岡本太郎の名言:格好だけ、
— 瀬下 幽玄 (@undershallow) 2016年9月18日 - 10:26
世間にうまく売り込んだだけの一流を相手にしても意味はない。
たとえマスコミに知られない無名の人でも、
自分をつらぬいて生きている人がいたら、
そういう人をみつけてつきあうことだ。fesh.jp/user/action/Y2…
弁証法的唯物論は、物質の構造とその性質にかんするあらゆる科学的命題の近似的・相対的性格を主張し、自然には絶対的な境界がないこと、運動する物質が一つの状態から、われわれの観点から見ると外見上それと和解しがたい他の状態に転化すること、などを主張する(唯物論と経験批判論)
— レーニン bot (@lenin_bot) 2016年9月18日 - 08:49
政治というものはどんな時代に於てもある程度の抽象性を免れることは出来ません…ルソーが、個別意思をいくら寄せ集めても一般意思にはならないといったのはその意味です。だから、人民の利益を個別的具体的な形で満足させるという事はむしろ政治にとって邪道です(丸山眞男集第16巻)丸山眞男bot
— 丸山眞男bot (@masamaru_bot) 2016年9月18日 - 02:47
キリスト教の奇跡について、もしあるがままの事実、すなわち真理についていたろうとするならば、従来の思弁哲学の概念と偏見を捨てよ。諸君にとって真理と自由の道は、「火の川(フォイエルバッハ)」を渡る以外にはないのである。フォイエルバッハこそ現代の煉獄なのだ。-マルクス1.30
— マルクスエンゲルス全集bot (@maruenbot) 2016年9月18日 - 08:07
簡潔を貧弱の同義語、または退歩の意味にとってはならない。簡潔は洗練と同じように進歩する。フランス現代音楽家たちの簡潔は、もはやクラヴサン弾きのそれではない。洗練の反動として生まれる簡潔は、洗練に属している。それは得た富を自由にし、凝縮する。『雄鳥とアルルカン』
— Jean Cocteau (@Cocteau_ESSAI) 2016年9月18日 - 09:07
フジテレビ討論番組で、下村博文氏(自民党東京都連長)は(広尾病院移転計画の関連で)、「首都直下地震はいつ起きても不思議ではないので、急ぐ必要があった」、とのよう発言した。
— Robert Geller (@rjgeller) 2016年9月18日 - 08:34
御用地震学者は「首都直下」(シナリオにすぎないもの)を煽りすぎた責任は重い。大きな勘違いを招いた。
日本社会:豊洲での都官僚だけでないが、日本社会は官僚であれ、政治家であれ、メディアであれ、業務のあるべき姿を主張する人は疎外し、あるべきでないことを平気で出来る人を重用する社会となった。日本がどんどん沈没していくのは当然だろう。あるべきでない方向へ向かう社会になっているのだから。
— 孫崎 享 (@magosaki_ukeru) 2016年9月18日 - 08:21
栄誉の魅力というものは、それをどんなものと結びつけても、たとえ死であっても、人がそれを好むほどに大きいものである。"パスカル「パンセ」"
— パスカルbot (@pascal___bot) 2016年9月18日 - 08:05
互いに批判することなしには議論することは不可能であり、他方で怒りや強情にとらわれていては正しく議論することができない。(トルクワートゥス『善と悪の究極について』第1巻28)
— キケロbot (@cicerobot_jp) 2016年9月18日 - 08:02