芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

怒りの葡萄

2016年01月13日 | シナリオ

 9年いや10年ほど前になるだろうか。スタインベックの「怒りの葡萄」を漫画にするという話があって、例えばそれを台本にするとこんな感じというのを書いたことがある。あの大長編をバッサバッサと短縮して半分ほどに減らした上、その3分の1ほどをシナリオ化した。
 改めて読み直してみると、これはこれで一篇の長編詩のようにも読める。それはそれで面白いので、物語の導入部分をブログに掲載することにした。
 この物語の主役はトムだが、ケーシーという元説教師が興味深い。彼は宗教家として根源的懐疑に行き当たり、悩む。あるとき彼は気付いたのだ。そして説教師をやめるのである。それはまるで禅林を出た旅の雲水が、忽然と悟りを開いたかのような瞬間なのだ。
 原作/スタインベック 訳/大久保康雄 脚本/芳野星司 である。

         
                     

♯1
 ひび割れた大地
 「オクラホマ … 」
 
 枯れて倒れた玉蜀黍の葉がカサカサと音を立てる
 畑の玉蜀黍は全て同一方向に倒れている

 土埃を上げる荷馬車
 「動くものはすべて、土埃を空に巻きあげる」
 
 「太陽は土埃におおわれた大地に照りつけた」
 
 貧しい小作農家。家の入口に座る男
 「男たちは静かに座っていた…」

 家の外の椅子に両脚を投げ出して坐る男
 「考えながら…」

 家の入口に蹲る男
 「あれこれ思いめぐらしながら…」

 畑から舞い上がる土埃
 畑に沿って土埃をあげて走る箱型の車
 
♯2
 土埃をあげてやって来る車を、不安げに見守る小作人農家の人々
 農家の前庭に停まる箱型の車
 立ち上がり車の周囲に立つ男たち
 
 女たちが子供たちを家の中に追い立てる
 小作人の女房「家の中にいな。出るんじゃないよ」

 車の前に立ちつくしたままの男たち
 車内に座ったままの男(地主の代理人)

 車と男を馬蹄形に囲んで、座り込む小作人たち
 車内に座ったままで小作人たちに語りかける男
 代理人「ここの土地がやせているのは、わかってるだろ、いやまったくさ」

 小作人1「へえ、わかってますよ、そのとおりでさ…」

 代理人「おまえたちが、長い間すっかり引っかき回したからさ」

 小作人2「土埃さえ飛ばなけりゃね…」
 小作人3「表土が飛ばなけりゃ、そんなに悪かねえんだが…」

 代理人「土地が年々貧しくなってるのは、おまえたちも知ってるだろ」
 小作人1「へえ、それは知れたことでさ」

 代理人「綿花は土地から養分をすっかり吸いとってしまうんだ」
 小作人2「輪作さえできたら…」

 代理人「そうだ、しかし、もう遅すぎるんだ」
    「誰でも、食べて、税金が払えりゃ、土地を持っていられるんだ」

 小作人1「へえ、おっしゃるとおり。それはできまさあ。不作になって…」
 小作人2「銀行から金を借りなきゃ、やっていけなくなるまではね…」
 代理人「うん、銀行や会社は…ああいう生き物は」

 代理人「空気を呼吸しているわけじゃない。豚肉を食ってるわけでもない」
    「あの連中は、利益を呼吸しているんだ」
    「金にくっついた利鞘を食っているんだ」
    「そいつを食えなくなったら、やつらは死んでしまうんだよ」
    「おまえたちが空気や豚肉がなけりゃ死んじまうようにな」
    「悲しいことだが、それが現実なんだ」
 小作人1「おれたちは、なんとかこのままやっていけないかね?」
 小作人2「たぶん来年は豊作になる。えらく獲れるかもしれねえ」
 小作人3「それによ、戦争で綿花が高値をよぶかもしれねえ」
 小作人1「綿花から火薬を作るっていうじゃないか。軍服もな…」
 小作人2「でかい戦争がいくつかありゃ、綿花の値は天井知らずじゃねえか」
 小作人3「ああ、来年はいいかもしれねえ」

 代理人「それが当てにできないんだよ、銀行は…この怪物は」
    「しょっちゅう利益を食い続けなければならないんでね」  
    「待てないんだ。死んじまうんでね」
    「この怪物は、太るのをやめると、死んじまうんだよ」

