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なら斬り開く?!

アジもホッケも、物事さえをも、斬り開く。

THINKING THINK(其の17)「考えるためのことばについて」

2016年02月07日 | 考えごと
シリーズで書いています 前回はこちらです。】

では、ならば、どーしたら
そのような【考える】ことができるのか?!
を思ってみてもやはりわからない~。
なにか、なんとなく「ことば」は大事なのかもしれないと
感じてるけど。。。

えーと。たとえば、
ってその「たとえば」ていうことばをさ、
言う(書く)ことによってたとえたり、
おもいつくパターンを出したりすることができるので、
「たとえば」は【考える】ために使われる
ことばのひとつだと思った。

前回ブログで引用を申しました、
岩田聡さん×糸井重里さんのある対談より
岩田さんがお話しなされた

「なにか説明できないことがあるとすると、
 その仮説は間違ってるということになる。
 だとしたら、別の理由があるはずだ。」

のなかでの「はず」ということばも、
【考える】ときに重要なのかもしれない。
岩田さん仰るように、
「だとしたら、別の理由がある『はず』だ。」
と思うことによって次に「別の理由」を探し始めるのでさ。
「仮説」を立ててみて、検証し、間違っていたら
「仮説」をまた立てる。を繰り返してゆく。つまり、
「仮説」が重要なのかもなー。
「仮説」というのは、あくまでも「仮」だからねぇ、
検証終わるまでずっと「仮」のままでいられて。
他人からとがめられそうになっても、
「まだ『仮』だから…」と話せば許してくれそうだし。

じぶんのブログの文章をふりかえると、
最近では「かもしれない」ということばを
多く使ってるってじぶんでは思うんだけれども。
「かもしれない」ってのはつまり「仮説」だよなーと、
改めて思ったり。。。
(「けれど」の多用はブログ当初からどーしても直せない)

昨日はねぇ、吉本隆明さんの講演
ふつうに生きるということ』を聴いていたのですが。
吉本さんがときに言われます、
「まず」や「つまり」や「なんと言いますか」や
「ぼくはそう思っています。」などなどは、
【考える】をするためにとっても重要な
ことばのような気がしている。いや、わからないけれど…

でもなにかたとえばそういう「ことば」を
思ったり書いたり話したりすることで、
思考がドライブしてゆくのではないか???
とはちょっと思っているんだよねー。うーん、そのはず。

(次回ようやくシリーズ最終回。)

2016年2月7日 @ あかり from HERE ~NO MUSIC, NO LIFE.~

THINKING THINK(其の16)「考える仮説の究明。」

2016年02月06日 | 考えごと
つづきものでブログ書いてます 前回はこちら。】

2007年の「ほぼ日」で連載されておりました、
岩田聡さん×糸井重里さんの対談
任天堂の岩田社長が遊びに来たので、
 みんなでご飯を食べながら話を聞いたのだ。

を昨日のブログ書き終えてから読みました。
やはり、おもしろい!! 何度読んでも。。。

ぼくがすこし驚いたのはさ、「第6回」のなかで、
岩田さんが糸井さんのあることばに応えられたとき、
「すげー、わかりますわ、それ(笑)。」
と岩田さん話すところ。
これまで記事で読んでいたぼくのイメージでございますと、
岩田さんはいつもスマートで冷静沈着な風なのだと、
思っていたけれど。このようなお茶目なことばで、
お話しされることもあるのだなーって。

そして、やっぱりすごいなーと思いましたのは、
「なぜ海外の電話は遅れて聞こえる?」という問いからの
岩田さんの答えです。
その岩田さんのお答えは、ぜひ、
対談「第10回」をご参照いただきたいのですが。
そのあと岩田さんのおっしゃる、

