思えば「脱・下請け」から始まった!山ちゃんのレントラ的言いたい放題

函館出身の代表がレントラ便の普及と、公共インフラとしての使命感を強く持って想いのまま綴ります

24年5月24日の宮城県女川町の写真

2012年05月30日 | Weblog

気仙沼を出発したあと、南三陸町を通過し、北上川沿いに女川町へ。
今日はその女川町の写真をアップします。


























































元は保育所?だった女川町の復興支援センター。
こちらに応援物資をお届けしてきました












津波(潮)ををかぶった鉄筋つくりの建物は、酸化するためすべて取り壊すのですが、気仙沼同様いまだ取壊し待ちの建物もありました。

取り壊した建物は、建設系産業廃棄物として近くの屋根なし集積所で分別をしていました。
その分別したガレキ類は、どこかの自治体で処分される(引き取られる)まで山積みになっているのでしょうか?



すべてはこれからです。



5月24日の南三陸町の写真

2012年05月29日 | Weblog

5月24日。

気仙沼で物資をお届けした後、南三陸町を通り女川町へ向かいました。

その時のトラックから撮った写真をアップします。



人は住んでいませんが、仮設店舗が出来ていました。



ガレキ撤去の後に雑草が目立っていました。
道路工事も各所で行われています。







鉄橋も各所で寸断されたまま。




廃車の山




言葉もありません。














4階まで津波が押し寄せ、死者、行方不明者75名の志津川病院








仮設住宅に入居しても、復旧・復興ではありません。
(夫婦2人で4畳半しかありません。)

復旧、復興は全く進んでいないと現地の方は言い切ります。
これに対し、自治体(行政)は、順調に復旧していると言い切ります。

不思議で悲しい構図です。


次回は女川町の写真をアップします。

気仙沼の『すがとよ酒店』

2012年05月26日 | Weblog

今回の東北行きでも気仙沼の「すがとよ酒店」に立ち寄りました。

もちろん、復興祈願酒を購入するためです。





今回からは3男さん(写真左)が、すがとよ酒店さんに加わっていました。

これでメンバーは、お母さんと長男、次男(写真右)、三男とお嫁さんたち。

兄弟の固い絆を感じます。

この絆を基に「すがとよ酒店」さんではローソン(フランチャイズ)まで開店するそうです。

祖父母、お父様が津波で行方不明だそうですが、ますます頑張って頂きたいと強く思います。






写真の復興祈願酒は東京では買えません。

ご購入は、宅配便の代引きで可能です。

もしくは、私までお申し出頂ければ購入してきます(送料無料)。

在庫も少しあります。

間接支援として、復興祈願酒はいかがですか?


すがとよ酒店 
宮城県気仙沼市太田1丁目4
TEL 0226-24-1111
FAX 0226-24-1111






気仙沼の水産加工業

2012年05月25日 | Weblog

24日の昨晩、無事に東北より帰ってきました。
30回目の物資支援は、無事に完了です。






今回は気仙沼と女川町に行きましたが、通過した箇所の写真は後ほどアップします。

この写真は、震災前まで気仙沼にて水産加工業を営んでいた千田商店の千田さんです。
千田さんは来月にご商売を復活させる決断をされたそうです。

手元にある持っているのは、先日の私のブログを見て、千田さんにまな板を提供して頂いた方のまな板を、気仙沼にて手渡した昨日の写真です。
非常に喜んでおられました。
しかし、かなりご苦労されていることがわかりました。

千田さん曰く、「留まるのも、前に進むのも地獄」印象的な、そして強烈な言葉です。

再開しても、商品が売れるか?

・福島のとなりというだけで関西から西は、宮城県の水産物を買わなくなった。
・今後、水揚げされた水産物から万が一、放射能が検出された時点で売れなくなる。

再開するのにも従来の土地は使えず、高台に移転するにも排水設備の許可が難しい。
理由は塩分や薬剤除去が必要で、途中に田畑がある場合には許可が出ない可能性が高いとか。

資金面でも、銀行や信金に融資の相談をすると「決算書を見せてくれ」と言われるそうです。
震災以降、売上が立っていないのに関わらず。

助成金は、審査が通った場合、四分の三を助成してもらえるそうですが、一旦は全額自分で立て替えねばならず、やはり資金がある場合しか復活できないと聞きました。
その立て替え金も、助成金の審査を通過した企業でも、金融機関は融資してくれないと。

国や地方自治体はこのような現状に、どう考え、取り組んでいるのか。
復興庁が出来たのにさっぱり伝わってきません。


僕はささやかながら、支援を続けます。
千田さん、一緒にがんばりましょう。









東北支援が30回

2012年05月23日 | Weblog

写真は先週15日に、気仙沼から上京して頂き、東京都大田区の小学校で震災の授業をして頂いた復興リーダー坂井(右)さんと私(左)。


今晩、まもなく4トントラックで東北へ向かいます。
今回の行先は気仙沼と女川町。
通過点でしかありませんが、30回目の節目の東北となります。

昨年の5月を思い起すと震災翌日の3月12日以降、14回目の支援物資輸送をしていました。
仙台市若林区、名取市、多賀城市、宮古市、大槌町、山田町、釜石市、大船渡市、陸前高田市、気仙沼市、南三陸町、石巻市、福島県南相馬市、福島県広野町、、、
被災地の行政の倉庫ではなく、避難所をツイッターやフェースブックなどのソーシャルメディアで見つけ出し、直接物資を届けてきました。
坂井さんとの貴重なご縁もこんな中、生まれました。

私が30回も物資輸送が出来たのは、今回もそうですが多くの個人の方や、多くの企業様、団体様から心のこもった物資のご提供を頂いたことに尽きます。
この場をお借りして、深く御礼申し上げます。

最近は緊急性が薄れて、物資の内容も少しづつ変化しています。
最近では、みなし仮設住宅に入居する方へは自立のための家具、家電や日用品。
復活する企業や商店、飲食店などへはオフィス家具、オフィス機器、厨房機器など。
津波で全てを流されてしまった現地では、復活資金もままならず、本当にまだまだ支援は必要です。

ちなみに仮設住宅では物資は供給過多になりつつあるようです。
が、最近は炊き出しなども最近はめっきり無くなり、炊き出しは非常に喜ばれるとか。
音楽鑑賞や心や身体の相談など、心のケアも喜ばれるそうです。


直接の被災地に住んでいない私たちは、ともすると震災があったことすら忘れるくらい、平和な日常を過ごしていますが、現地ではまだまだ厳しい状況で、昨年とほぼ変わっていない現実があります。

長々となってしまいましたが、過去の東北行きの1回目から29回目を思い出しながら、再び心に「震災」を刻み、深夜の東北道をひたすら北へ向います。







先月4月12日と今月5月1日の気仙沼の写真

2012年05月10日 | Weblog

なかなかブログ更新が出来ずに申し訳ありません。

今日は気仙沼の写真をアップします。

みなさま、写真を見て何をかんじますか?


































今月21日の週には、4トントラックで30回目の東北へ向かいます。

積載スペースはまだありますので、日時指定が無ければ岩手県、宮城県、福島県には無料で物資をお届けします。
お気軽にお問合せ下さい。

尚、商店や現地企業が続々と復活してきています。
しかし、資金的にも厳しい状況です。
事務用品などございましたら、ご提供頂けると必要な被災地までお届けいたします。
合わせてご協力お願い致します。

株式会社ハーツ 東北支援担当まで
 電話 03-5762-0072

よろしくお願い申し上げます。