対面石
山寺の宝珠橋のたもとに巨石がある。
磐司磐三郎はこの周辺の猟師の頭で、磐司岩(二口峠を越えて宮城県に入った処)を
本拠地にして、日々猟をして暮らしていた。
慈覚大師が立石寺を開創するにあたって、磐司磐三郎に交渉して宝珠山の一帯の山地を借り
なお慈覚大師は殺生を戒めこの地に仏道を広める、根拠地を求めたと伝えられる。
磐司磐三郎は得心して猟をやめ、快く山地を譲り、いろいろ奔走して慈覚大師の事業を助けた
という伝説が伝えられている。
狩人をやめたことを喜んだ動物たちが、磐司磐三郎に感謝して踊ったというシシ踊りが
この地に伝えられる。
毎年旧暦の7月7日(今の8月8日)の祭礼には山寺および近村の人々によって「シシ踊り」が
奉納されている。
山寺の「シシ踊り」の「シシ頭」は獅子や鹿ではなく、「あおしし(かもしか)」の頭部を
模した特異なものであるという。
慈覚大師と磐三郎が対面して交渉したのが川原町にある巨大な2個の大岩の上でこの岩を
対面石と呼んでいる。
宝珠橋
赤い橋は立谷川に架かる宝珠橋、宝珠山を望んだ写真。
赤い橋の左の方に大きな石があり、立谷川の対面石と言われている石である。
山寺の宝珠橋のたもとに巨石がある。
磐司磐三郎はこの周辺の猟師の頭で、磐司岩(二口峠を越えて宮城県に入った処)を
本拠地にして、日々猟をして暮らしていた。
慈覚大師が立石寺を開創するにあたって、磐司磐三郎に交渉して宝珠山の一帯の山地を借り
なお慈覚大師は殺生を戒めこの地に仏道を広める、根拠地を求めたと伝えられる。
磐司磐三郎は得心して猟をやめ、快く山地を譲り、いろいろ奔走して慈覚大師の事業を助けた
という伝説が伝えられている。
狩人をやめたことを喜んだ動物たちが、磐司磐三郎に感謝して踊ったというシシ踊りが
この地に伝えられる。
毎年旧暦の7月7日(今の8月8日)の祭礼には山寺および近村の人々によって「シシ踊り」が
奉納されている。
山寺の「シシ踊り」の「シシ頭」は獅子や鹿ではなく、「あおしし(かもしか)」の頭部を
模した特異なものであるという。
慈覚大師と磐三郎が対面して交渉したのが川原町にある巨大な2個の大岩の上でこの岩を
対面石と呼んでいる。
宝珠橋
赤い橋は立谷川に架かる宝珠橋、宝珠山を望んだ写真。
赤い橋の左の方に大きな石があり、立谷川の対面石と言われている石である。