何事も守りのための守りの姿勢は、衰退の始まりだ。何があっても守り抜くという攻めの姿勢の守りであれば、自然と災難は寄ってこないし、常に緊張感があるため、不注意によるミスも出ない。しかし、とにかく少しでも、余計なことは避けて、守りたいという消極的な姿勢では、思わぬことで足元をすくわれるものだ。守りのための守りはいつしか、守るべきものさえわからなくなり、本当に守るべきものがなにかも見えなくなってしまう。どんな時もリスクが伴うものだし、それを避けるだけでは済まされない。真正面から困難や試練に立ち向かいそれらを乗り越えてこそ、次への飛躍が待っている。攻めの姿勢はあれば、例え失敗しても後悔しないし、失敗も成功の糧になる。与えられた貴重なチャンスからは逃げてはならない。何とかなる、何としてもやりぬくという気持ちがあれば、案外うまくいくものだし、困ったときは周囲のいろいろな人たちが助けてくれるものなのだ。見えてもいない魔物に怯えるな、強い気持ちがあれば魔物が実は単なる案山子の影であることがわかるだろう。その名に恥じることのないようにゴジラよ、炎のように燃え上がれ。あなたの気持ちがわかるなんて物分りのよいことは言わない。すべての恐れを振り払い、敢えて火中の栗を拾え。