「説明できない『なぜ?』があると、
 究明せずにいられない。」

のことについて、ここで引用を申しあげます。





岩田 なぜ海外と電話すると気持ち悪いんだろうって。
   遅れるときでも、妙に長く遅れるときと、
   そうでもないときがあるぞ、とか。
   そういう疑問を感じたら、
   きっとこうだからだ、って仮説をたてる。
   そして、思いつくかぎりのパターンを検証して、
   「どういう角度から考えても、
    これだったら全部説明がつく」
   というときに考えるのを止めるんですよ。
   「これが答えだ」と。

糸井 それもプログラム的な思考ですね。

岩田 そうですね。
   だから、説明できない「なぜ?」があると、
   究明せずにいられないんですね。
   なにか説明できないことがあるとすると、
   その仮説は間違ってるということになる。
   だとしたら、別の理由があるはずだ。
   別の仮説を考えなきゃいけない。
   ということで、また考え始めます。

糸井 だからね、岩田さんが
   まだ整理しきってないことを質問すると、
   答えるまえにちょっと間ができる。

岩田 (笑)

   




げんざい、ぼくは、
「『【考える】とは、なにか?』を考える。」
というのをブログ書いているんだけれども。
岩田さんのこの「『なぜ?』を究明すること」、つまり、
仮説をたてて、あらゆるパターンを検証して、
仮説が間違っていたのならまた別の仮説を考え始める。
のことも【考える】であるなぁ。とおもいました。

前々回および前回エントリで申しました
宮本茂さんの「アイデア」を【考える】のことと、
岩田聡さんの「なぜ?」を【考える】のこと。
そのふたつの【考える】がさ、
「『【考える】とは、なにか?』を考える。」での、
【考える】なのかもしれない。

どちらも究極的にむつかしい気もするだけども‥‥

って、【考える】【考える】【考える】と、
言いすぎてしまってごめん。
同じ事何べんも言うんじゃねえ 前進3の旅だぜ

(つづきます!)

2016年2月6日 @ 股旅(ジョンと)

THINKING THINK(其の15)「考える問題。」

2016年02月05日 | 考えごと
【現在つづきものでブログ書いてます 前回はこちら。】

岩田聡さん×糸井重里さんのある対談で、
「アイデアとは複数の問題を一気に解決するもの」と、
宮本茂さんが話していたことばをまた思い出しながら。
では、その【問題】というのは、
どういうことを示すのだろうかー???

宮本さんおっしゃる【アイデア】とは、つまり、
まずは【問題】があって。そこからスタートしなければ、
【アイデア】にたどりつくことはない。
のだとおもったの。
【問題】のないところには、【アイデア】もない。
ということであるのかな。

じぶんがおもいますのは、
【問題】というのは「?(クエスチョン)」のことだと
感じてはいるんだけれど。
「?」で結ばれる「ことば」や「文章」ていうよーな。。。
と、これは余談ですが、
「?」のかたちってば上部が丸くなってるからさ、
ハンガーみたくパイプや竿やカーテンレールにかけられて。
かけて、いつでも見ることができる~。
「!」じゃあ、落ちて行ったり飛んで行ったりで、
そーもいかん!! 

【問題】が表出されるとき、っていうのは、
やはり「困難さ」とか「違和感」とか、
前に進めない「壁」があるとき、なのかな?
それらをどうにかして「?」を用いた【問題文】にして、
じぶんで応えながら、突破、克服、解決してゆく。

昨日も申しあげましたが、たぶん、
【ひとつの問題】を「ひとつ」ずつ解決してゆくのでは、
ダメなんだろうなー。それですと、
突破には成らなくて。(ブレイクスルーに成らない的な?)
宮本さんおっしゃるように、
「複数の問題を一気に解決する」ようでないと、
前には「進めない」んではないか?!

たとえば、ふと思いついた「とある方法」が、
「いくつ」の【問題】を解決してるかを、
思いついたあとでチェックしてみるのも大事やもしれない
っておもった。
その「方法」によってどこかの箇所「ひとつ」だけでも、
「綻び」をもたらしそうならば、
つまり【アイデア】では無いかもしれない。。。

これではさ、順番が逆のような気もするだけど、
なにかそうおもいました。
進め!!!