 不安そうな女たちが溜息をつく
 犬が箱型の車のタイヤに小便をかける
 鶏が砂浴びをしている
 
 小作人1「わしらに、どうしろっていうんだね?」
 小作人2「これ以上作物の取り前を少なくすることはできねえ」
 小作人3「みんな半分飢えかけてる」
 小作人1「子供たちは年中腹をすかしているし、着るものもボロボロだ」

 代理人「いいかい、小作制度ではもうやっていけないんだ」
    「トラクターに乗った人間一人で、十数家族分の仕事ができるんだ」
    「そいつに賃金払って、収穫はこちらが全部取る。仕方がないんだ」
    「こんなことは、こちらもやりたくないんだがね」
    「いまこの怪物は病気なんだ。何か具合が悪いことが起こってね」
 小作人1「でもそんなことすりや、綿花で土地がくたばりますぜ」

 代理人「わかっている。土地がそうなる前に、急いで綿花を収穫しないとな」
    「それから土地を売りに出すんだ」
    「東部には小さな土地でも欲しい人たちがたくさんいるからな」

 小作人2「待ってくれ、それじゃあ俺たちはどうなるんだ?」
 小作人3「おれたちは、どうやって食っていくんだ?」

 代理人「お前たちには、この土地から出ていってもらわねばならん」
    「もうすぐトラクターがここを掘り返すからな」
 
 小作人たちが立ち上がる。
 小作人1「冗談じゃねえ! 爺さまたちがここを開拓したんだ!」
 小作人2「インディアンたちをやっつけて、追い払わなくちゃなんなかった」
 小作人3「親父はここで生まれたんだ。親父は毒蛇や雑草と闘った!」
 小作人1「俺はここで生まれた。俺たちの子供もここで生まれた!」
 小作人2「それで親父は銀行から金を借りなくちゃなんなかった」
 小作人3「そんとき銀行がここの地主になったが、俺たちはここで頑張って
      育てたものを、少しばかり手に入れてきた」

 代理人「私らだってそれはわかってるよ」
    「しかし、これは私らじやないんだ。銀行なんだ」
    「銀行は人間とはちがう」
    「五万エーカー持っている地主も、人間じゃない。あれは怪物なんだ」

 小作人1「そうだろうさ! だけど、ここは俺たちの土地だ!」
 小作人2「俺たちが土地割りして開墾した土地だ!」
 小作人3「俺たちは、ここで生まれ、ここで殺され、ここで死ぬだ!」 
 小作人1「役に立たねえ土地だとしても、やっぱり俺たちの土地だ!」
 小作人2「そうだ! この土地で生まれ、この土地を耕して、この土地で死ぬ」
 小作人3「それが所有権ってもんじゃねえのか」
 小作人たち「所有権ってもんは、番号のついた書類なんかじゃねえ!」

 代理人「気の毒だが、それを私らに言っても無駄だ」
    「相手はあの怪物なんだ。銀行は人間じゃないんだよ」
 小作人たち「だけんど銀行だって、人間が集まってできたもんだろうが」

 代理人「そこが違うんだ、大間違いだよ。銀行は人間とは別のものなんだ」
    「銀行で働いている者でも、銀行のやることを憎んでいるんだ」
    「でも銀行はやってのける。銀行は人間以上のものだからな。怪物さ」
    「人間が作ったものだが、人間はそれを押さえられないんだ」

 小作人1「ふざけるな! 土地を守るため爺様はインディアンを殺した!」
 小作人2「親父は蛇を殺した!」
 小作人3「俺たちは銀行を殺すさ!」
 小作人たち「こいつはインディアンや蛇より悪辣だ!」
    「俺たちは、この土地を守るために闘わなきゃならねえ!」 
    「親父や爺様が闘ったように! 闘わなきゃならねえ!」

 代理人「お前たちは、立ち退かなければならんのだ!」
 小作人たち「冗談じゃねえ、ここは俺たちの土地だ!」

 代理人「そうじゃない! 銀行、あの怪物のものなんだ!」
 小作人1「鉄砲を持ち出すぞ! 爺様たちがやったように!」
 小作人2「インディアンをやっつけたようにな! そしたらどうする!」

 代理人「保安官を呼ぶさ。それから軍隊もな」
    「もし無理にここに頑張るつもりなら、お前たちは泥棒と同じだ」
    「人を殺せば殺人罪になる」
    「怪物は人間じゃない。でも奴は、自分のやりたいことを人間にやら
     せることができるんだ」

