への次郎が行く

カメラと地図を片手に気ままに出かけます。

山梨初夏の旅③ 道の駅巡り

2024年06月02日 | 旅行

富士山石和温泉郷慶山温泉と料理を堪能したあと、帰途に就きました。

 

山梨へは中央道で来ました。帰りは笛吹市から富士川町まで下道を走り、

(グーグルマップより)

富士川町から中部横断道を南下し、静岡市清水で新東名に入ることにしました。

 

への次郎 「ルート上に、道の駅がいくつかあるよ

奥さん  「いいじゃない、スタンプをもらえるわ

 

 

道の駅とよとみ

まずやって来たのは、国道140号線上にあった道の駅とよとみです。

ここは地元農産物が売りの道の駅です。この日、人だかりがあったのはヤングコーン。このあたりはトウモロコシの産地のようで、我々もお土産に一袋買いました。

 

お土産と言えば、地酒。検索したら、隣町に有名な酒蔵があり、寄ることにしました。

 

 

春鶯囀

やって来たのは、富士川町にある春鶯囀(しゅんのうてん)です。

奥さん  「難しい文字。春にウグイスがさえずる、だね

への次郎 「与謝野晶子がこの蔵に逗留したとき詠んだ、短歌の中の文字だって

 

お店の方に回りましたが残念、「昼休み」の札が出ていました。

落胆してここを後にし、近くにある明治時代の学校を見学することにしました。ところが、

 

 

旧舂米学校校舎

門が閉まっていて入れません。で、教育委員会に電話し入り方を教えてもらいました。

明治九年開校の旧舂米(つきよね)学校です。見てください、まるでミニ迎賓館ですよね。(説明された方によると、舂の文字は正しくは、下部は「臼」ではなく「旧」だそうです)

 

校舎の中には、往時の写真、教科書、学習用具や衣類などが展示されていました。

ここは復元教室。一つ一つの部屋は、狭かったです。

 

明治21年の写真。真ん中に舂米学校の建物、両側は増穂尋常小学校の校舎です。

昭和17年の写真。尋常小学校の校舎が充実し、舂米学校は村役場として使われていました。

 

校舎内を一通り見せていただき、外に出てくると、

奥さん  「石橋湛山の銅像よ! ここの卒業生だって

への次郎 「立派な人を生んだんだね、この校舎は

 

 

道の駅富士川

舂米学校の近くに、道の駅富士川があり寄ってみました。そしたら、

奥さん  「ほら、春鶯囀だよ!

への次郎 「えっ?! ほんとだ!!

一度はあきらめたあの地酒、思いがけず買うことができました。

 

土産を手に2階に上がり、展望デッキに出てみました。

奥さん  「いち、に、さん・・・、あれ、八ヶ岳じゃない?

への次郎 「そうだね。手前が中部横断道。左に進むと静岡県だね

 

 

道の駅のすぐ近くに増穂ICがあり、そこから中部横断道に入り、清水をめざしました。

                                      つづく