芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

戯曲 ルドルフ あるいは…父たち、男たちの夜と霧(3)

2016年01月17日 | 戯曲
                                                          



   アウシュヴィッツ収容所
   所長室
   ヒムラー、グリュックス、他多数の政府高官、ヘス。
   ヒムラー等の収容所視察である。計画表や書類、図面、建設物の模型など
   を手にして入ってくる。それらを舞台中央のテーブル上に置く。
   中の一人、政府高官3が吐き気をもよおしている様子。
   後ろから背さすってやる政府高官2。
 
  政府高官3「オエー…」
  政府高官1「大丈夫かね?」
   うなづく政府高官3
  ヒムラー「男のくせに、ツワリかね?」
  政府高官3「ちょっと、ウプ…」
  ヒムラー「うちの家内もそうだったが、異常に夏ミカンが食べたいだろ、
      あ?」
  政府高官3「失礼いたしました。もう大丈夫です」
  政府高官2「いやあ、しかし、やっぱり気持ちの悪いものだね、ヘス所長
      (口にハンカチをあてている)」
  政府高官1「私のような気の弱いものには、とても務まりそうもない。君
      はよく任務を果たしているよ、ヘス所長」
  ヘス  「…」(押し黙っている)
  ヒムラー「(彼らをにらみながら)夕焼け胸焼け日が暮れて、か!…ヘス、
      気弱さが人間を不随にする。(政府高官に)諸君らは死体の山に
      ばかり気を取られて、施設を充分見ていなかったのではなかろう
      な?…
       私の見たところ、アウシュヴィッツの拡張には別に困難な問題
      などなにもない」
  ヘス  「しかし、閣下もただ今ご覧になられましたように、収容人数の
      過剰、水不足と、保健衛生上いつ伝染病が蔓延しても不思議でな
      い状況なのです。ですから…」
  ヒムラー「それでこれ以上の拡張は無理というのかね?」

  政府高官1「うむ、水不足もさりながら、排水施設も全くもって不充分で
      すな」
  グリュックス「作業に従事している囚人も、ほとんど死体とかわらんな、
      ヘス君。あれでは作業も捗るまい」
  ヘス  「健康体をさがすのが困難なぐらいなのです」
  政府高官2「私も今日の視察で改めて感じましたが、建設資材の不足はア
      ウシュヴィッツばかりでなく、上シレジアでも起こっているので
      す。弱りましたなあ」
  政府高官1「すでに着工済みの部分はともかく、これ以上の新たな計画に
      着手するのはいかがなものでしょう」
  政府高官2「新たな計画は一時ストップしたほうがよいのではないですか」
  政府高官3「私も無理と判断します。ヒムラー閣下」
  ヒムラー「ツワリは治ったかね?」
  政府高官3「は…第一、人手不足のようです」
   せせら笑うヒムラー
  ヒムラー「そんなもの、いづれも技術上の問題ばかりだ。いづれも反対の
      理由にはならんさ。私の見るところ、全く技術上の問題ばかりだ。
      ヘス、もっと能率を上げさせるんだ。拡張は全力で押し進めるの
      だ!」
  政府高官1「しかし閣下」
  ヒムラー「諸君! 不退転の鉄の意志を持たねばならん。
      諸君はヒットラー総統を信頼しておるかね?…そんなことでは
      総統も諸君らを信頼すまい」
   押し黙る政府高官ら

  ヒムラー「ヘス、全力で進めるのだ。応急処置も止むをえんし、伝染病が
      出たら、すみやかに囲み、容赦なく叩きつぶし焼き尽くせ! 私
      が命令した保安警察作戦もどんどん続けるのだ。
      私にはアウシュヴィッツに難題があるとは思えんがね? 
      ヘス君。君は何を、どうやって取りかかればよいのか、ようく考
      えてみるのだな」
  ヘス  「はい」