 顔を見合わせ動揺する小作人たち
 小作人1「でも、俺たちが出ていくとしても、どこへ行けばいいんだ?」
 小作人2「どうやって行けばいいんだ?」
 小作人3「俺たちは金なんぞ持っていねえ」

 代理人「気の毒だと思うよ」
    「銀行や地主には、責任はないんだ」
    「お前たちの住んでいる土地は、お前たちの物ではないんだからね」
    「この州から出ていけば、秋になれば綿摘みの仕事があるかもな」
    「ことによると政府の救済もあるかもしれない」

 車の周りに立ち尽くす男たちの不安げな顔

 代理人「西のカリフォルニアでも行ったらどうかね?」
    「あそこは仕事もあるし、一年中寒さ知らずだ」
    「あそこは、年中、何か仕事になる作物ができる土地だよ」

 代理人の車が動き出す。
 代理人「カリフォルニアにでも行ったらどうかね?」

 土埃をあげて走り去る車

 呆然と車の去った土埃の方向を見送る小作人たち

♯3
 何台かのトラクターが畑の中を動き回る
 トラクターの轟音と土埃

 押し潰される垣根、納屋、家
 もうもうと埃がまき上がる

♯4
 一匹の土亀
 土埃の道を土亀が引きずるような足跡をつけて進んでいる

 国道(ハイウェイ)

 大きな赤い運送トラック(横腹にオクラホマシティ運送会社の文字)が走っている
 トラックが停まる

 トム・ジョードが助手席のドアから降りる
 ボンネットを回り込み、運転台の窓のそばに立つトム
 運転手に言葉をかける
 トム  「ありがとよ、兄弟…」
     「…殺人罪だよ」
 トムを見つめる運転手
 トム  「人殺しをしたってことさ、おとなしくしてたもんだから、
      四年で出てきたというわけさ」
 黙ったままトムを見つめる運転手
 トム  「俺のことを食堂に寄るたんびに喋りまくったってかまわねえぜ」
     「おめえはいい奴だ。俺を乗っけてくれたもんな」
 ドアを平手で叩き…
     「あばよ兄弟」
     「乗っけてくれてありがとよ」
 トムはトラックに背を向け、国道から直角に伸びる土の道を歩き始める
 運転手 「元気でな」
 振り向かず、手だけ挙げるトム
 走り去るトラック

♯5
 土埃の立つ道
 乾ききった道に立つトム・ジョード
 広大な青い空、ぎらつく太陽

 パイント壜のウィスキーを飲むトム

 しゃがみ込んで靴を脱ぐ

 土埃の上をのろのろと歩く亀を見つける

 上着も脱ぎ、亀を掴みあげるトム

 上着に靴と亀を包み込み、脇に抱えて土埃の道を裸足で歩きだす

♯6
 ひょろ長い一本の柳の木
 まだらな木陰に近づくトム・ジョード
 木陰から男の裸足の脚がのぞいている

 男(ジム・ケーシー)が、のんびりと歌っている
 ケーシー「… イエス様こそ 俺の救世主
      イエス様こそ いまは俺の救世主さ …」

 トムに気づき歌うのを止め、じっとトムを見つめるケーシー

 トム  「いやはや、道はひでえ熱さだぜ」

 ケーシー「お前さんは、トム・ジョードじゃねえか。トム爺さんとこの」

 トム  「そうだよ。これから家に帰るところさ」

 ケーシー「お前さんは、わしを覚えてねえだろうな…うん」
     「わしが聖霊を授けてやったころのお前さんは、小さな女の子の
      おさげ髪を引っこ抜くのに夢中だったからな」

     「お前さんたちを、わしが洗礼をほどこしてやったっけ…」

 笑い出すトム
 トム  「そうか、お前さんは説教師さんだね」
 ケーシー「昔は説教師だった。ジム・ケーシー牧師。繁昌したものさ」…
 深い溜息をつき…「いまはただのジム・ケーシーだ」
     「もう神様のお召しを受けることもねえ。罪深い考えを、うんと
      持ってるからな」
     「もっとも、そのほうが、まっとうだと思えるんだがね」

 トム  「あんたは、よく素晴らしい集会を開いていたじゃないか」
     「うちのおふくろは、あんたを誰よりも好きだった」
     「婆さんは、あんたに聖霊がいっぱいついているって言ってたな」

