思えば「脱・下請け」から始まった!山ちゃんのレントラ的言いたい放題

函館出身の代表がレントラ便の普及と、公共インフラとしての使命感を強く持って想いのまま綴ります

2月3日の気仙沼市街地の写真

2012年02月10日 | Weblog

2月3日

坂井さんにご案内して頂いた仮設住宅を後に、今度は坂井さんの自家用車で市街地をご案内して頂きました。



ここは魚市場です。







道路脇には巨大な土のう。地盤沈下のため大潮時には冠水するために置かれています。







市街地に入りましたが、復旧すら全く前進していません。









ここは坂井さんのご自宅です。前回ご案内して頂いたときは、3階建ての2階部分の鉄骨のみ残っていましたが、それも重機で壊されていました。
言葉もなく、坂井さんの胸中を思うと涙が出そうでした。



こちらもそうです。















ルームミラー越しに見える坂井さん。私は何もしてあげられないという無念がこみ上げてきます。




その後、市街地を離れ、坂井さんの奥様を交え、お食事をごちそうになりました。
気仙沼名物のマグロ丼。いつもながらおいしく頂きましたが、市街地などを見たあとなので、複雑心境でもありました。

その後、14時過ぎには気仙沼を出発。今年は例年にない大雪だそうです。


東北道も雪です。



21時過ぎには、無事東京へ。




これにて今回の支援物資輸送の報告は終わりです。


気仙沼の数名の方とお話させて頂きましたが今回、感じたのは地元の方々が行政に対し、不信感が大きく増していると言うことです。

他には、地元経済も破綻まではいかないが、かなり厳しい状況ということで支援に関しては、多少高くても現地にお金を落ちる(現地で買う)方法が好ましい(支援物資など)。


生鮮食品(魚等)などを送るのは、不公平をなくすため、また腐らさないようにするため一度事前相談した方がいい。

などなどです。
依然として進まない復旧、復興に対し、マスコミの報道も減っている中、震災の爪痕と、厳しい冬に対峙する同じニッポン人に対し、引き続き熱い皆さまのエールと行動を、切にお願い致します。






12年2月3日 気仙沼の仮設住宅の写真

2012年02月09日 | Weblog


こちらは坂井さんが自治会長を務める仮設住宅です。
坂井さんに無理を聞いて頂き、案内して頂きました。

ここは中学校の敷地内にあるのですが、道路を挟み約200世帯が入居されています。








仮設と仮設の間では、水道関係の工事が行われています。



水道凍結対策の工事でしょうか。他府県の工事会社が施工していました。



地面と仮設のすき間にある、木の板で風を防いでいるのですが、安易な対策なため、ここから寒風が入り、水道凍結や結露の原因にもなっているとのこと。
床は鉄板1枚だと伺いましたが、寒い訳です。


右側は集会所です。
今頃ですが、配布できていなかった不足分の布団が配布されていました。
地元の方々は、国政、自治体の行政に辟易としているのが伝わってきました。
私は部外者ですが、今頃布団を配ることに、驚きと怒りが同じに沸いてきました。




集会所前にはベンチが置かれていました。
よく見ると【佐賀青年会議所】から寄贈されたものでした。
うれしくなります。
ちなみに写っている子供は、現地の子供ではありません。



子供の手紙の添えられていました。




集会所の前には、ベビーマッサージ中止の張り紙が。
理由は水道管の凍結により破裂したためだそうです。




集会所を外から覗いてみると、小さな子供たちが元気に遊んでいました。
熱くこみ上げるものがあります。




駐車場にある自家用車には【がんばっぺ 気仙沼】のステッカー
言葉に出さなくても、頑張っていることが伝わりますね。




写真中央奥は、仮設のコンビニです。
大規模仮設住宅にあるコンビニは、間違いなくライフラインを担っています。




今回は、マスコミでは報道されない、冬の東北の生活をこの目であらためて確かめることが出来ました。
【この地に生きることは、無意識に頑張ってしまっていること】
この地に住んでいない無責任な部外者としてですが、感じました。