(もうちょっとだけ、つづきます。)

2016年2月5日 @ アフターダーク

THINKING THINK(其の14)「考えるとアイデアが出るか?」

2016年02月04日 | 考えごと
【げんざいシリーズで書いております 前回はこちら。】

以前「ほぼ日」で連載されておりました
岩田聡さん×糸井重里さんのとある対談のなかでね、
「アイデアというのはなにか?」を
宮本茂さんがこのように答えていた。というおはなしを、
また思い出してたのですが。

宮本さんによれば、、、





糸井 まえに岩田さんと話したときに、
   「アイデアというのはなにか?」
   という話をしたじゃないですか。


岩田 宮本(茂)さんのことばですね。

糸井 そうです。つまり、宮本さんによれば、
   「アイデアというのは
    複数の問題を一気に解決するものである」
   ということなんですが、
   この話を事務所のみんなにしたところ、
   ものすごく感心されまして。
   せっかく岩田さんがいらっしゃってることだし、
   あの宮本さんの発言の意図と、岩田さんの分析を
   くわしく聞かせてもらえたらなと思うんですが。


(「任天堂の岩田社長が遊びに来たので、
  みんなでご飯を食べながら話を聞いたのだ。」第一回より。)





「アイデアというのは
 複数の問題を一気に解決するものである」
とのことでございまして。その宮本さんのことばを、
じぶんのなかでまたすこし考えていた。
(対談、ひさしぶりに読み返したいー!!)

【アイデア】っていうことばをねぇ、
ぼくも使う(使ってしまう)ことがあるけれども。
それは、ほんとうに【アイデア】なのか?!
を考えてみれば、ぼくの場合はかなり怪しい。。。
概して「複数の問題」を「一気に解決」していないから。

たとえば、
「問題」の「解決」はなにもされていなくって。
(これならおもしろそう!)とか、
(なんかかっこよくねー?)みたいなのをおもうときには、
それは【アイデア】ではなく、
たぶん【モチーフ】て呼ばれるもの。なのかも、とか。
たとえば、
「ひとつの問題」のみを「解決」してたのならば、
それは「解決」は「している」かもしれないけど。
「複数の問題」では無いので、
【アイデア】とまでは呼べない。。。

学生時代とかぼくは、
「アイデアはたくさん出るんだけどね~」みたく、
ある意味ほこらしげに語っちゃっていたこともあるだけど。
振り返ればそんなのは、
ぜんぜん【アイデア】であるはずがねぇしっ!
そう言うのはよくないって当時のじぶんに説教したい、
ともおもう。

どの「問題」を「いくつ」「解決」してるんか??! と。

そのようなさ、
「複数の問題を一気に解決する」という【アイデア】って、
今このブログのシリーズで書いています、つまり、
どう【考える】ことで「出す」ことができるのか???
そういうのもよくわからないっちゃあ、よくわからない。

「問題」ってのは、何のことを言うのだろう? とかも、
改めて考えてみるとけっこうわからない。

2016年2月4日 @ SPARK

THINKING THINK(其の13)「考えるな、感じろ。」

2016年02月03日 | 考えごと
【現在シリーズでブログ書いてます。前回はこちら。】

ブルース・リーのことをぼくはほとんど存じませんので、
「考えるな、感じろ。」ということばだっても、
よく知らないのよねぇ。

ユニコーンのさ、
2009年のライブDVD『MOVIE12 蘇える勤労』アンコールで、
ABEDONさんが
「『考えるなっ、カンジロ』と、
 ブルース・リーは言っていた!」のMCを思い出したけど。
民生さんの「吹替えだ、吹替え。」のツッコミ~!!)