 トム・ジョードはパイント壜を取り出す
 トム  「一杯どうかね?」
 ケーシーは壜を受け取り、傾けて飲む
 ケーシー「わしはもう、説教はやらねえんだ」…
     「このごろの人間には、もうあまり霊はいねえし…」
     「わしの中にも霊がいなくなってしまった」

 ケーシー「うまい酒だな」
 トム  「ああ、工場で造った酒だもんな。一ドルもしたんだぜ」
 ケーシーが壜を返し、トムも飲む

 丸めたトムの上着の中で亀が動いている
 ケーシー「何を入れてるんだね…鶏かい。死んじまうぜ」
 トム  「亀だよ。ちっちゃい弟に持ってってやろうと思ってね」
 ケーシー「子供は亀が好きだからね」

 亀が上着から抜け出し、逃げ出そうとする
 トムが亀を捕まえ、また上着の中に丸め込む
 トム  「子供たちに、何も土産物がねえんだ」
     「このおいぼれ亀しかね」
 ケーシー「お前さんがここに来る前、わしはちょうど、親父さんのトム・ジョード
      のことを考えてたんだ」
     「訪ねてみようかと思ってな」
     「おやじさんは元気かね?」
 トム  「どうだか知らねえな。俺は四年も家を留守にしてたからね」
 ケーシー「お前さんに手紙も出さなかったのかい?」
 トム  「なあに、うちのおやじは手紙を書くような人間じゃねえよ」
 ケーシー「旅に出ていたのかね?」 
 トム  「俺の噂を聞かなかったかい?」
     「新聞にはみんな出てたがな」
 ケーシー「いや…まるで聞いてねえな。どうしたんだね?」

 トムが愉快そうに笑う
 トム  「言っちまったほうが、さっぱりするかもな」
     「でも俺のために祈られたりしちゃ、かなわねえな」
     「俺はマカレスター刑務所にいたんだ」
     「喧嘩で人を一人殺したんだ」
 ケーシー「そのことは、喋りたくねえんじゃないか。ん?」
     「わしは何も聞きたくねえよ。たとえお前さんが何か悪いことを
      やったとしてもな…」
 トム  「二人ともダンスで酔っぱらっていた。奴がナイフで刺しやがった
      んで、転がってたシャベルで頭をぶっつぶしてやったんだ」
 ケーシー「それでお前さんは何も心に恥じることはねえんだね?」
 トム  「ああ、恥じてなんかいねえ」 
     「相手が俺を刺したというんで、七年くらっただけよ」
     「四年で出てきたんだ…仮釈放ってやつでな」
 ケーシー「それでお前さんは、四年間も家の消息を聞かなかったのかね?」
 トム  「いや、二年前におふくろがハガキをくれたし、去年のクリスマス
      には婆さんがクリスマス・カードをくれたね」
     「ピカピカしたのが付いてて、詩がかいてあったな」
     「監房の仲間が、くたばるほど笑いこけやがったな」

 ケーシー「マカレスターの待遇はどうだったね?」
 トム  「うん、悪くはなかったね。時間どおりに飯は食わしてくれるし」
     「清潔な服も着せてくれるし、風呂も浴びることができるし」
     「女を抱けねえのが、…辛かったがね」

 丸めた上着の中の亀が脱出をこころみている

 トム  「そろそろ出かけるかな。日照りももうそんなでもねえようだ」
 ケーシー「わしはもう何年もおやじさんのトムに会ってねえ」
     「いつか会いに行きたいと思ってたところだ」
 トム  「いっしょにきなよ。おやじはよろこぶぜ」


♯7
 二人は立ち上がって、光の中を歩き出す
 カサカサになった玉蜀黍の畑
 道は丘の上にうねうねと続いている
 丘に続く道を登る二人
 

♯8
 丸い丘の上に立つ二人

 トム  「様子が変だぞ」
     「あの家を見てくれ。なんだか変だ。誰もいねえじゃねえか」

 トム、家のあるあたりを見下ろす
 片隅が押し潰された小さな家、空に突き出した鎧窓
 家、納屋の周囲のギリギリまで綿花畑になっている
 
 トム  「なんてこった!」
     「地獄がここに口をあけたものにちがいねえ」
     「あそこにゃ誰も住んでいねえぜ」

 押し潰され傾いだ家や納屋に向かって丘を降りる二人