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への次郎が行く

カメラと地図を片手に気ままに出かけます。

あのタイムカプセルは、どこへ?

2024年08月03日 | 古い写真

連日の猛暑、気軽に外出はできません。

 

奥さん  「何してるの?

への次郎 「古い写真の整理

 

3枚の古い写真、母校の小学校です。

1978年8月14日に撮影したもの。

 

母校のHPから沿革を確認したら、1974年に新校舎が完成していました。おそらく盆に帰省した際、家人から小学校が移転したと聞き、旧校舎を見に行ったんだと思います。

 

グランドの南に立って、方向を撮影したものです。

移転して4年、グランドに草が生えています。なぜか白線も残っていて・・・。

 

同じ位置から、北西方向を撮ったものです。

在学中に、木造校舎からこの校舎に替わりました。校舎前の高い木、覚えています、イチョウです。

 

西方向にカメラを振りました。

校舎の左に木造の講堂がありましたがなくなっていて、後ろの木々がストレートに見えています。

 

講堂の左に大きな四角形の石があって、卒業時に、その近くに作文などを収めたタイムカプセルを埋めた記憶があって。

確かこの辺りに・・・。

 

 

国土地理院の航空写真(1974年~78年撮影)を見てみました。

講堂が写っているので、1978年より前に撮られたものですね。がカプセルを埋めた場所です。めったに帰らないので、旧校舎の跡地がいまどうなっているのか、想像がつきません。で、

 

グーグルマップを見てみました。

旧校舎は、公民館として活用されていました。ただグランドには民家がびっしり建ち並び、講堂があった場所には大きな一軒家が建っていました。カプセルを埋めた場所はのところです。現在はどうなっているんでしょう?

 

ストリートビューで見てみると、タイムカプセルを埋めたと思われるところは、大きな一軒家の駐車場と庭になっていました。

 

 

奥さん  「友達に聞いてみたの?

への次郎 「一度、聞いたよ

 

もう40年近く前でしょうか、珍しく同窓会に参加しました。その時、何人かの友人に尋ねましたが、タイムカプセルのことなぞ、誰も覚えていませんでした。

 

奥さん  「じゃ、妄想?

への次郎 「そんな!

 

半世紀以上前の古い記憶、妄想として片づけられそうになりました。でも、気になります、あのタイムカプセル。

                                        


1970年代後半の浅草

2024年03月27日 | 古い写真

古い写真を整理していたら、50年近く前の浅草の写真が出てきました。

 

当時、若者が好んだ街は新宿渋谷池袋。若者が浅草に遊びに行くことは、ほとんどありませんでした。ただ東京に出て最初住んだのが葛飾区で、浅草から比較的近かったため、ごくたまに行くことはありました。

 

この日、おそらく東武電車に乗って、友人とやって来たんだと思います。

 

これは浅草のシンボル、雷門につるされた大提灯です。

左に立て看があって、「浅草春の観光祭」と書いてあります。調べたら、この祭は現在でもあって、3月中旬~5月上旬に開催されています。写っている人たちの身なりから、4月でしょうか。

 

雷門をくぐると、仲見世通りがまっすぐ伸びています。

 

通りの両サイドには、当時も土産物屋がずらっと軒を連ねていました。

多くの人が写っています。この日は、日曜日でしょうか。

 

今では平日でも、外国人観光客がたくさん来ていますが、

当時は、彼らを見ることはほとんどありませんでした。

 

仲見世通りを通り抜けると、また大きな提灯がぶら下がっていました。宝蔵門です。

この門をくぐると、浅草寺(せんそうじ)の境内。

 

境内に入ると、前方に本堂

左に咲いているのは、? じゃ、4月上旬ですね。

 

本堂の方に進むと、常香炉があって、みなさん煙を浴びていました。

への次郎も煙を浴びて、本堂へ。

 

お参りを済ませ、本堂から境内に下りてきました。前方に見えるのが宝蔵門です。

このあと、どこへ行ったんでしょうか。まったく記憶にありません。

 

1970年代後半の浅草でした。

                                              


懐かしい福塩線(1970年代後半)

2024年03月15日 | 古い写真

物置から出てきた古い写真を見ていました。

 

奥さん 「どこの駅?

への次郎福山駅。福塩線のホーム

 

写真からは読み取ませんが、電車の前面に付いている行先板に「福山⇔府中」と書いてあります。

 

1970年代前半、福塩線の電車に乗って高校に通っていました。でもこの電車、乗った記憶がありません。調べたら、この電車が走っていたのは、1977年からのわずか3年間でした。

 

奥さん 通学時に乗った電車は?

への次郎こっち

 

3年間乗ったので、雑誌の表紙を見ただけで、撮影場所も分かりました。横尾駅のすぐ南にある踏切を通過する福山行です。

 

この電車、戦前に製造されたもの。車内はふんだんに木が使われていて、床、壁、座席の枠などが木製でした。ときどき床に、ワックスが塗り直されていましたが、その時の臭い、いまでも思い出せます。

 

への次郎時々、気動車にも乗ったよ

奥さん 「電化されてるでしょ、福塩線

 

当時、一日2本、午前中と夕方に福山発の気動車があったんです(オレンジ線と黄線)。

帰宅時によく乗ったのは、17:53発の気動車(黄線)。実はこの気動車、遠く三次駅から福山駅に走って来て、福山駅から三次駅に引き返し、そこから広島駅まで行っていました。

 

への次郎この気動車の行先板、あるよ

奥さん 「うちに?

