1月3日、弘祥の高校の同級生で親友でもあるS・A氏(東京でプロのカメラマンをしています)と映画「男たちの大和/YAMATO」を見て参りました。 ちょうど、彼が中学の同窓会で帰ってきまして、久しぶりに会いました。その日は、地元の変わり様を見せてから(ミスタードーナツ・ユニクロ・ケンタッキーフライドチキン・ライトオン・ケーズデンキ・はるやまetc)、南紀勝浦の串カツのお店で、おいしい料理で一杯行ってやってきました。 新宮で6時から、会いましたので、8時にはおなか一杯になり、お店を出まして、ケーズデンキで、1眼レフのデジタルカメラを紹介してくれると言うことで、戻ったのですが、あいにく閉店しておりました。 じゃ、これからどうするかということになりまして、ちょうどこの郊外のスーパーセンターの一画に映画館があり、別々の映画を4つやっておりました。
弘祥が機会があればと前から氣になっていた、映画「男たちの大和/YAMATO」を上映しておりました。 時間も9時10分からということで、また、友人のS・A氏も東京で見ようかな と思っていたと言うことで、2人で見ました。
本当に、弘祥が見てきた日本映画で、一番感動しました。ぜひ、皆様にも見ていただきたいと、思いました。自分には、深く深く魂に響くものがありました。
もう会えない君を、守る
この、ことばが…
北緯30°43’/東経128°04’の325メートルの深海に3000余名の魂と一緒に眠る姿を、新聞報道などで見た方は、たくさんいらっしゃると思います。
昭和16(1941)年12月16日、広島県・呉市の海軍工廠で極秘裏の内に完成した、全長263m満載重量72800t最高速51km/hの「世界最大最強の戦艦」大和は、世界最大の46cm主砲9門を備えるなど、その類を見ない破壊力によって日本を勝利に導くべく、連合艦隊の旗艦に就任した。しかしガダルカナル島の敗退、連合艦隊司令官・山本五十六のソロモン諸島での戦死など、戦局は悪化の一途を辿り、大和が初めて出撃した昭和19年6月のレイテ沖海戦でも、姉妹艦 ・武蔵を失い、敗退を余儀なくされた。そして、運命の昭和20年4月6日、沖縄に向けた「水上特攻」の命を受けた 大和は、召集後まもない10代半ばから20代の若者たちが大半の3000余名の乗組員たちと共に出撃、翌7日、アメリカ 軍艦載機延べ300機の激しい爆撃と、魚雷攻撃を受け、午後2時23分、轟沈した。生存者はわずか270余名、さらに戦 後60年を経て、その内の20数名が、「大和の最後の真実」を知るのみである。
じつは、20数名のうちのお一人が、ここ熊野におられます。昨年、皆様方の前で講演して下さることがあり、弘祥もぜひ、お聞きしたかったのですが、仕事の関係で、どうしても出席できず、地元の新聞でその記事を読んだのみです。 映画では、あまりふれられていませんが、1945年4月7日午後2時23分、大和が轟音と共に沈んでから駆逐艦に救助されるまでの時間で、地元の新聞も記事にできないような筆舌に尽くし難(がた)・い壮絶なことがあったようでした。 もし、次の機会があるときは、弘祥臨時に休診しても聞いて参りたいと思っております。
今なお、47万人の方々が太平洋に眠るということです。また、日本を遠く離れた地で幾多の人々が亡くなっております。現在の日本の繁栄が、数多(あまた)の尊い犠牲の上に成り立っていることを、弘祥も含めて今一度考えてみることが、大切であると思いました。皆様、機会を作ってぜひ、見てみて下さい。
予告編です。
http://www.toei.co.jp/meta/yamato/YAMATO-P-480.asx
大きな画面で見られたい方で、アップルの Quick Timeが、あればこちらもどうぞ
http://movies.apple.com/movies/jp/movies/toei/yamato/promo480.mov
小さい画面で見られたい方で、アップルの Quick Timeが、あればこちらもどうぞ
http://movies.apple.com/movies/jp/movies/toei/yamato/yamato_new-480.mov
Quick Time の無料ダウンロードは、 http://www.apple.com/jp/quicktime/download/win.html
映画のオフィシャルウエーブサイトは、http://www.yamato-movie.jp/です。
公式ブログは、http://blogs.yahoo.co.jp/yucchin_yamatoです。
2006/02/10 追記
本日先ほどわかったのですが、熊野にもう1人、大和の生還者が、今もお元気にお暮らしということがわかりました。
弘祥ぜひ、機会をつくって熊野におられるお2人にお会いできればと、思っております。
また、患者さんの皆さんに、「男たちの大和」を御紹介しておりました。今週のことですが、ある患者さんにお話ししたら
、その方の隣の家の方は、大和に乗艦されており 「大和、あの船は、沈まんぞ。」と皆さんに言われていたそうです。
そして、水上特攻に出撃し、帰らぬ人となりました。
また、違う患者さんからは大和に乗艦していたが、他の艦に移動を命ぜられて、復員してきた父親の話を聞かせてもい
ただきました。
2006/02/16 追記
今日の朝、患者さんから聞いた話です。
2月10日に追記で書きましたように、大和と運命を共にされて亡くなられた熊野の方のお話を書きましたが、その話を自
分に話してくださった方のお父さんが、本日患者さんで見えられました。
その、お父さんが話して下さいました。亡くなられた方は、家のすぐ隣の方で、確か22歳くらいだったそうです。艦の機関
の方で上官をされていたようです。
熊野からの生還者のお一人が、今朝みえられた患者さんの地元で勤務されたことがあり、その時に隣のおうちに見えて
下さり線香をあげて下さったそうです。
2006/03/13 追記 
本日先ほど、ある案内を患者さんからいただきました。16日に熊野に今もご健在の大和の生還者の方が、話をしてくれるそうです。今記事を作っております。
2006/03/14 追記 
今日お昼前にみえた患者さんから、もう1人新宮出身で大和に乗られ亡くなった人の話を聞かしていただきました。