今、ぼくは、
「『【考える】とは、なにか?』を考える。」ていうのを、
テーマにブログ書いておりますので。なので、
「考えるな、感じろ。」とはどーいう意味なのか?!
を改めて考えている。いや、いえ、
よくわからないんだけれども、でもちょっと思ったのはさ。
【考える】とは「じぶんの内部で行われる行為」で。なので、
じぶんの「なか」だけで完結もしがち、なのだけど。
【感じる】とは「じぶんの外部からやってくる事柄を、
受け止めて『なにか』を思うこと」なのだと思った。。。

【考える】だけになりますと、ときに、
外部からの交通路を「遮断」してしまうみたくにもなって。
そのとき【感じる】ことにより交通路を、道を、橋を、
通して、架けて、外部とのつながりを回復させる。
そんなためにも「考えるな、感じろ。」が大事だと思ったの。
んでも、【感じる】だけでよいのかと言えば、
そーともどうかわからなくって。
【考える】ことだっても重要だとも考えながら・・・

なんて申しますか、
「考えるな、感じろ。」とはつまり言い換えますと、
「感じてから、考えろ。」なのかもしれない。
まず【感じる】をしてからさ、そのときに、
じぶんのなかへ入って来たものごとはどーいうことか? を、
【考える】ことが肝要、なのかも???

2016年2月3日 @ 半世紀少年

THINKING THINK(其の12)「考える、引用、影響」

2016年02月02日 | 考えごと
【現在シリーズを書いてます。前回はこちら。】

このブログでぼくはけっこう【引用】をしておるですが。
【引用】が、じぶんの【考える】に与える影響って、
どれくらいあるかなー??

早い話をいたしますと、
【引用】というのは「じぶんのことば」ではないから、
じぶんで【考えている】わけじゃあないって
おもうんだよねー。ぼくは、そうおもった。。。
ならば、なぜ、どーして、
【引用】をいたしますかと申しますと、
なにかそれは「思考の灯台」だと感ずるのよねぇ。

つまり、暗闇の海原をさまよいながら陸地を目指しながら、
ついに見つけた「灯台」の照らす光の方向へ、
舵をきる。そちらのほうへ顔を向ける。
的なことだとおもってるのー。

以前のエントリのなかで、ぼくは、
先日ほぼ日糸井重里さんが書いておられた
夢に手足を。」ということばを【引用】いたしまして。
それからの影響についてはぼくはまだわからないけれども。
でもそのことばに(顔を向けていよう!)って想ってる~。

そして、これは【引用】ではないのですが。
前々回のエントリでは糸井さんの「夢に手足を。」より、
ぼくが感じました感想をすこし申しあげまして。
ぼくのなかでやはり「夢」と言えば、Mr.Children
『Everything is made from a dream』でありやして!
ブログ書いてたらね、この歌が頭の中に流れ始めちゃって。
そこへ記しました「夢って」や「あたかも」や、
「素晴らしい」「輝かしい」「賛美」ということばは、
歌のとあるフレーズ(セリフ?!)です。

また、そのあとで申しました
「そんな、何年も何年も【考え続ける】なんてこと、
 ぼくにはもうただすごいとしか言えないのですが。」
という「何年も何年も」とは、
サカナクションの『ネイティブダンサー』‥‥





僕はいたって最後方 思い出したのは辛い事
心が何年も何年もかけて染み付いた汚れ
落ちてしまえ


ネイティブダンサー/サカナクション





‥‥での、その
「何年も何年も」と唄われる山口一郎さんの声が、
あたまにふと浮かび文字をタイプしました。

【考える】ときや、【思う】ときにはさ、
そのような印象ぶかくって思い出す「ことば」に、
どーしても影響されてしまうものだともおもう。
それがよいことかわるいことかわからないけれども。
生まれたときにはまだ体内に「ことば」が無くって、
影響受けたから「ことば」を書けたり言えたりできるんだと
考えれば、では「じぶんのことば」とは一体なんだろう??