私たちは、間違いなく幸せです。
何が出来るか、みなさまとご一緒に考え、それぞれが出来ることを行動に移し、継続して支援できることを願って止みません。


次のアップは、市街地編になります。


仮設住宅

2012年02月09日 | Weblog

こちらは、気仙沼復興株式会社の真裏にある、仮設住宅地。

公園の中に立てられています。



この後、坂井さんに無理を言って、坂井さんが自治会長を務める仮設住宅に移動します。

外観だけの写真になりますが、後ほど複数枚アップ致します。






仮設住宅には必ずある仮設集会所








気仙沼復興株式会社

2012年02月07日 | Weblog

先週3日金曜日
気仙沼に到着してからを時系列に、写真をアップ致します。
そして、簡単な説明も加えさせて頂きます。




まずは、夜明けの東北道(岩手県)です。マイナス11度でした。



東北道を降り、国道284号線。一面は雪景色です。



一関インターから約1時間30分。気仙沼市内にある【気仙沼復興株式会社】に到着。



気仙沼復株式会社の社屋(看板下の1階建の建物)はプレハブ造りです。



皆様にご提供頂いた、カレンダーの一部。
これから仕分けされます。



オフィス机や、書棚も今回の支援物資。



手前の学習机も、ベットも支援物資です。




当日は、島根県から魚の干物や、かまぼこのような食品も支援物資として届き、スタッフの皆さんで手分けして、仕分けしています。










気仙沼復興株式会社は畑を挟んで気仙沼ボランティアセンターがあります。




その後、スタッフの皆さんは、気仙沼の各仮設住宅に、この食品物資をお届けに行きました。
見ていて感じたことは、仮設住宅に届ける数量の過不足や、配布の手間(この日は土曜日にも関わらず全員出勤だそうです)を考えると、ありがたいことではありますが、額面通りに喜んでいられない実情も感じられ、複雑な心境でした。

ちなみにこの日も仮設住宅では水道凍結が多く、代表の坂井さんは、早朝より現場に駆けつけ対応されていました。
本当に頭が下がります。
寒冷地での水道凍結は、あらかじめ予想出来たことですが、仮設ではその対応が全くされておらず、みなさまは本当に大変な思いをされていました。

私は、恵まれています。









無事に気仙沼から帰ってきました

2012年02月06日 | Weblog

3日夜に東京を出発し、4日の土曜日に気仙沼に行ってきました。
雪の影響が心配でしたが、特に問題はありませんでした。

片道約500キロ強。
雪の東北道はマイナス10度からマイナス11度のところが多く、寒かったです。

目的地は気仙沼復興株式会社
写真は会社前にて、レントラ便(弊社)のトラックと、スタッフの皆様。

この会社は、以前にも紹介していますが、
昨年10月に、気仙沼の復興だけを目的として設立されました。
代表の坂井さんは自ら被災されましたが、気仙沼高校避難所にて避難生活を送りながらもボランティアで陸前高田や大船渡方面まで広範囲に渡り、全国から送られてきた緊急支援物資を各避難所や自宅避難者に供給支援を行っていました。

しかし、個人ではボランティアの限界を感じ、また、市から復興に関する業務を請け負うため(NPOではダメ)、株式会社という受け皿を回りの方の声に押され設立した会社です。

今は、気仙沼市内の広範囲(一部岩手県)に渡る仮設住宅90か所以上、約3000世帯の管理を市から請け負っており、被災者の声も常に届くので、業務以外のボランティアも事業と並行して活動されています。
私も坂井さんを頼りに、また情報を基に、支援活動を継続しています。
カレンダー集めもその一環です。。
当然、坂井さんには仮設住宅以外の方(自宅避難者や、みなし仮設)の情報も届くので、広範囲にわたり、支援物資が行き届くようになっています。
参考記事⇒こちらをクリック


説明が長くなってしまいましたが、
ここには、朝9時前に到着。
物資のお届けと、支援に関する打ち合わせを午前中に済ませ、
午後2時には気仙沼を出発しました。
その後、午後9時には東京に無事到着。