への次郎ほら、これ

 

この気動車、中学校の同級生が何人か乗っていました。みなさん、どうしているのかなぁ。

                                       


道後山への小旅行 (1971年夏) ②

2024年02月26日 | 古い写真

芸備線道後山駅から、バスに乗って道後山麓に着いたのは、1時半過ぎ。

 

キャンプのできそうな場所を探し、荷物を下ろして山頂をめざしました。が、

途中でパチリ。ここ、頂上ではないような気がします。その後、

 

荷物を置いたところに引き返し、テントを設営。

中学校の林間学校では山の家に宿泊。この時は、誰かが持ってきたテントにぎゅうぎゅう。

 

「味の八ちゃん」と書かれた箱を持ってきていました。

食事はインスタントラーメン程度だったのでは。

 

中学校の林間学校ではキャンプファイヤーをしましたが、

このときは、花火を打ち上げたかも。

 

 

翌朝、朝一番のバスで道後山駅に下りてきました(7:55着)。

ディーゼル機関車が引く旧型客車が入ってきて、これに乗って出発(9:15)。

 

すると間もなく、車窓がパッと開け、高い鉄橋を通過しました。

調べたら、小鳥原(ひととばら)川第一鉄橋。中国地方で一番高い鉄橋でした。

 

車内では、行きと同じ。おしゃべりをしたり、写真を撮ったり。

レンズにキャップ! 一眼レフじゃないから気付かなかったようですね。

 

芸備線は山間の路線。真夏だから、車窓は木々の葉で一面の緑。でも緑の中に、

所々、可憐な小さなピンク色のネム木の花が咲いていて、印象に残りました。

 

帰りは福塩線への連絡が悪く、塩町駅を通り越し、三つ先の三次駅まで乗車(11:15着)。

三次駅は広島県北の交通の要衝。気動車や機関車がたくさん止まっていました。ここでお昼にしたと思いますが、記憶にありません。

 

その後、福塩線の気動車に乗って三次を離れ、2時間後に府中駅に到着(14:57)。

向かいホームに止まっていた電車に乗り換え、

 

最寄り駅の戸手駅に着いたのは、まだ日が高かった時刻(15:22)。それもそのはず、遠くから来ていた友達は、自転車で帰るのに2時間近くかかりましたから。

 

 

時刻表を見ながら、50年前の道後山への小旅行が再現できました。

道後山には1時半に到着し、翌朝7時過ぎに山を下りるバスに乗っています。ほんとうにキャンプのためだけに行ったということです。おそらく仲の良かった中学校の時の友達と、一泊二日の旅に行く、それだけで満足したんでしょうね。

 

あの夏に乗った芸備線、道後山駅を含む一部区間は現在、存廃議論が起こっています。時刻表を見ると、道後山駅に止まる上下列車は日に、当時は急行6本を含む22本、現在は6本。一列車の編成は、当時は数両編成、現在は一両編成。

存廃を話し合う芸備線再構築協議会が間もなく開かれるそうです。議論の焦点は、廃線後の公共交通機関をどうするか、ということになるんですかね。

 

・・・

                                         


道後山への小旅行 (1971年夏) ①

2024年02月23日 | 古い写真

物置から古い写真が出てきました。

 

これがセットだな

 

高1の夏休みに中学校の友人数人と、広島県県北の道後山1268m)にキャンプに行った写真でした。おぼろげな記憶にもとづいて写真を時系列に並べ、当時の時刻表を手に一泊二日の旅を再現してみました。

 

旅の行程は、こんな感じ。まず福塩線で北上し、塩町駅で芸備線に乗り換え、道後山駅まで行きます。そこで下車し、バスで道後山に上がるというものです。

 

昭和46年(1971年)の夏休み。我々は朝早く最寄りの駅に集合しました。

当時の国鉄福塩線の戸手駅です(『情報発信むかし村』より)

向こうが上り福山行きのホーム、こっちが下り府中行き。我々は下りホームに入ってきた電車に乗って出発しました(8:10)。

 

府中駅に到着(8:23)。府中駅からは非電化区間、この気動車に乗り換えました(8:41)。

車内では、おしゃべりしたり、写真を撮ったりしながら過ごしたんだと思います。

 

塩町駅に着きました(10:20)。ホームにおりて、急いで早めのランチ。

持ってきた弁当をほうばり、芸備線の列車に乗り換えました(10:48)。

 

乗り換えて2時間、道後山駅に着きました(12:50)。

写真右側が駅舎。駅前に見えるのは旅館でしょうね(『昭和の駅の風景⑶』より)

当時、駅前から道後山麓に向かう備北交通のバスがありました。そのバスに乗って25分揺られ、やっと道後山に着きました(13:35)。

 

じつは道後山へは、中学校の林間学校で一度、行ったことがありました。そこで、中学校の卒業アルバムを開いてみると、

雰囲気ありますよね、この写真。プロの撮影は違う!

 

ん・・・。座って何か食べている人の後頭部、見覚えがあるような。

もしや・・・

                              つづく