先日6月30日金曜日第8回熊野新宮の引き受け氣功教室のあと、熊野三山のひとつ熊野本宮大社に参ってまいりました。
藤谷先生と秘書の佐久間さんと熊野新宮の世話人をして下さっている角さんと弘祥の4人です。
藤谷先生と佐久間さんは、昨年12月23日に熊野新宮の速玉大社に参拝されております。弘祥も角さんも残りの熊野三山に藤谷先生と佐久間さんをお連れしたく思っておりました。
熊野本宮まで弘祥の車で行ったのですがその道中も、藤谷先生と佐久間さんは、熊野の自然を見られて、たいへん喜んでおられました。
本宮大社に着いてすぐに、遠く離れていたのですが角さんが宮司さんの背中をみつけられ、車から急いで降りていきました。途中顔見知りの神職さん(角さんは、茶道の先生をしており、熊野本宮大社でも、よくお茶会の奉仕で出かけられているのです。)から、いましがた背中だけ見えて見えなくなった方が宮司さんとの、確認をとり駈けていかれました。弘祥も熊野本宮大社には、、忍田 光先生をはじめとしていろいろな方をお連れいたしましたが、はじめて宮司さんにお会いさせていただきました。
別室に4人を入れて下さりしばし歓談いたしました。宮司の九鬼家隆氏は、たいへん人情味のある方でありました。藤谷先生が九鬼宮司は、まさしく人間宮司だとおっしゃっておられました。弘祥もお話しさせていただき、ほんとうにそう思いました。
そのお話しの中で、九鬼宮司さまより、大斎原(おおゆのはら)は、もう参って来ましたか?と 聞かれまして、大斎原にみえた方々がいろいろとお話しして下さるとのことで、例えば、その昔3人で活躍され、現在は、3人がそれぞれの道で音楽活動をされている方や最近も出版された本がベストセラーに入った作家の方など多種多様のいろいろな方が、大斎原について語ってくれるそうです。それを聞いた藤谷先生が、弘祥にあとで連れって下さいと言われました。
また、当日は夏越しの大祓い(なこしのおおはらい)の日でした。大祓にみえた方々がいただけるものをおみあげにいただきました。また、宮司の「風」という書が入った扇子もいただきました。
九鬼宮司としばし歓談した後、本殿にお参りさせていただきました。そのあと、おやしろの前の玉砂利の上で藤谷先生をはじめみんなで、全身で熊野本宮大社の神々の御神氣を受けさせていただきました。
この後、大斎原にまいりました。明治22年の大水害で流されるまで熊野本宮大社があった場所です。(さきほどの山の上の熊野本宮大社のやしろは、この時に流されずにすんだものを移築しております。)
大斎原の大鳥居です。この奥の右側のこんもりとした杜がお社のあるところです。
大斎原の2つの石でできたやしろの前のちょうどお賽銭を入れる箱の前で、藤谷先生が神々の御神氣と接しられました。
藤谷先生は、しばらくの間立ったままで、全身で受けておりました。そのうち先生が、トランス状態のようになりました。秘書の佐久間さんも弘祥も、立ちましたが、自分は、とてもまっすぐには立っておられませんでした。自分も一種のトランス状態に入りました。
佐久間さんによると、藤谷先生が、ここまでこのようになったことは、おそらく自分が秘書になって初めてでは、ないかと言うことでした。
しばらく立って戻ってきた藤谷先生は、「いやーここは、すごい、ほんとにすごい。チャクラに一つずつ ドーンと ドーンと 眉間のチャクラからはじまって順番に下に向かってチャクラに入ってきました。最後に頭のてっぺん(百会)に光がドーンと入ってきました。」
「いやー本当にびっくりしました。本当にすごいところです。いろいろな方がコンサートを開いたり、講演されたりするわけが、わかりました。」と藤谷先生が、おっしゃられました。
その後、大斎原を後にして、また、4人で新宮に戻りましたが、途中国道で、野生の2匹の猿にも会いました。
次は、熊野三山の残りである熊野那智の滝と熊野那智大社に、お連れしたいと思っております。
また、株式会社マガジンハウスのHanako特別編集のスピリチュアル・サンクチュアリ 江原啓之神紀行で、「ここが熊野の元である」という声(20ページ)が聞こえた神倉山にもぜひ、お連れしたいと思っております。