先週8日(木)
女川町の復興支援センターに応援物資をお届けしてきました。
この物資は、昨年支援を通じて知り合った尾見さん(関東在住)が集め、女川町で支援バザーを行うために弊社で運ばせて頂きました(もちろんボランティアです)。
こちらへは確か3回目の運搬だと記憶しています。
石巻を過ぎしばらく行くと女川の街並みが見えてくるはずですが、いまだに写真の通りです。
ここを曲がり、少し高台になったところに女川町復興支援センターはあります。
震災前は保育園だったような建物です。
お届けした「女川町復興支援センター」の方々と。
この復興支援センターは、社会福祉法人 女川町社会福祉協議会が運営しています。
「お茶でもいかがですか?」と、あたたかいお気遣いを頂きましたが、気仙沼に向かうためお気持ちだけ頂戴してきました。次回はお茶でも頂いて、女川町の現状をお聞きしたいと思います。
ここから先は、街の様子を連続アップします。
ご覧のとおり、生活の足の鉄道は寸断されたまま。
道路は遅々としていますが、かさ上げ工事が所々で。
大潮の満潮時には冠水する道路も未だにあります。
下の写真は女川町から石巻市(郊外)に入ったところですが、この辺も津波の惨状がいまでもわかるくらい酷いところです。
これが今の現状ですが、進まない復旧、復興の現状を皆様にご理解して頂きたく、写真をアップ致します。
まだまだ応援は必要だということです。
次回は気仙沼に向かう途中の南三陸町の写真を紹介します。
気仙沼も復興の道のりは長く、いまだに海の近くは大潮と満潮が重なると冠水しています。
鉄道もかなりのダメージを受け、(気仙沼線を全線開通するのに30年の月日を要したそうです) 今は全部線路をはずし、BRTという新しい方法で運行をすることで、整備が進んでいます。
新しく線路をひくより、10分の1のコストですむそうです。ですが、線路自体すべて流されてしまい、(鉄橋を含み)全線BRTでの開通は難しく、線路がなくなったところは一般道を走ることになっています。
ですので、やはり交通渋滞等になり、鉄道にように時間が正確ではありません。
高校生の通学手段として鉄道はかなり重要性があったのですが、今はBRTが交通手段になっています。
やはり交通渋滞等で学校に遅れるときもあるらしいです。
貴重な情報をありがとうございます。
現地のご苦労が伝わりつつも、お力になれないのがもどかしく感じます。
将来を担う子供たちのために厚く、早くインフラの復旧、復興をしてもらいたいと願います。
被災地に住んでいる訳でもなく、被災者でもない自分が言うのも気が引けますが【心】も同じに復興して頂きたく願っています。