芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

ヌチドゥタカラ館について

2016年01月05日 | コラム

 十年近く前、私は盛んに環境問題や政治、経済、国際問題等について、短いエッセイというか雑文を書きまくって、「怒濤の迷惑メール、憤怒メール」として、ごく少数の穏健なる友人たちに送っていた。
 タイトルも忘れたし、すでにそのデータも残っていないが、私は国際平和や環境問題を話し合う国際会議場を日本に創れと書いたことがある。その会議場の建物名も、デザイン案も書いたが完全に失念している。いまそれを思い出しながら書いているが、忘れてしまったことの方が多い。

 その建物のメインとなる会議場の全壁面、そして天井に至るまで、世界中の子どもたち、一人ひとりの顔写真が飾られているのである。顔にとまった何匹もの蠅を追う力もない痩せこけた幼児の顔と光のない目。にっこり笑ったあどけない少女の顔、目。難民の子どもだろうか、カメラのレンズを凝視する女の子の顔、目。少年の額に血がこびりつき、すっかり怯えきった顔と目。何かを訴えるような小さな女の子の顔と目。泣き叫んでいる幼児の顔と目。満面の笑みを浮かべる前歯の欠けた男児の顔と目。黄色い顔、白い顔、黒い顔、顔、顔…青い目、黒い目、茶色の目、灰青色の目、目、目、目…。

 各国を代表して集まった大人たち、指導者たちは、これらの数えきれないほどの子どもたちの顔と目に取り囲まれ、凝視されながら、世界の紛争問題や、環境問題、経済・金融、農業、資源問題、格差と貧困問題、グローバリズムがもたらした問題について語り合い、その解決の糸口を見つけ、さらに語り合わなければならない。
 そして彼らを囲み、凝視する子どもたちのために、ナショナリズムや自国愛、利害を超えた解決策を見出さなければならない。彼らは大人であり、指導者なのだから。彼らは一国の指導者から世界の、地球の指導者でなければならない。…

 たしか、そういうデザイン案も含んだ国際会議場建設の提案であった。ひとつ思い出した。建物の一角に展示場があり、そこは「人類の愚行館」と名付けられている。これまで人類が冒した愚行の数々が、写真や映像、その証拠品などが展示されている。みな、目を背けたくなるようなものばかりだ。しかし来場者は見つめなければならない。人類の愚行の数々を。
 建物の名前は失念したので、新たに提案である。これを沖縄の返還される普天間基地跡に建てよ。「ぬちどぅたからサ(命が宝だよ)」…建物名は「ヌチドゥタカラ館」とせよ。島津藩による非道の搾取や人頭税の悲劇も、琉球処分も、戦争の悲惨も、基地を押しつけられた苦悩も、万国津梁の歴史を持つ沖縄に、世界の平和と環境問題を語り合う国際会議場は、ふさわしかろう。ディズニーランドを建設するより、ずっと沖縄にふさわしかろう。どうだ。