですわ、やっぱり。さあ、私おいとましま
      すわ。ヘスさん」

   出口に向かうトムゼン夫人。ドアの所まで見送るヘス。

  トムゼン夫人「ファミリーコンサートはまたの機会に、ぜひ誘って下さい
      な。さようならヘスさん」
  ヘス  「さようならトムゼン先生。ご主人によろしく。ごきげんよう…
      花粉病か…」

                        (暗転)