「灯台」のように、「北極星」のように、
じぶんがすすむ方向を立て直したり居場所を知れたりする、
そーいう【考える】もあるのかや~。

♪言葉が何遍も何遍もっ 繰り返し夜に流れたぁ

2016年2月2日 @ ネイティブダンサー(rei harakami へっぽこre-arrange)

THINKING THINK(其の11)「考える=休む?!」

2016年02月01日 | 考えごと
前回エントリよりひきつづきです。】

「下手の考え休むに似たり」ということばを
聞いたことがあるけれど。
ぼくの【考える】は「休む」だわー。と感じながら、
ぼくは「休みたい」のかもしれねぇ。。。

【考える】ではなくって。
「休む」ことさえできているかどーか?!
だもんで、きょうのブログこれぐらいにして休んでみる~。

2016年2月1日

THINKING THINK(其の10)「考える糸井重里さん。」

2016年01月31日 | 考えごと
前回エントリからつづきです。】

先日『ほぼ日』で糸井重里さんが書いておられました、
夢に手足を。」ということば、
すてきだなーとぞんじまして。さっそく、
じぶんのあたまの中にある壁に貼った~!!

「夢」って、
寝ているときに見る「夢」、未来を想い描く「夢」の、
ふたつがあるけれど。そのどちらもさ、
素晴らしくて輝かしくて賛美されるような場合と、
罵倒や嘲笑などの悪い意味として使われる場合とがあって。
たとえばそれは「悪夢」だったり、
「夢ばっかり語ってるんじゃねぇよ!」ということば
だったり。。。

よくもわるくも、
それらのあたかも幻のような「夢」に、
糸井さんは「手足」をつけようとなされまして。
これはぼくはまだうまく言えないんだけれど、
そこに命が吹き込まれたみたいなポジティブさを思ったの。

ってゆうぼくの感想はどーでもいいんだった。

えーと、現在このブログで書いております
「『【考える】とは、なにか?』を考える。」
のこととして申しあげますと。『ほぼ日』の
「今日のダーリン」で糸井さんがおっしゃておりました、
【考える】のことでありやすっ。





「ほぼ日」って、なにをしている会社なんですか。
そう言われたときの、なにかいい答え方を考えていた。
ずっと考えていた。あえて言えば17年以上。
それをことばで言えたほうがいいだろうとは思っていた。


(2016年1月27日「今日のダーリン」より引用です。)





そこから糸井さんはこれまでの『ほぼ日』でのことば、、、
「Only is not Lonely」や、
「ゴキゲンを創造する中くらいのメディア」や、
「やさしく、つよく、おもしろく」をあげられて。でも、
それでもまだ「なにをやる会社なの?」という質問には、
答えられていない。と、さらに、さらに、考えて、そして、
「夢に手足を。」のことばが見つかった。
とのように書いておられて。。。

そんな、何年も何年も【考え続ける】なんてこと、
ぼくにはもうただすごいとしか言えないのですが。
【考える】というのはさ、そのような、
長い長い長時間のスパンのうえで行われる行為なのだと、
思いました。いえ、思いました、とか言って、
まだ「思った」だけなんだけども。

(つづきます。)

2016年1月31日

THINKING THINK(其の9)「考えるの究極。」

2016年01月30日 | 考えごと
前回よりつづきですー。】

げんざいこのブログでは、
「『【考える】とは、なにか?』を考える。」のことを、
何回かにわたって書いているですが。
だんだんと沼の中に溺れてゆくよーな感覚も覚えながら。。
つづきを申しあげまーす。

ぼくなんかですとどーしても頭で考えてしまう質ですので、
たとえば「考え過ぎだよ!」や、
「そんなに考えなくてもよい。」や、
「考えちゃダメ。考えるのはよくない。」という言付けを
いただくことが度々ございまして。
言ってもらえるのは有難いのですが、言われても、
ぼくはどうしたらよいかをまたさらに考えてしまうのよね。

さっとできちゃえば、よいんだけれど‥‥

‥‥のそんなときにさ、たしか、
たぶん糸井重里さんのことばだったかもと存じますが。
「頭から血が出るまで考えろ。」
を聞いた(読んだ)ときにはショックを受けました。
じぶん自身「考えてしまう質」だと思いながらも、
「頭から血が出る」ほどまでぼくは考えたことがあるか?!
「ない。」としか言えないのよねぇー。
「頭から血が出る」という、そのようなことを、
これまで考えたことさえなかったし。。。

