【シリーズで書いています 前回はこちらです。】
では、ならば、どーしたら
そのような【考える】ことができるのか?!
を思ってみてもやはりわからない~。
なにか、なんとなく「ことば」は大事なのかもしれないと
感じてるけど。。。
えーと。たとえば、
ってその「たとえば」ていうことばをさ、
言う(書く)ことによってたとえたり、
おもいつくパターンを出したりすることができるので、
「たとえば」は【考える】ために使われる
ことばのひとつだと思った。
前回ブログで引用を申しました、
岩田聡さん×糸井重里さんのある対談より
岩田さんがお話しなされた
「なにか説明できないことがあるとすると、
その仮説は間違ってるということになる。
だとしたら、別の理由があるはずだ。」
のなかでの「はず」ということばも、
【考える】ときに重要なのかもしれない。
岩田さん仰るように、
「だとしたら、別の理由がある『はず』だ。」
と思うことによって次に「別の理由」を探し始めるのでさ。
「仮説」を立ててみて、検証し、間違っていたら
「仮説」をまた立てる。を繰り返してゆく。つまり、
「仮説」が重要なのかもなー。
「仮説」というのは、あくまでも「仮」だからねぇ、
検証終わるまでずっと「仮」のままでいられて。
他人からとがめられそうになっても、
「まだ『仮』だから…」と話せば許してくれそうだし。
じぶんのブログの文章をふりかえると、
最近では「かもしれない」ということばを
多く使ってるってじぶんでは思うんだけれども。
「かもしれない」ってのはつまり「仮説」だよなーと、
改めて思ったり。。。
(「けれど」の多用はブログ当初からどーしても直せない)
昨日はねぇ、吉本隆明さんの講演
『ふつうに生きるということ』を聴いていたのですが。
吉本さんがときに言われます、
「まず」や「つまり」や「なんと言いますか」や
「ぼくはそう思っています。」などなどは、
【考える】をするためにとっても重要な
ことばのような気がしている。いや、わからないけれど…
でもなにかたとえばそういう「ことば」を
思ったり書いたり話したりすることで、
思考がドライブしてゆくのではないか???
とはちょっと思っているんだよねー。うーん、そのはず。
(次回ようやくシリーズ最終回。)
2016年2月7日 @ あかり from HERE ~NO MUSIC, NO LIFE.~
では、ならば、どーしたら
そのような【考える】ことができるのか?!
を思ってみてもやはりわからない~。
なにか、なんとなく「ことば」は大事なのかもしれないと
感じてるけど。。。
えーと。たとえば、
ってその「たとえば」ていうことばをさ、
言う(書く)ことによってたとえたり、
おもいつくパターンを出したりすることができるので、
「たとえば」は【考える】ために使われる
ことばのひとつだと思った。
前回ブログで引用を申しました、
岩田聡さん×糸井重里さんのある対談より
岩田さんがお話しなされた
「なにか説明できないことがあるとすると、
その仮説は間違ってるということになる。
だとしたら、別の理由があるはずだ。」
のなかでの「はず」ということばも、
【考える】ときに重要なのかもしれない。
岩田さん仰るように、
「だとしたら、別の理由がある『はず』だ。」
と思うことによって次に「別の理由」を探し始めるのでさ。
「仮説」を立ててみて、検証し、間違っていたら
「仮説」をまた立てる。を繰り返してゆく。つまり、
「仮説」が重要なのかもなー。
「仮説」というのは、あくまでも「仮」だからねぇ、
検証終わるまでずっと「仮」のままでいられて。
他人からとがめられそうになっても、
「まだ『仮』だから…」と話せば許してくれそうだし。
じぶんのブログの文章をふりかえると、
最近では「かもしれない」ということばを
多く使ってるってじぶんでは思うんだけれども。
「かもしれない」ってのはつまり「仮説」だよなーと、
改めて思ったり。。。
(「けれど」の多用はブログ当初からどーしても直せない)
昨日はねぇ、吉本隆明さんの講演
『ふつうに生きるということ』を聴いていたのですが。
吉本さんがときに言われます、
「まず」や「つまり」や「なんと言いますか」や
「ぼくはそう思っています。」などなどは、
【考える】をするためにとっても重要な
ことばのような気がしている。いや、わからないけれど…
でもなにかたとえばそういう「ことば」を
思ったり書いたり話したりすることで、
思考がドライブしてゆくのではないか???
とはちょっと思っているんだよねー。うーん、そのはず。
(次回ようやくシリーズ最終回。)
2016年2月7日 @ あかり from HERE ~NO MUSIC, NO LIFE.~