無事に支援物資をお届けしたきたこと、無事に帰京できたことを、まずは報告致します。
みなさま、ありがとうございました。

明日以降、写真を交え報告をして参ります。



支援物資を仕分けしました

2012年02月02日 | Weblog


本日

明日、東北に向け出発が決定しました。
帰社後、現地で仕分けをしなくてもいいように、社内でスタッフ5名と支援物資を仕分けをしました。

思ったより時間がかかり、苦戦しましたが、私の不在時にもたくさんの支援物資が届いていたことが判明しました。

カレンダーは1万部以上にもなり、その他手帳や干支の置物なども。


大阪に本社がある、
ワンダートラベルさんにも多くの支援物資と、お手紙を頂戴しましたので、この場で紹介させて頂きます。

他にも支援物資をご提供頂いた皆様、ありがとうございます。
明日3日夜に東京を出発し、朝には気仙沼に到着いたします。

現地の様子は後日、あらためて報告致します。








東北への出発日

2012年02月01日 | Weblog

●東北で優先される物資のご提供者の有無と、その引き取りのタイミング。
●東北への到着する曜日(受け入れ体制)。
●天候。特に最近は東北道のチェーン規制や、雪による一時的な通行止め。
●私のスケジュール(体調含む)。


これらのタイミングが合った時、東北へ向かうことが出来ます。
今年はすでに1月6日に気仙沼へ行ったため、その直後からカレンダーを含む様々な物資をご提供頂いた皆様には約1か月もお待たせして大変申し訳なく思うのですが、ようやく今週に向かうことが出来そうです。

予定では3日の金曜日か、4日土曜日には現地に到着しようと考えています。
ということは早ければ2日深夜出発です。
ただ、雪(安全)を考慮すると多少の幅はあるかも知れません。

今の季節は【天候】も考慮しなければいけません。
それは、弊社の経営理念の一つである【安全】を最優先するためです。
 
ちなみに経営理念は、
【日本の公共と人々に、安全、安心、便利な運搬サービスを提供し続ける】
です。


東北の皆様、物資をご提供頂いた皆様、間もなくお届けに上がります。
弊社の経営理念(存在意義)に鑑み、もう2.3日だけお待ち頂けますようお願い致します。












株式会社データ・テック

2012年02月01日 | Weblog

昨年9月、株式会社データテックさんのお客様交流会(151名参加)にて、ローソンさんに続き、僭越ながら短時間ですが講演させて頂きました。
その時の内容が本日、データテックさんニュースに掲載され弊社に届きました。

講演と言えるほど立派な内容ではありませんでしたが、紙に印刷されると恥ずかしさがこみ上げてきます。

講演に至るきっかけは、
・データテックさんの社長(田野さん)が大田区の先輩経営者であること。
・弊社でもデータテックさんの製品を愛用していること。
・データテックさんの製品が、私が向かった被災地の様子を録画し、弊社のBCP策定に役立っていたこと。

たまたまですが、これらが重なりお話させて頂きました。

インフラを支えるトラックは、社会的な役割が再認識された東日本大震災でしたが、データテックさんの製品は、私たちの業界においてBCPを策定するには、本当に有効な機器だと思います。
これは大げさな話ではなく、私の実体験に基づく感想です。

「備えあれば憂いなし」とは言いますが、BCP(地震等の大災害やパンデミックなどにより)を発動しないことに越したことはありません。
最近、地震が多いですが「喉元過ぎても熱さを忘れるな」と地球の警告に感じつつ、震災の教訓はしっかりと学び、後世に伝えなければいけないと思うこの頃です。



データテックさんの製品概要
手ぶれ防止用振動ジャイロセンサ(角速度を計測する)を使って、世界ではじめての『バーチャルリアリティ用小型3軸角度センサ』を生み出した会社。
 動いているものを、ジャイロセンサやGPS等を使い計測し、「動きを把握」することを最も得意とし、自社ブランドある『セイフティレコーダ』を製品化し、自動車版フライトレコーダメーカーとして「いつ」「どこで」「どういう」挙動をしたかを解析し、安全運転や事故予防、業務改善に活用いただいております。