そのぐらいまで【考える】をしなければ、
問題の解決は見つからない。
と言われているようにも思えるけれどぼくはそれ以上にね、
「頭から血が出るまで考え」たとしても
人間のからだはまだ無事だからそこまで考えても、よい!!
って言ってくれているように感じまして。
なんだか「考えるのはよくない。」よりも、
逆にそのようなことばのほうがぼくの中では救われたの。
いや、じぶんがそこまで【考える】ができてるかなんて、
ぜんぜんできていないんだけれど。

と。それはそうといたしまして糸井さんの先日のことば、
夢に手足を。
がすてき~。これまで感じたことのない
とてつもないポジティブさをおもいましたっ。

(次回につづきます。)

2016年1月30日

THINKING THINK(其の8)「考えることはよいかわるいか」

2016年01月29日 | 考えごと
前回エントリからのつづきです。】

‥‥と、ここまで書いてまいりまして思ったのはさ。
【考える】とは、
あるときでは「よいこと」になり、
あるときでは「わるいこと」になる。てことでして。

例えば、うじうじと【悩む】をしていれば、
「なにをやってるんだ、ちゃんと考えなさい!!」
って咎められ。【考える】が優遇され。
そんな【悩む】と【考える】とを比べれば、
【考える】のほうが「よいこと」だって思えるし。
かと言って、膠着させるような【考える】だけをしてたら、
【考える】は「わるいこと」となる。

そのときには【考えない】ことが大事になってくる~。

つまりだよ、
【考える】が「よい」場合には、
【考えない】は「わるいこと」だし。逆に、
【考える】が「わるい」のときでは、
【考えない】は「よいこと」へ切り替わっちゃう。

【考える】ことは、そして、【考えない】ことは、
「よい」か「わるい」かどっちなんだろう?!

【考える】にも「長所」はあるし、
【考えない】も「長所」がある気がする。
【考える】にも「リスク」はあるし、
【考えない】も「リスク」がある気がする。

【よい考える】と【わるい考える】と、
【よい考えない】と【わるい考えない】というのが、
あるのかやー。

【考える】とはどーいうことで、
【考えない】とはどーいうことなんだろう。っていうのを、
【考える】ほうがよいか【考えない】ほうがよいか。
ていう時点でもうすでに「考えてしまってる」から、
んーっとなんだか「【考える】の沼」にハマっている??

2016年1月29日

THINKING THINK(其の7)「考えるのをやめたほうが…」

2016年01月28日 | 考えごと
前回よりつづきですっ。】

「『【考える】とは、なにか?』を考える。」というのを
書くってのはなんだかじぶんの手に負えないような、
そんな気にもなってきてる。。。

っていうのもねぇ、
「【考える】には『危険性』がある。」って言いながら、
このブログも【考える】をしながら書いているので、
エントリ書くこと自体に「危険性」がある。んだよねぇー。
そのことも、ちょっと意識させ、つづきを申します。

さてここでそもそもどうして、
「『【考える】とは、なにか?』を考える。」のことを、
書こうと思ったかを申しあげますと。
じぶんはさ、
「考え過ぎだよ!」や「考えるのをやめたほうがよい。」や
を度々言われまして。言ってもらえるのは有難いですが、
でもじぶんの中でこれらをどうしたらよいのかは、
よくわかっていない。。。

そもそもが「考えてしまう質」ですから、たとえば、
「考え過ぎだよ!」と言われれば、
【考える】と【考え過ぎ】の間には境界線があるだろう…
と考えてそこから、
(どうしたら【考え過ぎ】の境界線を超えずに、
 ちょうどよい【考える】ができるのだろう??)
みたいなことを考えてしまうし。
「考えるのをやめたほうがよい。」と言われれば、
(どうしたら【考える】をやめることができるか?!)
って考えてしまう。