  ヒムラー「ヘス、君がさっき車の中で部下が無能だと言ったのには呆れた
      ね。部下を取り替えて下さいだと! どんな無能な隊長だって、
      君は使いこなさなきゃならんのさ。片足には片足の、片目には片
      目の使い方があるのだよ。戦場では使える隊長、兵隊は、たとえ
      そいつがどんな人間であろうとも、全員投入せねばならん」
  グリュックス「ヘス君、何でもかんでも部下の仕事までやってしまうのが、
      君の最大の欠点だよ。所長というものは、所長室にデンと構えて、
      命令と電話で収容所全体を動かし、手中におさめなければならん
      よ。収容所内もたまに回ればそれで充分」
  ヘス  「しかし、情無いことに私の部下たちはミスも多く」
  ヒムラー「ミスした奴は容赦するな」
  グリュックス「そう、上に立つ者の心得は、決して許すな他人のミス、笑
      ってごまかせ自分のミス。これだよヘス君」
  ヒムラー「私はミスをしない主義だ。そう決めとるもん」
  グリュックス「は、閣下は完全主義者ですから」
  ヒムラー「うん。なあ、ヘス。人を完全に使いきるには二つのタイプがあ
      るんだよ。ひとつは彼らに心から尊敬されること、ひとつは彼ら
      を心から卑屈にさせること。わかるか」
  ヘス  「はい」
  ヒムラー「ウム。ともあれヘス、看視部隊の強化も、節約も、要は技術的
      問題だ。工夫したまえ、工夫を! 所与の条件を再検討して工夫
      せよ!」
  ヘス  「はい」
  ヒムラー「それになんだなヘス。この脱走者数はどういうことかな。あ? 
      アウシュヴィッツの脱走者数はとんでもなく高いぞ! これまで
      のどこの強制収容所にもないほど高い! どんな手段、そう君が
      使えるどんな手段を講じてでも防ぐのだ。見せしめも必要だろう。
      効果が上がるのなら何をやってもいい、特に酷いというわけでも
      ないさ。君ならなんとかやっていけるだろう。
      そうだったなグリュックス統監」
  グリュックス「(ややあわてて)は、ヘス君なら乗り切るだろうと期待し
      ています」
  ヘス  「はい」

  ヒムラー「…なあヘス、人は上に立てば立つほど孤独を知るのさ。孤独に
      は胸をキュッと締めつけるような甘さがある。しかし気をつけろ、
      孤独は精神の穴ぼこだからな。
      そうだな諸君(政府高官らに向かって)、知っているだろ」
  政府高官1「はっ、しかし何ですな、その、孤独が穴ぼこだとは知りませ
      んでした」
  ヒムラー「なにちょっとした経験で知るのさ。だからヘス、孤独に足をと
      られてつまづくな」
  ヘス  「はい」
  政府高官2「いや閣下のお話は、いつ伺っても勉強になります」
  政府高官3「(独白のように)知らなかった…孤独が穴ぼこだったなんて」
  グリュックス「(政府高官3に)私も知りませんでしたよ」
  ヒムラー「我々は、たとえそれがどんな仕事でも、個人的な精神上のつま
      づきで、逃げ出したりできんのさ。我々は組織で戦っているんだ
      からな」
  政府高官1「戦いは勝たねばならん」
  政府高官2「勝てば正義は我々にある」
  ヒムラー「そう、負ければ我々は悪となる。勝たねばならん。
      我々が勝利した暁には、あの連合国の奴らを片っぱしから裁判に
      かけてやる。
      古来より、勝者は敗者を、強者は弱者を、自由に裁けることにな
      っておる。勝利せねばなるまい。
      遠大な計画だ、偉大なる戦いだ。手段を選ばず目的を遂げねばな、
      ヘス」
  ヘス  「はい」
  ヒムラー「まあ、要するに、そう酷いというほどでもない…恐るべき敵と
      戦うには、我々にためらいなどあってはならん。

      (トーンを上げて)我々に迷いがあってはならん。
      ユダヤ人はドイツの敵だ。世界の敵だ。迷ってはならん。
      イギリスの陰にユダヤあり、フランスの陰にユダヤあり、アメリ
      カの陰にユダヤありだ! 
      なにしろ資本主義と呼ばれ、不断に運動し、興隆する経済を見出
      したのはユダヤ人だ! このメカニズムの天才的、そう悪魔的な
      までに天才的な創造者がユダヤ人だ。全ての巨大資本の陰にユダ
      ヤあり!
      現代科学も、もっぱらユダヤ人によって創造され、支配されて
      きたのだ。この世でもっとも残虐なる兵器も、恐るべき毒薬も、
      全てユダヤ人の創造だ。彼らがつくってきたのだ。世界中に散ら
      ばって…なんと恐るべき超国家だ。
      諸君! やがて世界は知るときもあろう。
      我々は完全に正しかったのだということを!」

   ヘス、グリュックス、政府高官らは、いつの間にか観客に向かって正対
   し、整然と並んでいる。舞台はうす暗くなる。彼らの前を右に左にゆっ
   くりと歩みはじめるヒムラー。

