まだ、あんまりしっかりとことばになっていないままに
ちょっとだけ書いてみようとおもうんだけどね。
さいきんは、「見る。」のことを考えている。
その「見る。」ってのはさ、
たとえば何か特別な比喩とかでは無くって、
「目で見る。」のことなのですが。「見る。」とは、
いったいどーいうことか?! って少し考え込んじゃって…
テレビを、新聞を、インターネットを見てみれば、
もうすぐにでも、遠くから近くまでのあらゆる出来事が
押し寄せて来るかのように目に飛び込んできては、見る。
見てしまったら、そのことについて
なにかしらでも思わざるを得なくなり、考え始める。
(そんなことは、考えたくもない。)と思うのは、
よくないことだ! と思うから、見て、さらに考え続ける。
んでもさ、その考えているあいだには
他の周りの事はぜんぜん見えていなくって、
(それではいかんっ!)と思うから、周囲も見始める。
周囲を見ながら「考えないといけない事柄」も見て、
全部を同じように大切に考えなきゃダメだ。と思えば、
なぜやらどこか悲しくもなってきて。
遠いところでは、本当には何が起きているか?!
なんてのは、その場に行ってみないとわからない。
って云うのもそれもそうだとも思うけれど、
かと言って、ではぼくの一番近い場所である
(ぼくの部屋ではどーなんだ?!)と言えばさ、
ぼくの部屋にあるけれどぼく自身が見たくない物は、
押入れに押し込んで壁とふすまで見えなくしているし。
ベッドの下は、実はほこりでいっぱいだし。。。
つまり、ぼくのいちばん近いこの場所ですら
「全部を見る。」なんてのは不可能で、
何が起きているのか?! は本当のところよくわからない。
ぼくにとっての「見たいもの」と「隠したいもの」を、
ぼく自身が編集してしまっているから……
その、ほんの数メーターさきの場所では、
男性が女性に決死のプロポーズをしてOKをもらい、
そのまたおとなりのテーブルでは、
初孫が産まれたと連絡を受けて泣いているおとうさん。
足元では今まさに、花のつぼみが開こうとしている…
でもその景色は、カメラにはうつらない。
中継されない。文章にも、音声にも、ことばにもされない。
なので、「見る。」ことは出来ない。とか申しつつ、
本当の出来事を想像することすら、むつかしい。
2015年1月31日 @ Across the Universe
ちょっとだけ書いてみようとおもうんだけどね。
さいきんは、「見る。」のことを考えている。
その「見る。」ってのはさ、
たとえば何か特別な比喩とかでは無くって、
「目で見る。」のことなのですが。「見る。」とは、
いったいどーいうことか?! って少し考え込んじゃって…
テレビを、新聞を、インターネットを見てみれば、
もうすぐにでも、遠くから近くまでのあらゆる出来事が
押し寄せて来るかのように目に飛び込んできては、見る。
見てしまったら、そのことについて
なにかしらでも思わざるを得なくなり、考え始める。
(そんなことは、考えたくもない。)と思うのは、
よくないことだ! と思うから、見て、さらに考え続ける。
んでもさ、その考えているあいだには
他の周りの事はぜんぜん見えていなくって、
(それではいかんっ!)と思うから、周囲も見始める。
周囲を見ながら「考えないといけない事柄」も見て、
全部を同じように大切に考えなきゃダメだ。と思えば、
なぜやらどこか悲しくもなってきて。
遠いところでは、本当には何が起きているか?!
なんてのは、その場に行ってみないとわからない。
って云うのもそれもそうだとも思うけれど、
かと言って、ではぼくの一番近い場所である
(ぼくの部屋ではどーなんだ?!)と言えばさ、
ぼくの部屋にあるけれどぼく自身が見たくない物は、
押入れに押し込んで壁とふすまで見えなくしているし。
ベッドの下は、実はほこりでいっぱいだし。。。
つまり、ぼくのいちばん近いこの場所ですら
「全部を見る。」なんてのは不可能で、
何が起きているのか?! は本当のところよくわからない。
ぼくにとっての「見たいもの」と「隠したいもの」を、
ぼく自身が編集してしまっているから……
その、ほんの数メーターさきの場所では、
男性が女性に決死のプロポーズをしてOKをもらい、
そのまたおとなりのテーブルでは、
初孫が産まれたと連絡を受けて泣いているおとうさん。
足元では今まさに、花のつぼみが開こうとしている…
でもその景色は、カメラにはうつらない。
中継されない。文章にも、音声にも、ことばにもされない。
なので、「見る。」ことは出来ない。とか申しつつ、
本当の出来事を想像することすら、むつかしい。
2015年1月31日 @ Across the Universe