言われても、じぶんでできるわけじゃないから、
どーすればできるんかを考え、
でもまぁちょっとわからないからできんままなんやけど。

それで、こーいうのを「わからない」のは、
じぶんの【考える】がダメだからなんだろうなぁー。
ていうように考えまして。ならば、
【考える】ができるように成るためにも、
【考える】とは、なにか? を考えようとおもったの。
でもその「【考える】とは、なにか?」を【考える】にも、
そもそもの【考える】ができていないから、
むつかしいんだけども。あー、ややしこしくてごめんねー。

(つづきます!)

2016年1月28日

THINKING THINK(其の6)「考える危険性。」

2016年01月27日 | 考えごと
前回エントリからのつづきですー。】

昨日のブログ最後で
「【考える】ってば、とっても大事なことだと思うけれど、
 とある危険性もはらんどるように思える~。」
と申しまして。なのでその「危険性」について、
きょうは書くです。

【考える】という行為ってさ、
よくもわるくもじぶんの中にある「なにか」を、
固定化させてしまうものかもと思ったのよねぇ。
考えた結果「こうしよう!」って決断したならば、
それはじぶんの行動を「決める」ことになるので、
つまりそれが基本と成り。これ、うまく言えないだけども、
「なにか」を決めて先へすすんだら、その
「なにか」はよくなっても、別の
「なにか」は置き去りにされてしまったり。。。

それは、たとえば「行動」だけでなくって、
考えてからの「思考」とか「ことば」とかも、
そこには含まれて。よくも、わるくも?!

えーと。前回ぼくが申しました
「さいきん【考える】ことが上手く成ってきた気がする。」
って言うとするじゃん。ぼくが。あなたへ。
そして。仮にあくまでも仮にねっ、
言う前はたしかに【考える】が上手く、ていうよりかは、
少しばかり【考える】ができるように成ってきていた、
とするじゃん。仮に。。

「さいきん【考える】ことが上手く成ってきた気がする。」
て言うひとが【考える】ことってかなり怪しそうじゃん??
つまり、そう言うことによって、
「立場」が固定されてしまうのね。
たぶんさー、ぼくは当時、
「さいきん【考える】ことが上手く成ってきた気がする。」
ってまず【考えてしまった】のよねー。
【考えてしまった】から、また言いたくなって、言った。

仮に、それまで【考える】ことができてたとしても、
その後またちがう別のステージに突入すれば、
以前までの知識は使えないかもしれないわけだし。
先へすすんだその場所で【考える】ことが、
ちゃんとできるか?! はわからない。
ぼくの当時の場合では、
ほんとうの意味では【考える】ができていなかった、
って思うから、なおのこと、あれは間違ってて。

でもなにかそーではない【よい考える】のときだって、
じぶん自身をどこか膠着させる危険性が、
【考える】にはあると思った。うまく言えないけれど…

2016年1月27日

THINKING THINK(其の5)「考えるのが上手い?!」

2016年01月26日 | 考えごと
前回エントリからつづきです。】

っていうふうにね、つまり、
【考える】がよいもので、【悩む】はわるもの。なのか、
ぼくにはわからない! って今でこそ言うけれど、
以前のじぶんですとやはりどこか【考える】行為を、
崇高なものだと考えてたふしがございまして。

いえ、正直に申しますと、
今でもちょっと思ってるかもしれない、ですが。。。

あれは専門学校に通っておったときだったやー。
グラフィックデザインの授業課題が与えられ、
日々それらのことを考えながら。。。
なんだかじぶんは【考える】ことができるひとなのだって、
思ってしまっていたんかのぅ。
課題のことだけに限らず、じぶんの悩みのようなことも、
じぶん自身で考えられるように成れたとおもって。
あるとき担任の先生(土井先生)へ、
「さいきん【考える】ことが上手く成ってきた気がする。」
ってしゃべったことがございまして。
振り返れば、そう言うのよくなかったと思うのよ。

