芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

また貴乃花か

2016年01月29日 | 相撲エッセイ
            

 貴乃花は現役時代からトラブルメーカーだった。現役時代、彼は占い師か整体師か何かに洗脳されて、精神を患っているのではないかとさえ思われた。無理に太り、吹き出物がその無理を示していたが、怪しげな整体師以外の、誰の意見も一切聞かなかった。
 兄の三代目若乃花が横綱になると、なぜか兄と口を利かなくなり、事実上決別した。
 金にものを言わせて、現役時代から複数の親方株を手に入れていた。自分は一代限りの現役名で部屋が起こせるのに、何のために複数の親方株に固執したのか。金銭のため出世のため、野望のためだろう。兄の三代目若乃花は引退後に藤島を襲名したが、すぐに師匠に返上し相撲界を離れた。
 貴乃花は現役を引退すると貴乃花親方として二子山部屋の部屋付き親方となった。しかし、二子山親方に対し貴乃花はほとんど口もきかず、師匠の話や意見にも全く耳を貸さなかったという。
 彼は夫人の意見も入れた健康のための減量だったのであろう、無理に痩せた。異常な体重管理である。そんなに急激に痩せた身体では、自らマワシを締めて、弟子たちに胸を出してあげられないだろう。
 父で師匠だった二子山親方の体調が悪化し、長期入院した。貴乃花と安芸乃島の関係が悪化した。安芸乃島が二子山親方から約束された藤島親方株を、貴乃花はそんな話は聞いていないと主張したのである。貴乃花は藤島は自分が継ぐべき親方株だと主張し、安芸乃島と一悶着を起こした。
 安芸乃島は千田川株を入手し、他の一門への移籍を希望した。安芸乃島の移籍届けには親方の印が必要だが、貴乃花は押さなかった。そればかりか安芸乃島の二子山部屋からの破門を言い渡し、相撲協会に引退の届けを勝手に提出したのである。安芸乃島は若貴兄弟が藤島部屋に入門した際の、最も部屋を牽引していた兄弟子であり、二人に胸を出し、鍛えてくれた恩人でもある。さすがに協会はこの引退届け(廃業届け)を受理しなかった。千田川は病床の二子山親方の許可を得て、元大関・前の山の高田川親方の元に移籍することになり、協会もそれを認めた。安芸乃島は一門を出た。そして貴乃花と完全に絶交した。千田川は後に高田川親方となって部屋を継承した。

 その二子山親方の死にともない、葬儀をめぐって兄の勝や母親と悶着を起こし、完全に絶縁した。貴乃花は相撲界を離れた兄が喪主はおかしいと主張したのだ。しかし兄は長男なのだから喪主は当然だろう。現役親方が亡くなり、一般人の息子さんや夫人が喪主となる例は多くあり、むしろそのほうが普通なのである。この喪主騒動での貴乃花の主張と態度は、伯父の初代若乃花を呆れさせ激怒させた。「光司は人の話に全く耳を貸さん!」
 また貴乃花は理事長選をめぐって二所ノ関一門と悶着を起こし、一門と完全に袂を分かった。貴乃花はあれだけ固執した藤島を継ぐわけではなく、後に引退した武双山に売却した。また後に二子山も雅山に売却した。二所ノ関一門系の親方名跡だった藤島、二子山を出羽海一門系の武蔵川系に譲ったのである。伝統があり一大勢力の出羽一門は、やがて自分が理事長選に出た際に、協力してくれるだろうと読んだのだろう。

 彼は俺が俺がと異様に出世欲と金銭欲が強い。その背後に元アナウンサーの景子夫人がいると囁かれている。弟子とは同じ屋根の下で寝起きを共にせず、別の自宅マンションから通う。景子夫人が子どもの教育とお受験のために、相撲取りとの同居を嫌い、そうしたらしい。
 ちなみに二子山部屋は貴乃花部屋と看板が代わったが、そのまま移籍した弟子たちは、一人辞め二人去り、たちまちほぼ半数になった。激減である。彼らは貴乃花のエキセントリックな姿に嫌気がさしたのだろう。
 景子夫人と貴乃花は、「サポーター制度」という今風の会を立ち上げた。しかし二子山部屋時代からの古い後援者たちとは悶着を起こし、彼らも貴乃花から離れていった。しかし景子夫人と貴乃花は政財界に人脈をつくり、サポートをお願いし、それなりに成果を上げているらしい。
 貴乃花部屋からはなかなか関取が生まれなかった。貴乃花部屋は学生出身と外国人は弟子にしないと言っていた。それはそれでよかろう。しかし、ついにモンゴル人の弟子・貴ノ岩を取り、初めて関取が誕生した。彼は素質のある力士だが、まだ幕内下位を低迷している。ある方がブログに書いておられた。「貴乃花でも、モンゴル人力士なら育てられた」

 貴乃花はまたぞろトラブルを起こすに違いないと思っていたが、案の定である。
 彼の相撲協会改革案には、いくつも賛意を示したいものがあるが、あのトラブルメーカー的人間性はいただけない。理事や理事長は人望がなければならない。
 亡くなった父・師匠の二子山親方は病床を見舞った元・大関の貴ノ浪に「お前だけは、貴乃花をよろしく頼む」と言ったそうである。頑なでエキセントリックな貴乃花を案じたのだろう。貴ノ浪の音羽山(この株も貴乃花の所有だった)親方は、律儀に師匠との約束を守り、貴乃花親方の傍で部屋付き親方として彼を支えていた。しかし惜しくも若くして突然死してしまった。これは貴乃花にとって大きな痛手であったことだろう。
 いま貴乃花は貴乃花一門を形成し、改革に惹かれる若手親方衆を集めて一大勢力となっているらしい。しかし彼のこれまでのトラブルの数々を見ていると、とても理事長になる器でもなく、人望もなかろう。彼の引き起こした悶着は、端から見ても異常で、実に気持ちが悪い。できれば相撲界から追放したいくらいである。