  ヒムラー「かって、さまよえるユダヤ人は、ダヴィデの星を胸に秘め、商
      人としてやって来た」 
  グリュックス「ユダヤ人による世界支配を取り決めた『シオンの賢人議定
      書』を胸に秘め」
  政府高官1「彼らは世界中、あちらこちらに入りこみ、やがて完全に定住
      した」
  政府高官2「だが彼らは、決してその土地に同化することはない」
  政府高官3「金銭問題すべてについて有能で、良心のとがめを持たぬユダ
      ヤ人は、金融業と商業を、あますところなく独占した」
  ヘス  「その厚かましさ、その容赦なさは、以前よりその土地に住む者
      らの妬み、反抗、激怒をひき起こし、何度となく追放された」
  ヒムラー「しかしユダヤ人たちは、以前にも増してずる賢く、富裕になっ
      て戻って来た」
  グリュックス「ユダヤ人は人類の慈善家に変装し、不幸な人々に富を分配
      し始めた。その献身的態度にもかかわらず、彼らはますます富裕
      になっていった」
  政府高官1「ユダヤ人は実に巧みな分配方法を心得ていたからだ。その善
      行は畑の肥料に似ていた。肥料は耕地に対する愛から施されるも
      のでなく、その先の、自分の利益に対する予想から与えられるも
      のだから」
  政府高官2「ともかく彼らは、比較的短期間に、慈善家で人類の友となっ
      たのだ」
  政府高官3「彼らは株式という間接手段で国民生産の循環過程に入り込み、
      これを金で自由に操った」
  ヘス  「ユダヤ人は、国民労働力の所有者となり、あるいは監督者とな
      ったのだ」
  ヒムラー「フリーメイスンをも手に入れて、ユダヤ人の目的を遂げるため
      の道具とした。支配者層も、政治的、経済的ブルジョワ階級も、
      それと全く気づきもせず、ユダヤ人の術中に陥ちこんだ」
  グリュックス「ユダヤ人は新聞という武器を手に入れた。新聞を通じ徐々
      に、公共生活全体にまといつき、籠絡し、指導し、操り始めた。
      《世論》は強力な武器だった」
  政府高官1「ユダヤ人は議会主義を支配した。民主主義は、ほとんど彼ら
      の要求に一致した。なにしろ、愚鈍、無能、臆病、金の為なら何
      でもする者共で構成されている議会だから、多数決を操ることは、
      さほど難しいことでない」
  政府高官2「国民生活が疲弊する。公共事業投資を行う。利するのは、ほ
      とんどユダヤ人だけだった」
  政府高官3「国民を救済するあの手この手のどんな政策も、最終的に利す
      るのはユダヤ人だけだった。この民族の体内に巣喰う寄生虫、恐
      るべき吸血虫」
  ヘス  「ダヴィデの星、彼らの星、彼らの理想を胸にした」
  ヒムラー「天才的な悪魔ども! 恐れるな、勇気を持て! 我々は戦うの
      だ。国民的誇りを喚起せよ! 過激な愛国主義に対する不安は、
      民族の無気力のあらわれ。現代の大事業、この地上の最も偉大な
      変革は、熱狂的な、むしろヒステリックでさえある情熱、その推
      進力でのみ可能なのだ。ためらうな!
      我々は、自らの利益のためのみで行動する彼の卑劣漢でなく、
      我々が愛する土地、愛する祖国、愛する文化、愛する者たちのた
      めに、一身を投げうつ、気高い犠牲精神によって行動するのだ!
      ためらうな、勇気を持て、胸を張って事に当たれ! 我々は、我
      がナチズムは、大多数の国民の支持を受けておるのだ!…(顔を
      そむけ独白、つぶやくように)大衆というものは、自信たっぷり
      に言えばついてくる…」

   観客の方に顔を向け、ゆっくりと語るヒムラー

  ヒムラー「ユダヤ人は世界中に散らばる超国家、世界から孤立した超国家
      だ。…何故彼らは孤立したのか…そう、彼らが世界を差別したか
      ら! 見よ、あの排他性を」

   観客に語りかけるように

  ヒムラー「だがユダヤ人は…そうユダヤ人は、余りにも腹立たしい存在の
      別名、一つの象徴にすぎぬかもしれぬのだ。…我々が憎むものは、
      かのユダヤ的なるもの全て…」

   胸を張り、まるで観客に向かって言うように叫ぶヒムラー

  ヒムラー「そうだ諸君! やがて世界は知るときもあろう。我々は完全に
      正しかったのだということを!」
   全員一斉に、あの有名なナチ式敬礼をする。
   舞台闇となり、轟音あたりを揺るがす。