頭の中で【考える】ことをするのが、
なにかすばらしいことのように思いつつ。
それをさらに「上手く」できるように成れたなんて、
おこがましいと申しますかまちがってると申しますか。
ましてや【考える】って「上手い」か「下手」かの、
「技術」じゃない気もしてる。

それをさ、「上手くできるように成ってきた!」って、
言ってしまえばもうそこから全然ダメに成ってしまうような、
そんなことばをじぶんで言ったみたいな。。
【考える】ってば、とっても大事なことだと思うけれど、
とある危険性もはらんどるように思える~。

2016年1月26日

THINKING THINK(其の4)「考える or 悩む」

2016年01月25日 | 考えごと
前回よりひきつづきです。】

「『【考える】とは、なにか?』を考える。」のことを、
書いてゆこうとおもいますが。
まずはさ、なにを書けばよいんだろー?!
じつは、それさえも、よくわからないけれど。。。

えーっと。

たとえば。よく言われていることでございますと、
【悩む】と【考える】はちがうから、
【悩む】でなくて【考える】をしよう。というのって、
ぼくも聞いたときなるほどって思ったですが。
んでも、その【悩む】と【考える】のちがいは、
思えばなんだかよくわからないし。どちらかと言えば、

【悩む】は「わるもの」、【考える】が「よいもの」。

っていう感じにも思えてきて。
果たしてほんとにそーなのかぼくにはわからないのよ。
【悩む】は極力排除させ、
【考える】をしたほうが、よい。なんてのは、
たぶんそのほうがよいとはぼくも思うけど。だけんども、
【悩む】と【考える】を、
そんなにうまく分けることなんてできる??!

ここで言われる【考える】とは、つまり、
なにかしらの「結果」を出しつつ、
そこから「効果」を期待することのような気がするだけど。
そうじゃない【悩む】をいくらしたところで「効果」には
まったく結びつかないので、よくない。と言われても、
むつかしい・・・

なんかさ、ときに悩んだって、よいじゃん。
しょうがないし。そういうときはあるよ。
【悩む】も【考える】も、
そして【思う】や【想う】だってもそのどれが
「よい・わるい」ではないよーな気もするんだよねぇ。

(次回につづきます。)

2016年1月25日

THINKING THINK(其の3)

2016年01月24日 | 考えごと
前回エントリからのつづきですっ。】

そーなんだよなーって、
ブログを書きながらじぶんで思いましたのは、
昨日の最後に申しました
「(ブログの文章が、)
 コミュニケーションには成っていないので読む方にとっては
 退屈で面白くは無いかもですが」
のことです。。。

「コミュニケーションに成っていない」ていうのはさ、
言うならば、
「読まれる方の読む目線をどうしても意識できていない。」
ってことだとじぶんでは思うですが。
それをどーすれば克服できるのかぼくはわからない。

吉本隆明さんのおっしゃるには、
「コミュニケーション用の言語」である【指示表出】と
「自分のなかにある沈黙に近い言語」の【自己表出】を、
分けて考えたほうが、考えやすい。とのことなのですが。
やはりぼくはそれらをまだわかっていないのよねぇ。

たぶんだよ、
ぼくは「コミュニケーション」はおろか、もしかしたら
じぶん自身で考える【自己表出】のほうだって、
なかなかできていなくって。
なので、どっちみち内容もよいはずがない!!
吉本隆明さん仰る【自己表出】とは、たぶん例えば、
今回ぼくがブログで書いてみたいと思っております
「『【考える】とは、なにか?』を考える。」の、その、
【考える】のことと近いような気もしてきた、です。

それらのこともできれば少しだけでも想いながら、
ブログ書きたいと存じまする。

というわけでプロローグ的なのはこれぐらいと致しまして、
次回よりさっそく
「『【考える】とは、なにか?』を考える。」
のことをやりますっす~。

2016年1月24日